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見せしめ

※流血・暴力表現が含まれています。苦手な方はこの話を飛ばして下さって構いません。


 ――ブリティオン王国 とある貴族の屋敷。




 鼻だけでなく、この空間全てを埋め尽くすのは馴染んだ匂いだった。室内を覆う空気は全て強い匂いへと変えられている。


 大事に使われて来たであろう古い机と椅子も全てが自分にとって馴染みのある色へと染まっていた。月明かりだけで照らされている室内は夏場だというのに、氷の上のように涼しかった。


「……」


 黒い外套で身を包んだセリフィア・ローレンスは兄であるエレディテルの一歩後ろからその現状を静かに眺めていた。


 兄の横顔は自分とそっくりだが、その瞳は宵闇の中でも分かる程に爛々と光っている。

 その血走った瞳さえも美しいと思ってしまい、セリフィアは少しだけ目を背けて、自分を包むように両腕で身体を抱いた。


「……ぐ、ぁ……っ」


 呻き声を上げるのはこの屋敷の持ち主であるラザック男爵だ。歳が五十手前の彼は、自分達ローレンス家の遠縁の人間であり、魔法使いでもある。


 恰幅の良い身体の腹部に深々と刺さっているのは氷で作られた剣だ。その剣を右手に持ち、ゆっくりと痛みを味わわせるようにエレディテルがラザックの腹部へと突き刺していた。


「……馬鹿だな、ラザック。俺が言う事を聞かない人間が嫌いなことは知っていただろうに」


 エレディテルの嘲笑の声が部屋に響く。


 もう一度、強く剣を押し込めるようにラザックの腹部へと突き刺してから、エレディテルはラザックが伸ばす手から届かない場所まで下がった。

 歩くたびにエレディテルの黒の革靴がびちゃりと生々しい音を立てていく。その血はやがてセリフィアの足元まで届いてきた。


 ……この人ももうすぐ死ぬな。


 エレディテルに歯向かって、生きていた人間はいない。ブリティオン王国のほとんどの魔法使いは自分の兄に背くことは出来ない。


 それは彼がブリティオン王国で最も高い魔力を持っている上に、ローレンス家の祖の「ローレンス」という強大な力を持った魔法使いの末裔であり、生まれ変わりだと言われているからだ。


 恐れの上に恐れを積み重ねていき、エレディテルの通った後は彼に背いた人間の血によって赤い足跡が出来ていると噂されている程に自分の兄はあらゆる魔法使い達から恐れられている。


