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澄んだ聖壁



「ハワード家の落ちこぼれのくせに……」


 ヨティが吐き捨てるように呟く言葉をエリックは口を一文字に閉じて聞いているようだ。


 エリック本人ではないアイリスの方がヨティに対してかなり腹が立っていたが、隣のクロイドが感情を抑えろと言わんばかりに肩に手を置いてきたため、アイリスは深呼吸してから、再びエリックへと視線を向ける。


 エリックはただ、何かに耐えるように黙ったままで言い返すことはない。


「お前が周りから何と呼ばれているか、知っているぜ」


「……」


「ハワード家の『不運なお荷物(マルー・ファルディロ)』だろう? 何をしたら、そんな無様な忌み名が付くんだ?」


 ヨティは鼻で笑いつつ、ふっと息を吐く。それでもエリックは何も言い返さずにじっと眼の前のヨティを見据えたままだ。




・・・・・・・・・・・・・・・



 ……そんな、嫌な名前が……。


 エリックもアイリスと同じように他人から勝手に付けられた忌み名があったらしい。蔑むような酷い名前にアイリスはいつの間にか両拳を作り、爪を指へと食い込ませていた。


「……アイリス」


 宥めるような声が隣から囁かれる。クロイドが今は怒りを抑えろと言っているのだ。心の中で抱いていた怒りの感情はクロイドに覚られてしまう程に表情に出ていたらしい。


「……分かっているわよ」


 アイリスは不貞腐れたように返事を返す。ヨティのエリックを蔑むような言葉をじっと耳に入れたままには出来ないのは、元々そういう性分であるため仕方がないが、外野である自分が色々と口を出すことは許されない。


 ……エリック。


 彼女の持つ才能を真に認めている者は少ないのだろう。だから、エリックの叔父であるアドルファス・ハワードも見下したような言葉を言っていた。

 

 だが、もし――。この勝負で相手を打ち負かすことが出来れば、エリックの持っている本物の実力が公になって、誰もが彼女を一人前の魔法使いとして認めてくれるのではとアイリスは静かに思っていた。


 ……勝って、エリック。


 今は応援席から、静かに祈るように応援する事しか出来ない。

 植え付けられてしまった彼女自身の虚像を覆すのはエリック自身による力しかないのだ。




・・・・・・・・・・・・・・・



 エリックは表情を一つも動かさないまま、結界の強度の均衡を保つべく、左手を真正面へと掲げたままだ。

 しかし、彼女の右手は真下へと下ろされており、人差し指をくるくると円を描くように動かしていた。


「さぁ、続きをやろうか」


 体勢を立て直したのか、ヨティは不敵な笑みを浮かべて、長剣を彼の正面へと掲げる。


「纏われ、――炎舞の風(ヴァン・フレイム)


 放たれた呪文に従うように、長剣の内側から突如、炎が激しい音を立てて沸き起こる。炎はとぐろを巻くように長剣に纏わりつき、言うなれば炎の剣と化していた。


「ここから先は本気でお前の首を狙う。痛い目にあいたくないなら、大人しく降参するんだな」


「……」


 対人戦とは言え、この勝負は試合だ。命の取り合いをするものではないため、ヨティの言っている言葉はエリックに圧をかけるための脅し文句だと分かっていた。

 エリックを怯ませて、勝ちを取ろうとしているようだが、どうやらヨティの凄みはエリックには全く効いていないようだ。


 普段のエリックを知っている者からすれば、この試合の中で見るエリックは本当に別人のようにさえ思える。それほどまでに、彼女の表情は真剣で揺るぎないものだったのだ。


「棄権はしません。……負けませんから」


「……馬鹿な奴だぜ」


 低く、嘲るようにヨティが笑った。空気が静まり、張り詰めた緊張感だけがその場を満たしていく。


 その緊張感を剥がすように、ヨティが剣を振り上げてから一歩、大きく前へと出た。エリックの結界を叩き割ろうとするその動きに、誰もが息を飲み込む。




「――解除」


 それまで結界を保つために掲げていた左手をエリックは一閃を薙ぐように振り払った。


「っ!?」


 エリックの放った言葉は結界の形成を消し去り、無きものとする言葉だった。作られていた透明な壁はエリックの言葉通りに瞬時に消えていく。


 しかし、攻撃をするつもりで振り下ろしてしまったヨティの長剣は、対象となるものが突然消失したため、肩透かしをくらったように盛大に前のめり、体勢を思いっ切りに崩していた。

