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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
安らぎの暇編
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黒い手帳


 夕食を食べ終え、温泉から上がったあと、アイリスはナシル達にカードゲームに誘われたため参加することにした。


 同じ数字のカードを二枚揃えて捨てていくゲームなのだが、最初に任意で一枚抜いていたカードと同じ数字のカードを持った人が負けとなっている。


 その最初に抜いていたカードと同じ数字の一枚を持っているのがどうやらナシルらしく、ロサリアがナシルの視線を窺いながら二枚あるうちの一枚を選んだ。


「あっ!」


 声を出したのは紛れもなくナシルだ。


「はい、上がりです」


 揃えられた二枚のカードをロサリアは山となったカードの上へと置いた。


「くそっ……。何で分かるんだ……」


 ただいま、三連敗目のナシルが頭を抱えながら唸った。


「……ナシル先輩、顔に凄く出ていますよ」


 ユアンが指摘するとナシルは嘘だと言わんばかりに表情を歪めた。


「おかしいな……。そんなことはないはずだが……」


 ナシルはそう言っているが、簡単に読み取れる程に表情の動きが活発だ。アイリスも彼女の手元に最後の一枚が残っていればすぐに見破れる自信はあるくらいだ。


「仕方ない。もう一回だ、もう一回」


 まだ懲りないのかナシルが山となったカードを手元に集めていると、部屋の扉が数回叩かれる。


「あら、誰かしら」


 部屋の借主であるユアンが立ち上がって扉を開けるとそこにはセルディがいた。



「やぁ、盛り上がっているところ悪いね」


「どうしたんですか、セルディ先輩。……あら、クロイド君も」


 セルディの後ろにクロイドの姿が見えたため、アイリスは何事だろうかと首を入口の方へと伸ばした。


「ブレア課長がアイリスとクロイドを呼んでいたからさ。少し借りていくよ」


「え?」


 本当にどうしたのだろうと思いつつも、アイリスは先輩達に一言、言い置いてから部屋を出た。


「それじゃあ、一階の居間にいるから。二人ともお休み」


「お休みなさい……」


 セルディはどうやら自分達を呼ぶための使いだったらしく、すぐに自室へと戻っていった。


 廊下に残された二人は顏を見合わせつつも階段を降りていく。

 一階からは話し声が微かに聞えたため、ブレアともう一人誰かがいるようだ。


 居間の扉をそっと開けるとそこにはお酒をグラスに注いで飲んでいるブレアとキロルの姿があった。


「おう、来たか」


 ブレアは少し酔っているのか頬が赤くなっている。彼女は視線で椅子に座るように促してきたため、アイリスとクロイドは隣同士で座った。


 その間にもキロルが立ち上がり、二人分の紅茶を淹れて、自分達の前へとそっと差し出した。


「ありがとうございます……」


 一体、何の話だろうか。自分達だけ呼び出されたということは他の先輩達には聞かれたくない話をするのかもしれない。

 そう考えると真っ先に浮かんだのはクロイドのことだった。


「君達二人とはゆっくり話をしてみたかったんだ」


 最初に口を開いたのはキロルだった。まるで深刻な話をする雰囲気とは思えないのは、彼がグラスを傾けているからだろう。


「えっと、それでお話とは……」


「うむ。……クロイドが魔犬から呪いをかけられていることを私は知っていると伝えたくてね」


 ぴたりとクロイドがカップに伸ばしていた手を止めた。


「私がクロイドを魔具調査課に引き取る際にキロルさんには色々と相談していたんだ。話していなくてすまなかったな」


 ブレアがキロルの言葉に付け加えたが、まだ驚いたままのクロイドはぎこちなく首を横に振った。


「まぁ、私もブレアに話を聞く前にマーレからは聞いていたからね。……会ってみたら話で聞いていた印象と随分違ったから驚いたけれど」


「クロイドはここ数か月で色々と変わったからなぁ」


 その言葉に同意するようにアイリスも頷いた。最初に会った頃のクロイドと今の彼との大きな違いはやはり表情が柔らかくなったことだろう。


「君達二人が魔犬の被害者だということも知っている。私は魔犬を実際に見たことはないが……辛かっただろう」


 その一言だけ、やけに重たく感じた。


 キロルの表情からはいつもの明るさは消えており、苦心するように眉を寄せて、グラスの中で揺れているお酒を見つめていた。


「ブレアがアイリスを引き取ると言った時も本当に驚いたよ。この子に甲斐性はないのに、よく決断できたなぁと……」


「誰が甲斐性なしだ」


 ブレアはきっとキロルを小さく睨んでから、お酒の入ったグラスを一気に空にした。それを横目で小さく笑いつつ、キロルは言葉を続ける。


「……教団が持っている魔犬の目撃情報の記録は少ない。しかも、襲われたという記述の方が少ない。何故、魔犬が呪いを振りまくのか。いつ、魔犬は現れるのか。……それさえも未だに分からないままだ」


「…………」


 クロイドが自身の左肩へとそっと手を触れる。

 そういえば、左肩の傷がうずくことはないのだろうか。


「魔犬は未知の魔物だ。もし今後、対峙することがあったとしても、無事に倒せるかの保障はない。命の危険だってあるかもしれない。……それでも君達は魔犬を倒すつもりでいるのだろう」