 今、目の前でもがいているラザックはそんな噂が流れている兄に背いてしまった愚かな人間なのだ。


 こちらの要求を受け入れなかったラザックに対して、今日はエレディテルが自ら、彼に対しての最終確認に来たのだが、ラザックはやはり受け入れなかった。

 その場合はこうやって制裁が下るだけだ。


 ……誰も、止められない。止めることは出来ない。


 正しいのはエレディテル、それだけだ。


 歯向かえばどうなるか分かっているはずなのに、たまにこうやってエレディテルの意思に反してしまう人間がいる。そんなこと、あってはならないのだ。


「こ、の……下種がっ……」


 ラザックは腹部に突き刺さった剣に手を添えつつ、前のめりに折っている身体をどうにか動かそうと身じろいでいた。


「お前が快く、頷けばこんなことにはならなかったんだがな」


「誰が……お前らの、くだらない実験の……道具にされるものか……!」


 吐いた血がラザックの白いシャツを赤く塗りつぶしていく。ラザックはまだ抵抗出来ると思っているらしく、こちらを睨み続けていた。


「お前らが……行おうとしていることは、この世のっ、全てに……反することだ……!」


 息を荒くしながら、ラザックは言葉を紡ぐ。その様子をエレディテルは冷めた瞳で見下していた。


「上手くいくものかっ……! 絶対に、上手く……」


「まぁ、別に許可なんていらないんだけどな」


 ラザックの言葉に興味がないと言わんばかりにエレディテルは呟く。


「俺は己が持つ慈悲で選択肢を与えているだけだ。その身を俺に捧げるか、俺に背いて命を奪われるか――それだけだろう?」


「このっ……」


 ラザックの瞳が大きく見開かれ、歯ぎしりするように血で染まった歯が一度大きく噛み鳴らされる。


「何が、ローレンス家だ!! この、人殺し共め! 地獄に落ちれ! 永劫の深みに、その身を落とし込め!」


 ラザックの最後の抵抗なのだろう。大声で叫んだ瞬間、彼は隠し持っていたナイフをエレディテルに向けて、投げ放ったのだ。


「っ! 兄様!」


 咄嗟にセリフィアはエレディテルの前へと飛び出て、壁となる。両手を広げて、エレディテルを庇うようにセリフィアは自らを盾とした。

 銀色に光るものが目の前へと近付く。それがとてもゆっくりに見えた。


「……」


 鈍い音がその場に響く。ラザックが投げたナイフはセリフィアの額へと真っすぐ刺さっていた。細い痛みが額を襲い、ふき出した血はセリフィアの顔を真っ赤に染めていく。

 それでもセリフィアの海よりも深い色の瞳はラザックを睨むように目を細めていた。


 額にナイフが刺さっても、瞬き一つしないセリフィアをおかしいものでも見るような瞳でラザックは口を開けたまま見つめている。その身体は震えていた。


「――本当にどうしようもない奴だな、お前は」


 エレディテルがわざとらしい溜息を吐きながら、セリフィアの額に刺さっているナイフをすっと抜き取った。

 彼の右手に掴まれた細いナイフは銀と赤の色が混ざり合うように輝いている。


「ご苦労、セリフィア」


「……はい」


 セリフィアは短く返事をしてから、再びエレディテルの後ろへと下がって控えるように佇んだ。額から血が溢れているがそれさえも気にしないまま、目の前に立つ兄の背中を眺める。


 ……褒められた。僕、ちゃんと兄様のお役に立てたのかな。


 喜びによって沸き上がる感情を押さえ込み、表情は氷のように動かさないまま、セリフィアの視線は再びラザックへと向けられる。


「お……お前らはおかしい……化け物……化け物だ……」


 ラザックが血を吐きながら動揺した表情のまま首を横に動かしている。こちらを恐ろしいものを見るような瞳で震えているラザックをエレディテルは馬鹿にするように嘲りの笑みで見ていた。



 すると、部屋の唯一の扉が大きく開かれる。扉の向こう側の廊下は電気が点いているらしく、暗かった部屋に明るさが少しだけ差し込んできた。


 だが、扉が開けられたと同時に、床に何か重いものが投げ捨てられたような音が響く。


「――はぁ、子どもってのは、煩い生き物だぜ」


 エレディテルが器となる身体を与えた悪魔、混沌を望む者(ハオスペランサ)が肩を鳴らしながら室内へと入って来る。彼の白い肌が赤く染まっていることから、仕事が終わったのだと告げていた。


「何人いた?」


「子どもを合わせて5人だったな。どれも魔力持ちだったぜ?」


 終わったことに興味はないらしく、ハオスは背伸びしながら彼の足元に転がっている何かを強く蹴った。


 その重い何かが、ラザックのすぐ傍まで転がってきて、彼は今まで一番大きく目を見開いて叫んだ。


「ファストっ!?」


 ハオスに蹴られ、転がって来たのは齢10歳くらいの子どもだった。その小さな身体は赤に染め上げられており、ラザックの絶叫を聞いても子どもの目が開くことは無い。


「あぁぁああっ!! うあああぁっ……!!!」


 絶叫しながら、ラザックは震える手を赤く染まった子どもへと伸ばす。彼の子どもなのだろう。涙を流しながらラザックは血が漏れだすことさえ忘れたかのように、自分の右手を伸ばし続けた。


「……お前が俺の要求を快く受けて入れば、もう少し長生き出来ただろうな」


 エレディテルの言葉は慰めではない。ただの事実を淡々と述べているだけだ。それは彼の表情を見ればすぐに分かる。


「さて、見せしめは終わった。あとは材料を確保するだけだ」


 エレディテルは持っていたナイフを一度、指で弾く。空中で数回転したナイフに向けて、彼が左手に持っていた杖を軽く振ると、ナイフは自分の意識を自覚したように動きを空中で止めた。


