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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
悪魔の人形編
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情け


 動き出したレイス達が真っ先に狙いを定めたのはアイリスだった。虚ろの表情がこちらを向いた瞬間に、踵を三度叩いて、アイリスはその場から後方へと跳び下がった。


「っ!」


 だが、後方へと着地した場所にはもう一体のレイスが頭上から覆いかぶさるように襲い掛かって来る。


 今度はそれを前転するように身体を床に転がせて、攻撃から身を躱した。流れるように素早く立ち上がり、二体のレイス達に短剣の刃を向ける。


「アイリス!」


 クロイドがすぐに駆け寄ってきて、ラザリーともう一体のレイスに隙を見せないように背中を合わせてきた。


「クロイド、援護を! エリックは……」


 はっと振り返るとエリックは涙を溜めて、震えていた。彼女の膝は小刻みに揺れており、立っているのがやっとと言った様子だ。


「あ……わ、わた……私……」


 まさか初任務で対人以外と対峙することになるとは思っていなかったのだろう。彼女の表情は恐怖で覆われていた。


「……クロイド、エリックに結界を張って、守ってあげて」


「分かった」


 アイリスの言葉にクロイドは素早く頷き、動けなくなっているエリックに攻撃が及ばないように防御結界の魔法をかけ始める。


 その間にもレイス達は口々に喚いて、こちらに向けて手をかざし始める。

 彼らの手からは魔法で生み出された炎が少しずつ形を成して、やがてそれは大きいものへと変わっていく。


「魔法も扱えるなんて、本当に厄介だわ……」


 こちらは生身である上に、彼らの相手を出来るのは対霊の魔法か、この「清浄なる牙」だけである。


 正直に言えば、あのような姿にされた魔法使い達の霊を可哀想だと思うが、操られている以上、こちらにとっては敵であることには変わりない。


 ……本当は戦いたくないのに。


 無理矢理に魂と身体を分離させられたのが本当ならば、レイス達には憐れみの感情しか浮かばなかった。


 だが、そんなことを思っているうちにレイス二体によって作られた巨大な炎の塊が目の前へと出現する。熱風があてられた身体にじわりと汗が流れていく。


「ちょっと! ここ、教会なんでしょう!? 物を壊す気なの!?」


 アイリスはラザリーの方に背を向けたまま、訴えるように叫んだ。


「あら、平気よ。この教会、凄く古いでしょう。村の人達が積み立てたお金が溜まったから、新しく建てなおすと言っていたわ。どうせ、取り壊される予定だもの。少々、傷が入っても大差ないでしょう?」


 つまり、自分達に容赦はしないと言っているようなものだ。


 目の前の炎の塊からじわりと伝わって来る熱にアイリスは息を止める。

 背中を守っていたクロイドがアイリスの顔の横からぱっと右腕を伸ばして、レイス達に手をかざした。


透き通る盾(クラルティ・ミューレ)


 炎の塊がこちらに向けて放たれる瞬間、見えない大きな壁が築かれる。自分達を守る盾に炎の塊は直撃し、熱は横に広がるように視界を埋め尽くしていく。


 赤い光景の向こう側では表情がないはずのレイス達が不気味に笑っているようにも映った。


「っ……」


 分散された熱が弾け飛び、その火の粉が鼻先を掠めていく。炎は燃やすものが空気以外にないせいか、次の瞬間には消滅していった。


 さすがは名のある魔法使いの霊ということだけあって、魔法の威力はかなり大きいもののようだ。


 だが、それ以上にクロイドの防御魔法の方が高かったため、何事もなく防がれたのだ。


 ……前に比べて、魔法の威力が上がっている気がするわね。


 クロイドが自分からは見えないところで魔法の鍛錬をしているのは知っている。魔法が使えない自分を補うように彼の魔法で支えてくれるのはかなり助かっていた。


 ちらりとエリックを見ると、彼女は涙を必死に抑えつつもまだ震えているようだ。ここは休ませておいてあげた方がいいだろう。



 だが、怯えているエリックにばかり構ってはいられない。少しでもラザリーとレイス達に隙を見せれば、やられてしまうのはこちらなのだ。


「ふふっ……。さぁ、どうするのかしら、アイリス・ローレンス。確かあなた、霊体とは言え人を斬れないんだったわよね?」


 挑発するようにラザリーが愉快そうに笑っていた。その姿はまるでレイス達と対峙しているこちらを観客席から眺めている趣味の悪いお客のようだ。


 アイリスは視線を巡らせる。


 クロイドによって作られた見えない盾の向こう側には二体のレイス。そして、ラザリーの一歩前へと出て、彼女を守るように立っている一体のレイス。


 クロイドに守られていてばかりでは彼の負担になるだろう。エリックは腰が抜けているため、一番動けるのは自分だけだ。


 ……覚悟を決めないと。


 レイス達は、元々は人間だ。しかし、ラザリーの手駒とされている今は明らかな敵である。


 魔物は躊躇いもなく殺せるというのに、こういう時だけ怖気づくのだから情けないと思う。

 それでも迷っていては、先にやられると分かってはいるのだ。


 ふっと息を吐き、激しく脈打つ心臓を静める。

 右手に掴んでいる短剣を強く握り直してから、アイリスはクロイドに耳打ちした。


「私はあの二体を斬るわ。だから、あなたはラザリーの方をお願い」


「何……」


 戸惑うような声色でクロイドが聞き返してくる。


「だが、君は……」


「やるわ」


 自分の背中を守るクロイドに向かって、はっきりと答える。


「やってみせるから」


 覚悟はしている。ただ、あと一歩の勇気が必要なだけで。

 憐れみと憂いだけでは、駄目なのだ。


「あ……、あの……。アイリス、先輩……」


 震える声でエリックが声をかけてくる。まだ涙も止まり切っていない状態なのに、彼女は何かを伝えようと必死に口を動かしていた。


「……」


 怯えているエリックを見て、アイリスは静かに確信した。自分が何を優先すべきか分かっているはずだ。


 死んだ人間に情けをかけて躊躇するよりも、それ以上に大事なものはある。


 アイリスは小さく笑みを浮かべて、小刻みに揺れているエリックの頭の上へと手を載せた。


「大丈夫よ。何も心配いらないわ」


 エリックの表情がまた、歪んだように見えた。彼女も力になりたいと思っているのだろう。

 だが、心が追いついて来ないせいで動けないだけだ。


 ……大丈夫。守るべきものは分かっているわ。


 アイリスは短剣を構え、踵を三回鳴らす。



 レイス達に対する情けはたった今、捨てた。



    



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