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撫でる


 真っ赤になって狼狽しているアイリス達を見て、エリオスは穏やかな瞳でふっと息を漏らすように笑う。


「そういうところはまだ、子どものようだな。まぁ、今まで恋人なんて言葉さえ、眼中になかったから、当たり前か」


「まだ、子どもで悪かったわね!」

 

 冗談と本気を半分ずつ含めたからかいだと分かっているため、返事の仕方に困るではないかという表情でアイリスは小さくエリオスを睨むが、全く効果はないようだ。


 確かにエリオスの言う通り、アイリスは色恋沙汰には全くと言っていい程、興味もなかったし、縁もなかった。それはクロイドに出会うまでの日々を剣術の鍛錬だけに費やしてきたからである。


 さらにいうなれば、「真紅の破壊者クリムゾン・クラッシャー」と呼ばれて恐れられていたこともあり、異性から好意を持って話しかけられる機会などまるで無かったことも理由に上げられるが、それをわざわざ言う必要はないだろう。


「だ、大体……結婚なんてまだ、先でしょう!? 私達、一応学生なのよっ?」


 裏返った声で反論するとエリオスは少し呆れたように、短く溜息を吐いた。


「だが、いつかは来ることだ。心持ちくらいはしっかりしておかないと、来たるべき日の際には動けなくなってしまうぞ。――なぁ、クロイド」


「……どうして、俺に振るんですか」


 まだ、顔を赤らめたままクロイドは恨むような声で小さく呟く。


「こういう時は、男が紳士的かつ順序を踏みながら押していくことをお勧めする」


「なっ……。何を言っているんですか、エリオスさん!」


 クロイドにしては珍しく、慌てふためいているが、エリオスの言っている内容がよく理解出来なかったアイリスだけは首を捻っていた。


「……冗談だ。君は本当にからかい甲斐があるな、クロイド」


 どうやらクロイドは完全にエリオスにとって、からかう対象となってしまったようだ。

 確かに、普段から真面目なクロイドなら冗談を少し本気で受け取ってしまいそうなので、エリオスにとってはからかい甲斐のある性格をしているに違いない。


「冗談だが、アイリスは少し鈍いからな。分かりやすい行動で示すか、もしくははっきりと言わないと伝わらないこともあるぞ」


「……それは……分かっています」


 何が分かっているのだろうか。アイリスが首を傾げると、目の前のエリオスはどこか仕方ないものを見るような瞳で見てくる。


「クロイドも苦労するだろうな」


 ぼそりとエリオスが何かを呟いたが、アイリスには聞こえなかった。しかし、クロイドの方ははっきりと聞こえていたらしく、通常へと戻りかけていた頬を再び紅潮させていた。


「まぁ、二人で試行錯誤しながら、ゆっくりと進めばいい。……普段から傍には居てやれないが、俺はお前達の味方だからな」


 先程まで、何となく上機嫌に見える表情をしていたエリオスだったが、アイリス達の兄であるような頼り甲斐のある表情へと変えていた。

エリオスは両手をアイリスとクロイドの頭へとそっと置いて、優しく撫でて来たのである。


「……」


「何かあれば、すぐに頼って来い。全力で力を貸そう」


 エリオスの穏やかな瞳が二人を映す。アイリスとクロイドは顏を見合わせてから、エリオスに向けて同時に頷き返した。


「……さて、この後に二人の試合もあるんだろう? こっそりとだが、応援席から見守ることにしよう」


 エリオスは二人の頭に置いていた手をそっと離す。


「こっそりと?」


「あぁ。……俺が前へ出ると、何故か周りに人だかりが出来てしまうんだ。おかげでゆっくりと試合を観戦することも出来ないからな」


 エリオスは真顔で不思議だと言わんばかりに腕を組みながらそう言った。どうやら彼は自身が女子に人気があることを知らずにいるようだ。

 恐らく、それを教えても色恋沙汰に興味のないエリオスの性格からすれば、何を言っているんだと言いかねないため、アイリスは黙っておくことにした。


「それじゃあ、またな。試合、楽しみにしているぞ」


「えぇ、また……」


「お疲れ様です」


 アイリス達に軽く手を振りつつ、エリオスは人込みの中へと颯爽と姿を消していく。それを見送ってから、アイリス達は再び、エリックの試合を見に行くために歩み始めた。



「……エリオスさんの冗談は本当に心臓に悪いな」


「ふふっ。でも、兄さんの表情を観察していれば、そのうちすぐに冗談を言っているんだって分かるようになるわよ」


「そうだと良いんだけれどな……」


 さすがに冗談を言われ慣れていないクロイドは、気疲れしたように溜息を吐く。


「……だが、兄がいればあんな感じなのだろうかと、ふと思った」


「あ、クロイドもお兄さんだものね」


 クロイドは双子の兄弟の兄だ。身の回りに兄のような存在がいなければ、弟のような立ち位置で甘えたり、頼ったりすることは無かったのかもしれない。


「兄さんも……異母兄弟のジーニス・ブルゴレッドのことはあまり、弟のようには思っていなかったみたいだし……。もしかすると、クロイドのことを親しみやすくて、からかいやすい弟みたいに思っているのかもしれないわね」


