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殺す剣


 心のどこかで、自分は前よりも強くなっているのだと思い込んでいたのかもしれない。もちろん日々、強くなるための鍛錬は続けているし、その理由だって、明白だ。


 努力しているということを自ら人に晒すのは恥ずべきことだ。それはただ、力を認められたい、褒められたいという意思の裏返しに過ぎない。


 努力が実力に追いついて来ていない時、人はその者を嘲るのだ。自分はそれを知っている。

 努力は見栄や自己承認のためにするものではない。自分のために、突き進む力を得るために、人は力を求める。


 それでも、望むものが手に入らないこともある。現状維持の状態が続いているこの試合では、まさにその通りなのだろう。


 ……腕が、……もう上がらない……。


 身体が沈みこまないように今の状態を維持するだけで精一杯だ。


 受け止めている腕に力が入り過ぎて、血管が内出血を起こしているのではないかと思える程、何かがはち切れるような感覚が身体中に広がっていく。

 ぴしり、ぴしりと軽い痛みにも似た感覚が腕から足の先まで響いていく。


「がははっ! その小さい身体で俺の剣を長く受け止めるなんて、大した奴だぜ」


 余裕ある声が頭上から降って来るが、それに言葉を返す暇などない。


 人間相手に勝てなければ、自分が仇としている魔犬を打ち倒すことは、程遠い夢だろう。勝たなければ、そこには何が待っているのか、分かっている。

 そう思って、自分を鼓舞しようとしても、力が追いついてこない。


 今の状態は先日、ブリティオン王国から来た悪魔、混沌を望む者(ハオスペランサ)と戦った際に、追い込まれた状況と同じだ。

 心に身体が追いついて来ておらず、内側から悲鳴だけを上げている。


 ……気合論なんて、本当に当てにならないわね。


 歯を食いしばりながら、ケルンの大剣を押し返そうと試みるも、それ以上の力でねじ伏せられてしまい、動く事さえもままならない。


 ふと気づけば、自分が両手で掴んでいる剣が、鈍い音を微かに立てたのが耳に入って来る。

 試合用の剣は木製だ。重さは軽いが、耐久度は鉄の剣よりも数倍以上低く作られているため、限界を超える戦い方をすれば、去年と同じように剣が折れることは考えなくても分かっていた。


 ……一度、引くしかない。


 このまま剣が折れてしまっては、完全に戦いが不利になってしまう。その前に一度、体勢を立て直してから、素早い攻撃を繰り出すしかないだろうとアイリスはケルンに気付かれないように決意する。


 踏ん張るように力を入れていた両脚を一瞬だけ、膝を曲げてから、体勢をわざと崩す。

 

 大剣を振り下ろしていたケルンはまさか、アイリスが自ら体勢を崩すと思っていなかったらしく、小さく眉を寄せたのがちらりと見えた。


 アイリスは膝を曲げたまま、受け止めていた大剣の刃先を細身の剣の平で滑らせるようにしながら、横へと受け流す。

 受け流された大剣はアイリスの左肩を軽く掠めてから、床の上へと鈍い音を立てながら重く落ちた。


 膝を曲げたままでは後ろへと瞬時に下がることが出来ないと判断したアイリスはそのまま更に膝を曲げて、前転するように剣を持ったまま床上を転がり、何事もなかったかのようにすぐさま立ち上がる。