 遊んでいるのか、狙いを定めているのか、エレディテルはナイフの動きを止めたまま中々放たない。


「ふぁ~。やっぱり、まだ身体が本調子じゃないな……。エレディテル、この付け足した腕って何年物だ?」


 ハオスが場に似合わないくらいのお道化た声のままで欠伸をする。


「確か、12歳くらいの少女だったな。魔力無し(ウィザウト)の腕のはずだ」


「あぁ、通りで少し扱い辛いと思ったぜ」


 先日、イグノラント王国へと行っていた彼は戦闘により負傷したらしく、その身体は全て新しい部位へとエレディテルによって変えられていた。

 新しい身体に感覚が掴み切れていないらしく、ハオスは何度も腕を動かしている。


「それで、この屋敷は燃やすのか?」


「そうだな。まぁ、お前の新しい実験場にしても構わないぞ。結界さえ張れば誰も、こいつらが死んだことには気づかないだろうからな」


 エレディテルとハオスは血の海の上に立ったまま、何事ともなく話を続ける。


「なぁ、エレディテル。そろそろあの実験、やってもいいか?」


 子どもが新しい遊びを思いついたような表情でハオスがにやりと笑っている。


「あぁ、博士の研究、共同でやっているんだったな。お前の好きにするといいさ。少々、掻き回した方が面白いだろう。それに圧力もかけられるからな。ついでに向こうの結界の強度がどれくらいのものなのかも調べておいてくれ」


「了解。……いやぁ、博士が面白いものを作ったから、早く実験したくってさぁ。でも、一気に実験結果を回収したいから、それなりに魔力持ちが揃っているところじゃないと」


「だから教団か」


 エレディテルが呟いた言葉にセリフィアは何となく反応してしまいそうになる。


 ……駄目だよ。僕の役目はもう終わったんだから。あとは兄様の言う事を聞くだけだもの。


 ひと月程前に、イグノラント王国へ訪れた際、自分は斥候として情報を収集しなければならなかった。 もちろん表向きは違う理由で訪れたのだが、イグノラントの人間は深く自分を疑うことなく、受け入れてくれた。


「セリフィアのおかげで、教団内の構図や王国がどういう仕組みになっているのかも、ある程度調べが付いたからな」


 そう言ってエレディテルが自分の方へと向き直り、喜ばしいものを見るように笑ってくれた。この笑顔を見るために自分は生きている。


 エレディテルがセリフィアに向けて軽く杖を振ると、ラザックによって深々と開いていた額の傷は少しずつ閉じていき、最初から傷が無かったかのように、セリフィアの額は綺麗な状態へと戻った。


「兄様、ありがとう」


 エレディテルが珍しく、自分を思い遣った行動してくれたため、セリフィアは嬉しくて堪らなかった。


 自分の唯一の肉親であり、敬愛すべき人。彼以上に想う人間などいない。

 全ては兄であるエレディテル・ローレンスのため。この身、この心、全てが彼のためにある。


 それなのに――。


 ……アイリス・ローレンス。

 

 自分の遠い親戚であり、イグノラント王国のローレンス家の最後の末裔。


 彼女とはイグノラント王国と嘆きの夜明け団について、色々と調べるために暫くの間、一緒に行動していた。

 アイリスは自分が兄の花嫁探しに来たという理由を信じ切って、別れる最後まで友人として接してくれていた。


 利用したというのに、アイリスは自分を疑うことがないまま、笑顔で傍に居てくれた。記憶の中にアイリスの笑った表情が残っている。


 ……この気持ちは、何? 僕は彼女に対して何を抱いているの?


 分からない。

 アイリスに対して、自分がどういう気持ちを抱いているのか、何も分からないのだ。


「――それじゃあ、そろそろ終わろうか」


 そう言って、エレディテルは空中で動きを止めたままのナイフに向けて杖をもう一度振った。

 動きを得たナイフは勢いをつけたまま、ラザックが子どもへと伸ばしている手の甲に向けて突き刺した。


「がぁっ……!?」


 ラザックの鈍い声がその場に響き、彼の腕は床の上から動かなくなってしまう。手の甲にはナイフが深々と突き刺さっており、彼の手が転がっている子どもに届くことは無かった。



「セリフィア」


 名前を呼ばれたセリフィアは呻き声を上げているラザックから視線を逸らして、エレディテルの方へと身体に向きを変える。


 自分と同じ顔のエレディテルが薄っすらと笑みを浮かべていた。美しい笑顔は妖艶で、そして――その恐ろしさに震えてしまいそうだ。


「6人分の片付け、頼んだぞ。――セリシィフィオーレ」


 エレディテルがセリフィアの真名を呼んだ瞬間、身体の中に何か熱いものが巡っていく。

 頭から、手の先、足の先、臓器の全てを自分の中にある何かが巡っていくのだ。


 ……あぁ、またか。


 少しずつ意識が遠のいていく。自分が、自分ではなくなる瞬間。その間、自分ではない何かの時間帯に起こしたことの記憶は何も覚えていない。


「――はい、兄様」


 セリフィアは口元を緩めて、和やかに笑う。可憐な声に重なるもう一つの声は暗闇の中へと溶けるように消えていった。



   

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