畑作業
この家で一番広いと思われる暖炉付きの広間には自分達以外の全員が集まっていた。
「よし、揃ったな。……それじゃあ、キロルさん。宜しくお願いします」
「今日の夕食についてなんだけれどね。実は野外料理を試してみようと思うんだ」
「野外料理?」
レイクが聞きなれない言葉に対して首を傾げた。
もちろん、アイリスも知らない言葉だ。
「簡単に言うと家の外に簡単な調理場を作って料理をするんだ。例えば……野菜や肉、魚などをその場で焼いて食べるのさ」
「肉っ!」
肉という単語に反応したのはナシルである。表情を見るといますぐにでもよだれを出してしまいそうな勢いでキロルの言葉に食いついていた。
「それで君達にはその食料調達を手伝って貰いたいんだ」
「……え?」
にこりとキロルが人懐こい穏やかな笑顔でその場にいる全員をゆっくりと見渡す。
「肉はすでに購入済みだから、野菜の収穫とあとは魚を獲ってきてもらいたい。そうだな……女性達には畑を手伝って貰って、男性達には魚を釣ってきてもらおうかな」
何を言われているのか飲み込めず、その場にいる皆がぴたりと石のように固まっている。
「……つまり、自分達で食べるものを自分達で獲ってこいということでしょうか」
皆を代表してセルディはキロルの表情を窺いながら聞いた。
「そういうことだね。あ、大丈夫だよ。道具も人数分あるし、魚が釣れる川だって近くに流れているし」
セルディが訊ねえていることはそういう事ではないと思うが、普段ならやることはない体験にアイリスは興味があった。
「それとブレアは私と一緒に調理場を作ってもらうことにするよ」
「げっ……。さっそく酒飲みながら昼寝しようと思っていたんだが……」
「まぁまぁ。石煉瓦を重ねるだけだからすぐに出来るよ。ちなみに……夜の料理に合う酒をたくさん買っているんだが……」
「よし、お前ら! 気合入れてやるぞ!!」
キロルの言葉にブレアは瞬時にやる気を出し始め、拳を頭上へと高く掲げる。どうやらこのキロルという人物はブレアの扱いにも慣れているらしい。
それを見てキロルは軽く苦笑していた。彼からすればブレアはかなり歳の離れた妹と接するような感覚なのかもしれない。
「……俺、釣りとかしたことないんだけど」
それまで黙って聞いていたミカが顰めた面でそう言うとそれに同意するように男性陣は深く頷く。
「まず、釣りをする場所が周りにない環境で育ちましたからね」
ここにいるほとんどがロディアート出身らしい。
自分は数年前まで田舎暮らしをしていたので、実際にやったことはないが休みの日に釣りに行く父について行ったり、家で食べる分の野菜を育てていた母の後ろ姿をこっそりと眺めていたことならある。
ただ、見ていただけと実際にやることは大きく違いが出るものだ。
「人数分釣ってきてくれると助かるよ」
「人数分って……10人分……」
ぼそりと呟かれるミカの言葉にレイクが戸惑いの表情を見せる。
「素人がそんなに釣れるものなんですか?」
「うーん。釣れる時は釣れるし、釣れない時は釣れないかな」
つまりは運のようだ。
「とりあえず、川の場所まで案内するよ。女性達にはその後で収穫を手伝って貰うからそれまでは休んでいるといい。あ、ブレア。くれぐれも魔法は使わないようにね」
「ぐっ……」
ブレアは気付かれたかと言わんばかりに表情を歪める。どうやら魔法を使って、さっさと作業を終わらせる気でいたらしい。
「それじゃあ、美味しい夕食を目指して頑張ろう」
にこりと笑うキロルに笑顔は有無を言わせない何かがあり、その場にいる全員は深く頷くしかなかった。
「それにしても畑仕事かぁ~。普段、本か魔具しか扱わないからなぁ」
畑の前で腕まくりしたナシルは両手を腰に当てつつ、広い畑を眺めている。
キロルが男性陣を川へと案内している間、特にすることがない四人は畑の前でキロルを待ちつつ談笑していた。
「私もないですよ。あ、でも魔法課で変な魔法植物を育てているのなら見た事あります」
ユアンが苦笑しながら答えるとその話を知っているのかロサリアも頷いた。
「あの魔法植物、最初は鼠捕りをさせるために開発されていたけど、魔法課の誰かの使い魔を食べかけたらしく、処分されたらしいよ」
「うわっ……。そんなに大きく育っていたんですね」