 穏やかな問いかけには、どこか悲しみが込められているような気もした。


「……私はそのつもりです」


 アイリスは真っ直ぐとキロルを見た。


「あの晩、私は大切なものを失いました。魔犬は私を見て確かに嘲笑っていたんです」


 忘れはしない、あの惨劇をこの胸の奥に留めている。

 燃える炎が消えたことなど、一度もない。


「だから、二度目はありません。私は魔犬に……大切なものを二度も奪わせる気はありませんから」


 隣に座っているクロイドから小さく息を吸い込んだ音が聞こえた。

 大切な相棒であり、恋人でもあるクロイドを魔犬に持って行かせる気などさらさらない。


「私は彼にかけられた呪いを解いて、魔犬を絶対に討ちます。例えそれが無謀で、愚かだと言われても……」


 膝の上に置いている手はいつのまにか強く握りしめられていた。この手で、必ず討つと誓った。クロイドと交わした約束を果たすには通らなければならない茨の道だ。


 だが、復讐の念に捉えられていた頃の自分が過ごしていた日々に比べれば少しばかり軽いものだ。今の自分は一人ではない。それが分かっているから、強く誓えるのだ。


「……君達が背負っているものは大きいはずなのに、それを跳ね返してしまう程の強い心を持っているのは、きっとお互いがいることでそうさせているんだろうな」


 キロルが独り言のように呟いた。


「伝えてはいなかったが、実は……マーレは各地へと任務で出向いた際に魔犬らしき魔物がその地に出没したかを聞きまわっていたらしい」


 クロイドがぱっと顔を上げて、どこか縋るような瞳でキロルを真っすぐ見ていた。


 キロルは頷いてから、胸のポケットから一冊の黒い手帳を取り出す。見覚えがある手帳なのかクロイドの瞳は大きく見開かれた。


「それ……。マーレさんが持っていたものです……」


 キロルから渡された手帳をクロイドは震えながら受け取り、そっと開いてく。アイリスも横から手帳を覗き見た。


 それはいつ、どこの地方に行ったことが細かい字で丁寧に綴られていた。


「マーレが死ぬ数週間前に、ここへと届けられたものだ。……手帳にはあとは頼んだと書かれた手紙も添えられえていた」


「……予知する力なんてないはずなのに、あの人はそういう勘みたいなものが昔から鋭かったからな」


 ブレアが空になったグラスのふちを指でそっとなぞる。その視線はどこ見ているのか定かではなかった。


「それを君達に託す。私はすでに内容を覚えているからね。……この手帳がどこまで魔犬に近づけるものなのかは分からない。それでも私は自分に出来る事で君達に助力したい」


 キロルの表情が硬いものから柔らかいものへと変化する。


「教団から身を退いた私には時間がたっぷりあるからな。……出来ることは少ないが、その手帳の情報を元に色々と調べてみるつもりだ」


「……キロルさん」


 初めてクロイドが呼吸したように、言葉を吐いた。何かに耐えるように唇を噛みしめて、手帳を胸に押し付けるように抱いていた。


「ありがとうございます……」


 マーレの手帳にはクロイドに対する様々な思いが詰め込まれているのだろう。


 優しさと気遣いと、少しの希望。


 それはマーレがクロイドにかけられている魔犬の呪いを解くことを諦めていなかったことを意味していた。

 

 集まっている魔犬に関する情報は少ない。それでも、自分達に味方がいないわけではないのだ。

 クロイドに残された時間も約8年程だ。全てを諦めるにはまだ早すぎる。


「さて、この話は終わりにしよう。……部屋でゆっくりとその手帳を読むといい」


「……はい」


 頷いたクロイドはカップを空にしてから立ち上がる。アイリスもそれにつられるように紅茶を飲みほした。


 ふと、視線をブレアに向けると彼女の細められた瞳はクロイドに向けられていた。


「…………」


 その瞳が揺らめいているように見えたのは気のせいだっただろうか。



「……失礼します」


「うむ。おやすみ」


「また、明日の朝食を楽しみにしているよ」


 アイリスとクロイドはブレア達に同時に頭を下げてからその場から立ち去った。


 階段を一歩ずつ上っていく足取りは先程と比べると重い気がした。


「……アイリス」


「何かしら」


「とりあえず、この手帳は一人で読ませてもらえないだろうか。あとで君にも渡すから」


 クロイドの言葉は震えてはいない。それでも彼の瞳の奥を見れば、大きく揺れていることは明らかだった。


「……分かったわ」


 アイリスはクロイドに一瞬だけ手を伸ばしたが、それを自分の胸へと引っ張るように戻した。



 彼はきっと、これから泣くのだろう。

 本当はその背中をそっと自分の手で支えていたいが、一人でいたい時だってあると思う。


「それじゃあ、お休みなさい」


「お休み。……また明日、一緒に朝食を作ろうな」


 どこか無理したように彼は小さく笑って見せた。確かに明日はクロイドが朝食を作る日だ。

 それを自分も手伝うと申し出たが、明日は起きられるのだろうか。


「えぇ……」


 クロイドの部屋の扉が静かに閉められる。アイリスはその扉にそっと手を置いた。


「…………」



 扉の向こう側ではやがて嗚咽が聞こえ始める。

 その声は自分の心を押し殺しているようにも聞こえた。


 ……クロイド。


 本当はマーレに傷を負わせた魔物を討ちたいと思っているはずだ。それでも彼はそちらを優先することはない。


 今、どんな想いで彼はマーレが遺した手帳を読んでいるのだろう。だが、それを尋ねることなど出来はしなかった。


   

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