ローラ
「良い? こっちの数字とこっちの数字をかけて……。そうそう、それで掛け合わせた数字をさっき教えた公式に当てはめるのよ。……ほら、出来たでしょ?」
「本当だーっ。凄いや! 俺、この問題、全然分からなかったのに」
「アイリス姉ちゃんは教え方が上手いなー」
朝食後の勉強時間、アイリスは子ども達に算数を教えていた。
ここの子ども達は学校に行きたいが行くためのお金が孤児院には無いため、シスター達がこのようにして教えているらしい。
「こらこら、シスター・アイリス、でしょ? もう……」
まるで親戚の子どものように彼らはいつの間にか自分のことを「アイリス姉ちゃん」と呼んでくるようになっていた。
別に構わないのだが何だがくすぐったい呼び方にアイリスはつい笑みを零してしまう。
……弟と妹が生きていたら、彼らと同じ歳くらいね。
幼かった兄妹。
彼らのように勉強する事も楽しむ事も生きる事さえも叶わずにその命は途切れた。
「――アイリス姉ちゃんっ! 次はこの問題を教えてくれよっ」
その明るい声にアイリスはふっと現実へと戻ってくる。
「えっー……ずるーい! トルトはさっき教えて貰ったじゃない」
「ねぇねぇ! 私にも教えてよーっ」
「はいはい。順番、順番」
押し合いながらアイリスの前で言い争う子ども達を苦笑しながら宥めていると視界の端にクロイドが六、七歳くらいの子ども達の前で絵本を読んでいる姿が目に入る。
子どもは苦手だと言いつつもしっかり面倒を見る彼はやはり優しいのだろう。
絵本の読み聞かせをして貰っている子ども達は目を輝かせながら捲られて行くページを楽しそうに眺めている。
だが、一つだけ気になる事があった。アイリスが気にかけていたローラは誰とも話さず、端の方の席でただ黙々と本を読んでいるのだ。
シスター達から与えられている今日の分の勉強の課題を自力で終わらせたらしく、ローラは残りの勉強時間を一人で過ごしていた。
アイリスは目の前の子ども達に新しい問題を出して、答えを考えておくように言い置いてから、ローラが座っている席の前へと座った。
「ローラ、何の本を読んでいるの?」
ローラはこちらを一瞥するとそっぽを向いてしまう。彼女が持っている本はとても古く、表紙も本の背となる部分も擦れてしまっているため本の題名が分からない。
「私も本を読むことが好きなの。ローラはどんな本が好き?」
アイリスはにこりとローラに微笑む。
彼女はそれに一瞬驚いたような表情をするがすぐさま本を盾にして顔を隠す。
「……おとぎ話」
小さく聞こえた答えにアイリスは少しだけほっとしたように息を吐く。
「おとぎ話ね。読んでいたらわくわくして面白いわよね。……魔法使いのお話とか好き? もしくはお姫様のお話や冒険するお話とか。どんな物語を読んだことがあるの?」
「えっと……色々。魔法使いのお話……一番好きかも」
「そうなの」
「うん。空を飛んだり……沢山のお菓子を魔法で出したり……」
ローラが少しずつ楽しそうに話し始める。余程、魔法使いの話が好きなのだろう。
きっと彼女が読んでいる本は心が躍るようなわくわくする物語が揃っているのかもしれない。小さい頃の自分も魔法使いが主人公の本を読んではいつも胸を躍らせていた。
「魔法使いになってみたいの?」
アイリスが何となくそう訊ねると、ローラは石のように固まり、丸い瞳を大きく見開いていた。
まるで、どうしてそれを知っているのかと言わんばかりの表情をしているように見えて、アイリスはどのような言葉をローラにかければいいのか躊躇ってしまう。
「わ……私、は……」
ローラが何かを口に出そうした瞬間、それは途中で遮られてしまった。
「アイリス姉ちゃーん! 問題解けたよ!」
「ちょっと、僕が先だってばー」
先程の子ども達がノートを持ってわらわらとアイリスの元へ集まり始める。
「あー……はいはい。今、見てあげるからねー」
皆が我先にとアイリスに迫って来るので、それを宥めつつ、視線だけを再びローラの方へと向ける。
ローラはきゅっと口を結んでから顔を俯けて、読みかけの本を閉じた。そして、自室に戻るつもりなのか、その場から足音を立てずに立ち去っていく。
「……ねぇ、ローラってどんな子なの?」
自分のもとに集まってきていた子ども達に何となく聞いてみると皆が同時に困ったような顔をした。
「え? ローラ? うーん……何か最近暗いよなー」
「そうそう。あいつ、遊びに誘っても全然来ないし」
「前はもうちょっと明るかったよね。でも、最近はずっと一人で本ばかり読んでいるから話かけづらいかも」
「あと、すぐに具合が悪くなって寝ている事が多いし」
「……そうなの。……さて、並んで並んで。順番に教えていくからね」
アイリスの言葉に、子ども達は再び明るい声ではしゃぎだす。そして、アイリスから教えてもらう順番は誰からなのか、軽く言い争いを始めていた。
……さっき、ローラは私に何と答えようとしていたのかしら。
頭の中でローラが自分に話そうとしていた事について考えながら、アイリスは集まっている子ども達の方へと向き直った。




