後輩
武闘大会は今日と明日の二日間行われる。今日は予選の試合が行われ、明日が予選を勝ち抜いた者による本戦と決勝戦が行われるのだ。
もちろん、二日間の間に通常任務がある参加者もいるが、その辺りは任務の時間と試合の時間が被らないようにちゃんと調整されている。
しかし、人数の少ない魔具調査課に至っては、前日までに早急に終わらせなければならない任務は済ませてあるので事実上の二日間の休みとなっていた。
その理由としては所属している8人のうち6人が参加するからで、課長であるブレアの気遣いによって心置きなく武闘大会を楽しめるように、仕事の調節はされているのだ。
「さーて、今年はどれくらいの順位まで勝ち上がれるかねぇ。まぁ、優勝する気ではいるけれど」
楽しみ過ぎて笑いが堪え切れないのかナシルは悪役のような笑い声を上げる。
ブレアとの決起集会が終わったあと、魔具調査課の全員で廊下を移動しつつ、開会式が行われる外の運動場へと向かっていた。
この大会の会場は、魔法部門の試合が行われる運動場と武術部門が行われる訓練場の二か所となっている。
教団に所属しているほとんどの者が参加するため、訓練場では全ての人数が入りきれないことから、運動場で開会式と閉会式は行われていた。
「去年は確か、魔法課の人に負けていたよね、ナシル」
思い出したようにミカが呟くとナシルはかっと目を見開かせて、己の両拳をミカのこめかみへとねじ込んだ。
「ミ~カ~?」
「痛いっ! ちょ、何で!? 痛いってば!」
「後輩が居る前で、あんたはどうしてそんな事を言うかなぁ~?」
容赦なくミカのこめかみに拳をねじ込むナシルは黒い笑みを浮かべている。
「だって、負けたのは本当のこと……痛いっ! 頭が割れるからっ!」
「だからって、去年負けたことをわざわざ言わなくてもいいだろう! 先輩は! 常に! 後輩の前で! 恰好良くいたいんだよ!!」
どうやらそれがナシルの本音のようだ。後輩である自分達の前では負け姿を見せたくないらしい。
確かに自分にとって親しい人の前では、自分が恥ずかしいと思う姿は晒したくないものだろう。
アイリスだって、クロイドの前では誰かに負けたくはないと思っているため、ナシルの言葉に心の中で同意した。
「まぁ、その気持ちは分かる」
「そうねぇ、今年からは可愛い後輩が二人もいるんだもの。格好良いところを見せたいわ」
ミカのこめかみに向けてねじ込まれ続けるナシルの手を止めないまま、同意するようにレイクとユアンが何度も頷いている。
「格好良いところを見せたいのは分かるけれど皆、怪我には気を付けてくれよ……?」
参加する面々が心配なのかセルディが溜息交じりに全員を見渡す。
「セルディ。本当に今年は……参加しない?」
セルディの隣を歩いていたロサリアが小さく首を傾げる。
「うん。あわよくば参加しようと狙っているブレア課長の見張りもしなきゃいけないからね。それに僕自身としては試合とは言え、人と争うのは苦手だから」
確かに紳士的で穏やかなセルディの性格からしてみれば、争いは好まないだろうと思っていた。
ロサリアはそう、とだけ短く呟き視線を真っ直ぐ前へと戻す。あまり表情や感情が動かないロサリアだが、セルディが武闘大会に参加しないことを少し残念に思っているのかもしれない。
「……アイリスは去年、どのくらいまで勝ち残ったんだ?」
隣を歩いていたクロイドが声を抑え気味に訊ねて来た。
「私? ……去年は武術部門で16位だったわ。最後は優勝候補と言われていた魔物討伐課の人と戦って、負けちゃったけれど」
苦笑しながら答えるとクロイドの表情は幾分か緩やかなものとなった。
「試合相手、そんなに強かったのか?」
「えぇ。こっちが細身の長剣に対して、相手が大剣使いの火力重視の人だったから、剣の相性が悪かったのもあったけれど……」
今、思い出しても何度も後悔する試合だった。大剣とは言え木製の試合用だと油断していたことが主な要因だろう。