「魔法課はたまに変なもの作るからなぁ~」
その時、ふっと強い風が四人の間を通り過ぎていく。
土と若葉と水が混じったような匂いが鼻を掠めていった。
「…………」
爽やかな風がアイリスの金色の髪を大きく揺らしたため、それを手で押さえる。やはり、髪は一つに結んだ方が作業はやりやすいだろう。
そう思い、髪を飾っていた緋色のリボンを一度解いてから一つにまとめようとしているとそれに気付いたユアンがにこりと笑う。
「私に結わせて」
「え、いいんですか?」
「うん。女の子の髪を結うのって好きなの~」
そういえば、以前ブリティオン王国からセリフィア・ローレンスが来た時も彼女の髪を楽しそうに結っていたことをアイリスは思い出す。
「えっと、それじゃあ……お願いします」
アイリスは緋色のリボンをユアンへと渡した。
「ユアンは相変わらず可愛いものとか小さいものが好きだよな~」
「レイクは入らないの? 小さいよね、レイク」
ナシルとロサリアの言葉にユアンは何とも微妙な表情をする。
「確かに私は可愛いものや小さいものとか好きですけど、レイクは別です。全然可愛くないじゃないですか。ただ背が低いだけで可愛くないです」
不貞腐れたようにそう言いつつもユアンはアイリスの髪を丁寧に結っていく。何か工夫をしているのか時間がかかっているようだ。
「ユアンは厳しいなぁ~」
「大丈夫、そのうち身長だって伸びるよ。成長期だろうし」
「ロサリア先輩……。その言葉、レイクも去年から言っていますけど、身長1センチも伸びていないですからね。……っと、はい。完成~」
ユアンがぱっとアイリスの髪から手を離して、真正面へと向き直って来る。
「うんうん。完璧! 我ながら最高の出来だわ」
満足気にユアンは何度も頷く。
「おっ、良いじゃないか。ユアンは手先が器用だな~」
「凄く可愛い。どこかのパーティーに出席するお嬢様みたい」
「え……」
アイリスは自分で自分の髪型を確認するためにそっと頭に手を触れる。
ゆったりと三つ編みが編まれているようだがそれにリボンを編み込ませて、一つにまとめて結んでいるらしい。可愛らしい髪型かもしれないが少し派手のような気もする。
「……ユアン先輩」
これは畑作業をする髪型ではないような気がしてユアンの方を振り返ってみたが、彼女は楽しそうに満面の笑みを浮かべているためとてもそんなことは言えなかった。
「あの……。ありがとうございます」
「いえいえっ。また髪型を変えたくなったら言ってね!」
仕方がないので今はこの髪型で作業するしかないだろう。
鏡がないためちゃんと確認は出来ないが、とても丁寧に結われているのでこれで髪が作業の邪魔になることはないだろう。
そこへ一つ、足音が近づいてきたため四人は同時に振り返る。
「只今戻ったよ」
キロルがにこやかな笑みを浮かべて戻って来た。
「それじゃあ、収穫の手伝いをしてもらうけれど、今回収穫してもらう野菜はトマトとナスとパプリカ……」
キロルの説明を聞きつつ、アイリスは視線だけを畑全体へと移す。
余分な草が生えていない、綺麗に整理された畑だが、それは効率だけを求められたものではなく、美味しい野菜が出来るようにと手間暇かけて作られた畑なのだという事は見て取れた。
野菜の添え木にされている細木も、獣除けの柵も、丁寧に盛られ畝も全てキロルが魔法を使わずに自分の手だけで作り上げたものなのだ。
「さて、質問はないかな? ないならば、さっそく取り掛かってくれるかい。あ、怪我をすることはないと思うけれど気を付けてね」
それだけを言い残して、キロルは自分の作業をするべくブレアが待つ方へと向かっていく。
キロルに渡された作業するための道具をアイリスは穏やかな瞳で見つめていた。
自分の手はいつも「狩る」側だった。それは魔物討伐課にいた時から変わらない。汚すための手。
それが今はこうして自らが食べるものを収穫するために使っているのだから何とも不思議な気持ちだ。
「よしっ、それじゃあ早いこと終わらせるか!」
ナシルの言葉に全員が軽く頷き、キロルにから寧に教えてもらった通りに作業を始めていく。
ふと顔を上げて周りを見ると楽しそうに野菜を収穫する先輩達の姿があり、それがかつて自分の母が畑で作業をしていた光景を思い出したアイリスは穏やかな表情で目を細めていた。




