光の粒
アイリスが突き刺した「清浄なる牙」によって浄化されていくレイスは穏やかな表情をしていた。
光の粒となって、その姿はゆっくりと宙に溶けるように消え去っていく。最後の光の一粒が消え去った時、アイリスは自分の胸辺りを左手で強く鷲掴みにした。
「……」
胸に残った感情を何と呼べばいいのか分からなかった。
ただ、レイス達に対する悲しみと虚しさだけが生まれていた。望まぬ身となった彼らを自らの手で見送った今、紡げる言葉は何もない。
完全に消え去ったレイスの向こう側に、エリックが何とも言えない表情でこちらを見ていた。それは戸惑いでもあり、苦しさを含んでいるような表情だった。
彼女も自分と同じような気持ちになっているのかもしれない。知らない相手に同情するこの気持ちを理解してくれるだろうか。
すっと、最後の一体と対峙しているクロイドの方へ視線を向ける。
「――静寂なる束縛」
教会内に静かな声が響き、クロイドがレイスに向けて、対霊の束縛魔法をかけた。
レイスはクロイドに束縛魔法をかけられて、一瞬だけ動きが止まったかのように見えた。
しかし、こちらが思っているよりもレイスの魔力は強いのかクロイドの魔法をすぐに自力で解いてしまう。
それがいかに有利なことなのか分かっているらしく、壇上に立っているラザリーは優越感に浸っているような余裕の笑みをこちらに向けていた。
……最後の一体。
アイリスはふっと短く息を吐き、踵を三回鳴らした。
心は凪のように穏やかだった。
今の自分なら、迷うことなくレイスを手にかけることが出来る。
「……クロイド。一瞬だけでいいから、もう一度魔法を」
アイリスの言葉に返事するようにこちらに背を向けたままで、クロイドが右手を軽く上げる。
クロイドがもう一度、宙に浮かぶレイスに向けて両手をかざした瞬間、アイリスは思いっきりに地を蹴った。
「静寂なる束縛!」
再び、クロイドにより束縛魔法を受けたレイスはその身体を石のように固める。
……今だわ。
今いる場所から一気に駆け抜けて、クロイドに身体が触れる手前で強く地を蹴るように宙へと跳んだ。
その一瞬のうちに、レイスにかけられていた束縛は解かれてしまう。
だが、アイリスには十分すぎる一瞬だった。
隙を見せないまま、レイスの真正面へとアイリスの身体は浮かび上がる。
こちらに魔法を放つつもりだったのか、レイスは右手をこちらにかざそうとしていた。
しかし、レイスは敵である自分が迫ってきているというのに、途中で手を止めたのだ。
「……っ」
そして、レイスの表情を真っすぐと見た。表情は笑っていないのに、その瞳は何故か笑っているように見える。
その笑みがどういう意味を含んでいるのか分からない。ただ、あまりにも嬉しそうに笑っているように見えてしまったことが、強く心に残ってしまう。
目の前のレイスに対して、まさった感情は悲しみだった。
アイリスは唇を一文字に結んで、右肘を後ろへと引く。そして、動くことはないレイスの胸に向けて、短剣を突き刺した。
しっかりとした感触はないはずなのに、短剣から伝わるのは生々しい感触だった。
レイスの身体へと突き刺した短剣を斜めに斬るように振り下ろす。
宙に浮いていたアイリスの身体はそのまま壇上の上へと何事もなかったかのように着地した。
背後が淡く眩しいのは浄化されていくレイスから発生している光の粒によるものだ。その仄かな光はやがて暗闇に溶けて行き、見えないものとなっていく。
その儚い光は魂が消えゆく光だ。
それなのに、美しいと思えてしまうのは何と虚しいことか。
「……」
アイリスは一度、強く目を瞑り、そして同じ壇上に立っているラザリーの方へと身体の向きを変えた。
ラザリーはどこか不満げな顔でこちらを見ている。
「……あらあら。ちゃんと斬れるのね、人を」
嫌味っぽく彼女はそう呟き、わざとらしく溜息を吐いた。
「……これであなたの手駒が何であろうと、効かないことが分かったでしょう?」
本当は死者の魂を斬ることなんてしたくはない。
だが、こう言っておかなければラザリーは別の霊体を召喚するに違いないため、弱みを見せるわけにはいかなかった。
「……失敗作だって言っていたから、どんなものかと思っていたけれど、本当に大したことないレイス達だわ」
「……」
自分の手駒として扱っていた魔法使いの霊達をまるで消耗品が切れたような呟きに思わず噛み付きたくなるが、それをぐっと抑えた。
それよりも、ラザリーの呟いた失敗作という言葉が何となく引っかかったのだ。
「でも、最初からこうしておけば良かったわ。――束縛せよ」
ラザリーが不気味な笑みを浮かべて、その呪文を唱えた瞬間、アイリスの身体は動かないものとなった。
動けるのは視線と呼吸だけとなり、指一本動かすことがままならなくなる。
「なっ……」
握っていた短剣が自分の足元に軽やかな音を立てながら落ちる。
「っ……。ラザリー……!」
真っ直ぐと視線だけ動かすと楽しそうに口元を緩ませているラザリーがいた。
「ふふっ……。声だけで対人魔法が操れるって凄いことなのよ?」
アイリスは視線だけ右後方へと向ける。そこには自分と同じようにラザリーの魔法にかかったクロイドとエリックがいた。
息をすることは出来るが、自分の意思で身体が動かない不自由さは何度か体験しているため、アイリスは慣れている。
しかし、エリックは対人魔法をかけられたことがないのか、再び目元に涙を溜めて悲痛な表情をしていた。
どうするべきか考えていた時、冷めたような声がその場に響く。
「――解放せよ」
クロイドから発せられる言葉を聞いた瞬間、石のように固まっていたはずのアイリスの身体に自由が戻って来る。
どうやらクロイドが束縛魔法を解いてくれたらしい。
右側を振り返ると、クロイドが冷めた表情で目を細めてラザリーを見ていた。
その近くにいるエリックは自分の身体に自由が戻ったことに安堵しているような表情で胸を撫でおろしている。
「……言っておくが、対人魔法はほとんど取得済みだ。それに俺は魔具無しでも魔法が使える」
クロイドの身体は魔犬の呪いによって、魔具という媒体が無くても魔力をそのまま魔法として具現化させることが出来るようになっているのだ。
それを知らなかったのか、ラザリーは何かを確かめるように瞳を細めて、クロイドを上から下までじっくりと眺めている。
一歩ずつ、クロイドはこちらに向けて近付いてくる。
「これ以上、対人魔法も降霊魔法も俺達には効かない。素直に身を引いてこちらに魔具を渡したらどうだ?」
「……」
アイリスはクロイドの言葉を耳に入れつつ、足元に落とした短剣を拾い上げる。
「……はぁ。嫌になるわ。私だけだと思っていたのに」
どこか独り言のようにラザリーは呟いた。
その表情は悔しさというよりも、諦めに近いものだった。