受け止めきれると思った相手の大剣はこちらが思っていた以上に重たい一撃だったのだ。
自分の獲物だった長剣で攻撃を防ごうとお互いの剣を交えた瞬間、真っ二つに折れてしまったことで勝敗は決まった。
……何度でも思い出すわ、あの感覚。
一撃があれ程、重いと感じたのはブレアの剣の一撃以外では去年の試合相手が初めてだった。あの時の感覚を忘れないようにとアイリスは右手を開いては閉じる。
「今年は絶対に勝つわ」
息巻くようにアイリスが鼻をならしながらそう言うと、クロイドは小さく肩を竦めて笑った。
「……怪我はしないようにな。部門は違うが、応援には行くから」
「クロイドこそ、初めての大会だから油断しないようにね」
お互いに健闘をたたえ合っていると真後ろから自分達の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「――アイリス先輩! クロイド先輩っ!」
軽やかな声にアイリスとクロイドは立ち止まり、同時に振り返る。
そこには大きく手を振りながら駆け寄って来る魔的審査課のエリクトール・ハワードがいた。この前の任務以来なので、10日ぶりくらいの再会だ。
一つにまとめた栗色の髪が、エリックが走るたびに大きく揺れる。
「エリック!」
「先日ぶりです、先輩」
「……エリックも大会に参加するのか?」
エリックはアイリス達に追いつくと肩で小さく息をしながら、クロイドの問いかけに対して首を縦に動かした。
「はいっ! ……魔法部門で参加するのですが、正直に言えば自分の魔法がどこまで通用するか不安で……」
「あら、あなたの魔法ならどこまででも通用すると思うわ。ちゃんと落ち着いて、相手を見極めれば、きっと上手くいくはずよ」
アイリスの言葉は世辞ではない。エリックは人見知りが激しく、あがり症であるが魔法に関する知識は他を圧倒させる程に豊富だ。
「が、頑張りますっ」
アイリスから励ましの言葉を貰ったことでエリックは気合が入ったらしく、不安そうだった瞳は少しだけ輝いたように見えた。
「お、誰だその子?」
「可愛いわねぇ~。どこの課かしら」
年下の後輩に興味があるのか、先を歩いていたレイクとユアンが立ち止まり、同時に振り返る。
「魔的審査課のエリクトール・ハワードです。この前の任務で一緒だったんですよ」
「あぁ、ハワード課長が押しつけて来た例の件か」
アイリスがエリックを紹介すると、レイクが苦い表情をしながら頷く。
「あら、ハワードの名前なら、もしかしてハワード課長の親戚筋の子かしら?」
「は、はひっ……」
まだユアン達には慣れていないらしく、返事をしたエリックの声は裏返っていた。
「あの、ハワード課長は私の叔父、です……。え、エリックと申します」
「まぁ、そうなの~。素直そうで可愛いわぁ~」
ユアンはさっそくエリックの事が気に入ったのか満面の笑みで茶色の頭を撫で始める。
「はわっ……。あ、あのっ……」
撫でられることに慣れていないのか、エリックは困惑と驚きが入り混じった表情のままアイリス達の方へと顔を向ける。
助け船を求めているらしく、エリックの両手は空を掴むように上下に揺れていた。
アイリスとクロイドはお互いに顔を見合わせて苦笑し合い、小さく頷く。
「……ユアン先輩、そろそろ行かないと」
「ナシル先輩達、先に進んでいますよ」
軽く指をさせば、こちらが立ち止まっていることに気付いていないナシル達四人の背中はすでに小さいものとなっていた。
「あら、私ってば……」
「ユアンは小さいものとか、可愛いものを見ると時間を忘れるからなぁ~。……それじゃあな、エリック」
レイクが最後にぽんっとエリックの肩を叩いてから背を向ける。
「またね、エリックちゃん。大会に参加するなら、応援しに行くわ」
ユアンは片目を瞑り、軽く手を振りながら先に行ったナシル達を追いかけるように駆け足で去っていった。
その場にアイリスとクロイド、エリックだけが取り残される。