 そして、すぐに剣先をケルンへと向け直した。


「……猫みたいだな」


 大剣が斬り倒す対象物がなくなったケルンは、床に食い込むように刺さっている大剣を抱え上げつつ、不敵な表情で笑っている。


 試合を心から楽しんでいるらしく、その笑みには試合に勝てるという自信が溢れているようにも見えた。その自信を自分にも少し分けて欲しいくらいだ。


「……」


 アイリスはケルンの言葉に対して返す余裕さえないまま、息を整える。


 ……懐近くに入っても、隙がない。それどころか、こっちが押しつぶされそうだったわ。


 今後、ケルン相手に間合いを詰めて戦うことは止めておいた方がいいだろう。それならば、次の手を考えなければならない。いや、考える手などあるのだろうか。


 ……私、強い人と戦う時って、どのように戦っていたかしら……。


 急に頭の中が真っ白になった気がしたのだ。それまでの戦闘の経験も、戦う上での知識も何もかもを忘れ去ってしまったように、そこには空白だけが残る。


 これは、ただの空白ではない。――恐れだ。


 この試合、ケルンと戦うことで、自分は彼に負けるのではないかという怯えから来ている恐れなのだ。

 身体は震えてはいない。それなのに、心の奥で何か重い声のようなものが響いて来る。


 負けたくない。怖い。弱い。


 負の言葉だけが、身体に沁み込んでいく。自分の心を落とし込むような行為にアイリスは小さく唇を噛み締めた。


 ……まだ、終わっていない。終わっていないのに。


 それでも、諦めそうになるのは、相手が自分よりも絶対的に強い力を持っていると分かっているからだ。

 いつも自分が任務中に使っている魔具の「純白の飛剣」と「青嵐の靴(ブルゲイル・ブーツ)」があれば、まだ勝機はあっただろう。


 だが、この試合は己の力、技術、経験だけで戦う勝負だ。

 木製の剣が武器だから、そのせいで自分が弱いと思うなんて、図々しいにも程がある。結局は、自分の実力次第だというのに。


 弱い奴は死ぬ。強い奴は生き残る。

 それだけが真実だ。


 そんな簡単なこと、小さな手で剣を取った時――いや、初めて何かを深く憎いと思った時に自覚している。


「……ふ」


 思わず口から息をもらし、自嘲の笑みを浮かべてしまう。そのことを不審に思ったのか、ケルンは少し首を傾げていた。


「どうした、何がおかしいんだ?」


「いえ、すみません。……ただ、自分は……本当に愚かだと思って」


 負けてしまうことばかりを考えて、この試合において、最も重要なことを忘れていた。

 ――勝負とは、常に命をかけたやり取りだということを。


 ……あぁ、それだけが分かっているなら、私は……大丈夫だわ。


 生き残るために、戦う。強くならなければ、生き残れないと言うならば、方法はただ一つ。自分が生き残る方法を選べばいいだけだ。

 アイリスは剣を握り直してから、再び剣を構える。


 恐らく、次に大剣を受け止めれば、この細身の剣が折れてしまうことは確実だろう。見れば、剣の平に少しひびが入っているのが目に入り、この剣の寿命を告げている。


 ……受け止めるばかりしか出来ないなんて、私らしくないわね。……常に真っすぐ、迷いのない一閃を――描く。


 背中には何も守るものはない。この身一つで戦うのだから、気は楽なものだ。


「……」


 もう一度、アイリスは静かに息を吐く。心が急に重くなったように、奥底へと沈み込む感覚は何度か味わったことがある。

 

 まるで、胸辺りに夜凪の海が広がっているような気分だ。握っている剣はいつの間にか、自分の一部になったようにも思え、その奇妙な心地よさに酔いそうになる。


 ……敵は、倒す。生き残るため、倒すもの。


 暗示をかけるように心の中で何度も呟き、アイリスはじっとケルンを見据えた。目の前に立っているケルンは心を静めているアイリスの表情を見ると、何故か訝しげな表情で眉を大きく寄せていた。


 ……戦うことは、生きること。生きることは――殺すこと。


 自分の剣は守る剣ではない。勝つ剣ではない。

 この剣は――殺す剣だ。


 自分が生き残るための方法、それは相手を殺すこと。

 その答えだけが明確に心の中にぽつりと残った瞬間、アイリスの表情から色は消えていた。


    


小説のトップの一番下に和翔さんからかっこよくて素敵な表紙絵を頂きました。

もし宜しければ、御覧頂けると嬉しいです。

活動報告にも載せて頂いております。

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