 振り下ろした長剣は何も捉えることなく、勢いよく空間だけを斬ったのである。


「なっ……」


 エリックの真横をヨティの炎が纏った長剣が勢いをつけたまま通り過ぎていく。

 それでもエリックは一瞬も長剣の方を見ることがないまま突然、身体を縮めて前転したのである。土埃を上げながら、エリックの身体はヨティと距離を取っていく。


 前転した身体をすぐに起き上がらせると、エリックは体勢を大きく崩したヨティに向けて右手を掲げ、そして声高に叫んだ。


澄んだ聖壁(サクレ・ムーロ)!!」


 その瞬間、体勢を崩していたヨティを四方から囲むように光る透明な壁が形成されていく。

 その大きさはちょうどヨティが一人入る程にしか余裕がないもので、閉じ込めるだけでなく、動きも封じるものだった。


澄んだ聖壁(サクレ・ムーロ)」という魔法は「透き通る盾(クラルティ・ミューレ)」と同じ結界魔法の一つだ。

 ただ、「透き通る盾(クラルティ・ミューレ)」と大きく違う点があるとすれば、こちらは外側からの攻撃に対して防御に特化しているものであり、「澄んだ聖壁(サクレ・ムーロ)」は内側からの攻撃に対する防御に特化したものである。

 つまり、対象を閉じ込めるためには「澄んだ聖壁(サクレ・ムーロ)」の方が条件に適した魔法なのである。



「ふぅ……。……し、暫くそこで大人しくしていて下さいっ!」


「はぁっ!?」


 長剣を振り上げる余裕さえない空間へと閉じ込められたヨティは目を見開いたまま、不満を爆発させるように叫んだ。


「おい! 何だよ、これっ!?」


 ヨティは自らを閉じ込める光る透明な壁を、長剣を持っていない方の拳で何度も叩く。

 だが、エリックは結界から出ようと荒い言葉を吐くヨティを無視して、彼に背を向けてから走り出す。


「――っ、おい! てめぇ! 卑怯だぞ!!」


 エリックの後ろから怒号が叫ばれるが、それでも彼女は振り向かずにヨティの木製の人形向けて駆け抜けていく。

 ヨティが攻撃だけに集中していたおかげで、彼の木製の人形を守るものは何もなかった。


「おい、くそっ……!」


 狭い結界の中で炎系統の魔法を使えば、すぐに酸素はなくなると思ったのだろう。ヨティは長剣を纏っていた炎をすぐさま消し去った。


「このっ……!」


 ヨティは長剣の刃先を結界へと突き当てる。


「――風斬り(ヴァン・ラーマ)!!」


 結界に直接、魔法を放ち結界を破る気でいるらしい。エリックの結界が破れてしまえば、彼女が守っていた木製の人形は、今は丸裸の状態であるため勝敗はすぐについてしまうだろう。


 だから、エリックは迷うことなくヨティの木製の人形に向かって走っているのだ。自身の形成した結界が破られるよりも前に、この試合の勝敗の決め手を先に取るために。


「くそっ……。風斬り(ヴァン・ラーマ)!」


 一方で、ヨティの方も結界からの脱出を諦めていないらしく、何度も繰り返し魔法の呪文を叫んでは光る透明な壁に攻撃を重ねていた。

 

 だが、そこで予想していない事態が起きた。ヨティの木製の人形に向けて走っていたエリックが足元を見ていなかったせいで、その場でつまずいてしまったのである。

 エリックは前転するように派手に土埃をあげながらその身を土の上へと転がしていく。


 ……エリック!!


 アイリスは叫びたいのを我慢して、エリックが立ち上がるのを待ち続けた。


「あぁっ! このっ……風斬り(ヴァン・ラーマ)!」


 何度目か分からない風斬り(ヴァン・ラーマ)を放ったことで、ヨティはついにエリックの結界にひびを入れることに成功する。



 このままではエリックの結界が破かれてしまう。しかし、エリックは地面に身体を付けたまま、起き上がることはない。



   


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