「……それは喜ぶべきなのか迷うな……」


 血がつながった親兄弟でさえ、エリオスは心底嫌っていた。あまり、兄弟というものを強く認識したことはないのかもしれない。

 それでもエリオスはアイリスのことを実の妹のように扱ってくれるし、アイリスもまたエリオスのことを兄のように接していた。


 そして、先程のエリオスの様子から見るに、クロイドも目をかけるべきもう一人の弟として接しているのではないか、とアイリスは密かに思っていた。


「あ、言っておくけれど、兄さんは気を許している人にしか冗談を言わないわよ?」


「……初対面の時でさえ、冗談を言われたんだが?」


「それは……多分、私が兄さん宛の手紙にあなたのことを書いて……」


 そこでアイリスは立ち止まり、しまったという顔をして、自らの口を右手で塞いだ。クロイドには秘密にしておいたことを喋ってしまいそうになったからである。


 以前、エリオス宛の手紙に新しい相棒が出来たという旨を送っていたが、それを少しだけクロイドには伝えていた。

 だが、手紙の内容はどんなものを書いているかをクロイドには秘密にしているため、危うく喋ってしまいそうになったのだ。


「アイリス?」


 何かを確認するような、そんな口調でクロイドが一歩アイリスへと近付いてくる。


「なっ、何でもないわ! ほら、もうすぐ次の試合が始まるみたいだし、早く試合会場に行かないと……」


 焦った様子を見せてはいけないと分かってはいたが、ついつい表情に出てしまう。


 ……兄さんに送った手紙の内容を言えるわけがないわ。


 エリオスに送った手紙には、相棒になった当初はクロイドがどういう人物で、一緒にどんな任務をした、という事を長々と書いていた。そして、クロイドと恋人として付き合い始めた頃には、彼のどういうところが好きかなどを少しだけ書いてしまったのだ。


 ……我ながら恥ずかしい事をしてしまったわ。


 浮かれていたと言われれば、浮かれていたのだろう。思い合える相手がいると、心が少しだけ有頂天になってしまうようだ。


 もちろん、我に返った後で、その内容をクロイドには教えないで欲しいとエリオスには伝えてある。そして、手紙の内容をクロイドに伝える気は毛頭ないため、この場をどうにかして切り抜けるしか方法はないのだ。


「……アイリス」


 名を呼ばれて、アイリスは短く小さな悲鳴を上げる。別に悪い事を手紙に書いていたわけではないのだから、怒られる心配も怯える必要もないはずだ。

 しかし、自分の羞恥心がどんな感情よりも上回ってしまうことをクロイドに伝えるなど出来るわけがない。


「……それじゃあ、一つ賭けをしないか」


 顔を見上げると、何故か楽しげな表情のクロイドがそこにいた。口元は薄っすらと笑っているが、その笑みは悪戯をする前の子どものようにも見える。


「か、賭け……?」


「お互いの部門で、どちらが高い順位に上がれるか勝負しないか? 順位が高い方が負けた方に一つ、お願いを聞いて貰えるというのはどうだ?」


 彼にしては珍しい勝負の持ち掛け方である。だが、その裏に何かがあると察知していたアイリスは一歩後ろに下がって、上目遣いで訊ねた。


「……もし、あなたの順位の方が高かったとして、私に何をお願いするつもりなのよ」


 するとクロイドは柔らかい笑みを見せて、彼の人差し指をアイリスの口元へとそっと添えた。


「それは秘密だ。……まぁ、負けるつもりはないけれどな」


「っ……」


 そう呟いた時のクロイドの表情が一瞬だけ、普段とは違う大人っぽいものに見えて、アイリスは再び顔を紅潮させる。

 これは何か、自分が恥ずかしくなるようなお願いをされてしまう気がして、アイリスは頬を膨らませて、抗議の意味でクロイドを小さく睨む。


「絶対に、負けないわっ! クロイドよりも良い順位に勝ち上がって、美味しいものを奢ってもらうんだから!」


「ふっ……。……怪我しないようにだけ、気を付けろよ?」


 そう言って、クロイドは彼の右手でぽんっとアイリスの頭を優しく撫でて来る。その手の柔らかさはやはり、エリオスから撫でられるものとは別物のように感じられる。

 優しく、大事に触れている。そんな柔らかな撫で方に心地よささえ感じる程だ。


「……もうっ、行くわよ!」


 これ以上、頭を撫でられてしまうとその心地よさの虜になってしまいそうだ。それにここは公共の場所であるため、あまり人目があるところで赤面はしたくはない。


 アイリスは鼻を鳴らしながらそう言い放つと、クロイドは小さく苦笑していた。どうやら、エリオスだけでなく、クロイドも自分をからかうのは得意なようだ。


「先輩達も待っているだろうし、そろそろ行くか」


「……えぇ」


 アイリスは頷き返し、再び目的地を目指して二人並んで歩き始める。


 ……この動悸、早くおさまらないかしら。


 心臓がずっと早く動いたままで、中々穏やかになってくれそうにない。自分の試合はまだ後だが、どうにかそれまでに通常の脈拍数に戻しておきたいとアイリスは密かに溜息を吐くしかなかった。



   

この度、「真紅の破壊者と黒の咎人」が100万字を突破致しました。ここまで長く書き続けられたのは、読んで下さった方々のおかげだと思っております。

長く、ずっと読んで下さり、ありがとうございました!慢心せずにさらに、面白く楽しく書けるように努めていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします!


そして、活動報告の方で100万字突破を記念して、登場人物達の集合絵を描いてみました。お目汚しになるかもしれませんが、気になる方はどうぞご覧くださいませ。

本当にありがとうございました!!


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