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孤児院

 

 イグノラント王国の首都ロディアートの十一番街。表通りから一本隣の道に入ったセルシェ通りにリンター孤児院は位置していた。この十一番街は都市部より少し離れた場所にあるため、主な住民としては労働者が多い。だがその分、この辺りの店は人が多いため、活気付いている通りである。


「思っていたよりも、建物が大きい孤児院ね」


「……そうだな」


 ちらりとクロイドの方に視線を向けると彼はまだ、納得していないと言わんばかりに顔を顰めていた。アイリスは笑うような、失礼なことはせずに出来るだけ慰めようとクロイドの肩を軽く叩く。


「大丈夫よ? 似合っているから」


「そういう問題じゃない」


 孤児院の表玄関の前でシスター服を着たアイリスと意外にもちゃんと着こなしているクロイドは立っていた。

 もちろん、今の二人を不審がるような視線を向けてくる人は周りにはいない。クロイドの女装が様になっているからだろう。


「それにあなた、中性的な顔立ちだから男性だって分からないわよ」


「だから、そういう問題じゃない。……大体、声は低いんだから、喋ったら男だって分かるだろうに」


「あら、大丈夫よ。世の中には声が少し低い女性だっているもの。ブレアさんだって、低めの声だし」


 先程から顔を下に向けたままクロイドは全く上げようとしない。余程、このシスター服を着たくなかったらしい。

 確かに、アイリスの周りには自ら進んで女装する者はいなかったように思える。だが、世の中は広いのでそういう趣味の人間がいるのは知っていた。


「仕方ないでしょう? 任務だし。似合っているわよ、シスター・クロイド?」


「名前にシスターを付けるな。……男だと気付かれる」


「じゃあ、シスター・ロイってどうかしら?」


「……勝手に呼べ」


 いつもの無表情ではなく、今日はむっとした顔でずっと不機嫌なままだ。クロイドには悪いが、表情が動いているのが珍しくて、傍から見ていて様子が面白いということは言わないほうがいいだろう。


「はいはい。じゃあ、行くわよ」


 孤児院の扉を三回叩くとすぐさま内側から開けられ、そこには初老のシスターが優しい笑みを浮かべながら立っていた。


「まぁ、まぁ! あなた方が教会のブレアさんから連絡を頂いた方々ね? 来て下さって嬉しいわ」


「初めまして。シスター・マルーですね?」


「ええ、そうよ。ここを取り仕切る……と言っても、そんなに大した事では無いけれどシスター長を勤めているマルーよ」


 初対面の二人に対して人懐こそうな笑顔を浮かべてくれるマルーに、アイリスは思わず安堵の溜息を隠した。

 しかし、こちらは任務としてこの孤児院へと赴いているため、やはり自分達の正体を隠したままというのは相手を騙すような気がして、少しだけ気が引けてしまう。


「私はアイリスです。こちらが……」


「……ロイ、です」


 クロイドは自分の名前を告げる瞬間、少しだけ嫌そうな顔をしたがここはあえて気にせずに、アイリスは笑顔でマルーと会話を続けることにした。


「今日から暫くの間、お世話になります。精一杯、シスターとしての仕事を頑張りたいと思いますのでご指導の程、どうぞ宜しくお願い致します」


 もちろん、この口上も事前に練習してきたものだ。クロイドはあまり喋りたくないらしく、口を閉ざしたまま、アイリスと同じように隣で軽く頭を下げていた。


「丁寧にありがとうねぇ。うちは若いシスターが少ないから、こうやってたまに派遣されてくる見習いの子が来ると凄く嬉しいのよ。子ども達も喜ぶし……」


 マルーの後を付いて行きながらアイリスは孤児院の中を見渡した。


 大きいと思っていた建物の壁は、所々が傷んでいる部分が見られる。恐らく修理費や維持費に回すお金があまりないのだろう。この国の孤児院などでは良く見られる光景だ。

 こればかりは国だけでなく善意による寄付を頼るしかないのだ。


「シスターの主な仕事は子ども達の世話や勉強を教えたり、遊んだりして触れ合う事よ。まだ心がそれほど強くない子どもには優しく接して愛情を注ぐ事が重要なの。もちろん、子どもがやってはいけないことをしたら、諭すように叱ることもあるけれど。……ここには訳があって預けられたり、捨てられた子が多いから尚更ね」


 マルーの言葉にほんの一瞬だがクロイドの表情が曇ったように見えた。


「あとは……掃除、洗濯、料理と色々ね。ああ、全て当番制になっていてね、子ども達の自主性を育てるためにも一緒にやっていく事が大切だから覚えておいてね」


「はい」


 奥に進んでいき、階段を上って行くとそれぞれの個室なのか、廊下には部屋の扉がずらりとならんでいた。どの扉も古く、それぞれの扉に名前が刻まれた木製の小さな板が下がっていた。


「ここがシスターと子ども達のそれぞれの部屋よ。あなた達は……ここね」


 マルーが扉を開ける。開け放たれた部屋は窓際に置かれた一つの机と、左右の壁側に一台ずつあるベッドだけが置かれていた。部屋の広さはアイリスが教団の寮で使っている部屋とそれほど変わりはない。置いてある物は少ないが、綺麗に掃除されているのか、塵一つ落ちていなかった。


 だが、その質素な部屋を見たアイリスがこれは現実なのかと疑う程、目を見開いていた事をマルーは知らない。


「この部屋を好きに使っていいから。分からない事があったら私や他のシスターに聞くといいわ。あ、荷物を置いたら休んでいて。夕食の時に呼びに来るから」


「あ……。え、あ……はい。ありがとうございます……」


 この時、アイリスが辛うじて返事が出来たのは奇跡に近いかもしれない。それくらいに動揺しており、そして覚られまいと感情を押さえ込んでいた。


 ぱたん、と閉められる扉を呆然と見ながらアイリスは持ってきた荷物をその場に落とす。ふらふらと足を進めて、崩れ落ちるようにベッドの上へと倒れ込んだ。


「なん、で……クロイドと部屋が一緒なのよぉっ!」


 ベッドの上に備えるように置いてあった枕を口に当てて、この叫び声が部屋の外に漏れないように細心の注意を払いながら大声を出す。


「なんでっ⁉ どうしてぇっ⁉」


「別に問題は……」


「大有りよ! これでも私達、男と女よ⁉ 結婚前の! 未成年の! 婦女子が! 出会って間もない男と相部屋よ⁉ 普通なら考えられないわ!」


「仕方ないだろう。俺……私は、今は女だからな」


 わざわざ言葉遣いまで直し始めるクロイドはどうやら無駄に抗うことを諦めたらしい。


「もうっ……! 絶対にこの机の真ん中からこっち側には入って来ないでよねっ! 絶対だからね!」


「別に心配しなくても、何もしないが……」


 アイリスはそんなことを呟いたクロイドの顔面に向かって、すぐ傍にあった枕を掴むと思いっ切りに投げた。


「……危ないな」


 だが、アイリスが投げた枕はクロイドの顔に直撃する手前で簡単に受け止められてしまう。


「任務なんだから、諦めるんだな」


「もう、絶対にいやーっ!」


 その後、しばらく文句を述べるアイリスをクロイドは溜息を吐きながら、仕方無さそうに横目で見ていたのだった。

 

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