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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
偽りの婚約編
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人質


 まだ、日は沈んでいないというのに雲が出ているせいか、窓の外は薄暗く思えた。それは校舎の影に沿って歩いているからではない。


 アイリスは一番裏口に近い廊下を早足で歩いていき、外へと出た。元々、裏口に通じる道路は細い路地に近いものばかりなので、生徒達はこちらよりも校門前の道路を利用している人の方が多い。


 そのため、周りに人気がなかったのは遠くから見ても明らかだった。裏口の門は開いており、その周辺に誰かいるわけではない。


「……」


 誰かにからかわれただけだろうか。だが、自分がリンター孤児院の子ども達と仲がいいと知っているのは自分の周りにいる人達だけだ。この学校の生徒や先生に話した覚えはない。

 そもそも、初等部に仲が良い子がいるとさえ知っている人はいないだろう。


 ゆっくりと裏口の門まで歩いていき、そしてそこで気付いた。


 裏口の門の外側、つまり道路に黒の自動車が停まっていたからだ。見るからに新品で最新の自動車だと思われるそれは、付いている窓も真っ黒で中が見えないようになっていた。


「……」


 怪しい。明らかに何かが怪しい。だが、もう一つ怪しい事がある。同じように窓が黒塗りにされた自動車がもう一台あるのだ。二台が縦に並ぶように停まっている。


 セントリア学園には金持ちの子息や子女が通っているが、その迎えの自動車だろうか。

 アイリスが訝しげな表情で首を傾げていると、自動車の助手席の扉が開いた。


「っ……」


 そこに突然現れたのは、ジーニス・ブルゴレッドだった。


「来てくれると思ったよ、アイリス」


 その笑みは昼間と同じ、不気味なものだ。


「……何か用なの?」


 アイリスは睨むようにジーニスを見る。


「初等部の子が待っているって聞いたけれど、それはあなたの吐いた嘘なの?」


「正解」


 ジーニスは見せ物を見ている少年のように軽く手を叩いた。


「まさか君が僕たちよりも、あんな底辺の人間に情をかけているなんて、知らなかったよ。おかげで上手くいきそうだけどね」


「何ですって……」


「教会の奉仕活動か何か知らないけれど、君はもうそんなことしなくてもいいんだ」


「そんなの私の勝手でしょう。あなたに決められたくなんかないわ」


 まるで自分達以外の人間を下に見下したような発言とその表情はブルゴレッドにそっくりだ。


「分かっていないなぁ、アイリス」


 ジーニスはわざとらしく溜息を吐き、軽く左手をあげる。すると、黒塗りの自動車からアイリス達よりも一回り以上年上の屈強そうな男達が下りて来た。

 アイリスは思わず、一歩後ろへと下がる。


 ……私を無理矢理にでも連れていく気かしら。


 それなら走って逃げればいいだけだ。今は青嵐の靴(ブルゲイル・ブーツ)も剣もない。

 丸腰での場合、一対一でなら何とか相手出来るが、ジーニスを含めて四人も敵がいるのでは不利なのは明らかに自分だ。


 それにこの場所は学校の敷地内でもある。面倒を起こすわけにはいかない。


「何度言われても、絶対に行かないわよ」


「それはどうかなぁ……」


 ジーニスは男の一人に目配せする。男はもう一台の自動車の方へと近付いていき、後部座席の扉を開けた。


「っ!」


 そこに見えたのが自分の知っている髪色で、アイリスは思わず引き攣った声を上げる。


 後部座席に手と足を縛られ、口を布で塞がれて眠ったように動かないその姿は紛れもなく、ローラだった。

 だが、その姿は扉が閉められ、見えなくなる。


「あなた達……! こんなことして、いいと思っているの!?」


 先程、後ろへと下がった一歩を大きく前へ出して、非難するようにアイリスは声をあげる。


「君が僕たちの誘いを断るからだろう? 言ったじゃないか、後悔するって」


「その子は関係ないでしょう!?」


 自分をおびき寄せるためにジーニスはローラを襲って、気絶させたのだ。それはつまり、人質を表している。


 ……私が、仲良くしていなければ。


 そう思いたくても、思えなかった。


「僕には関係ないが、君は大いに関係あるだろう?」


 ジーニスが一歩、アイリスの方へと近付く。


「僕は金の力で、あの子がここにいたという存在さえ簡単に消すことが出来るんだ」


 アイリスはそこで初めて恐ろしいもの見るような瞳でジーニスを見た。

 いや、思えば今まではっきりと彼の顔を見たことなど無かったのかもしれない。


「本当は君の婚約者だって抜かしているあのソルモンドって奴をどうにかしようかなって思っていたけど、それよりもこっちの方が君には効きそうだもんね。……君が年下の子どもを可愛がるのは、死んだ弟や妹の代わりとして接しているからかな?」


 ジーニスが彼の父に似ていると言ったことを訂正したいくらいだ。彼はジョゼフ・ブルゴレッド以上に非情な心を持っていると感じた。


「僕がどれだけ傷付いたか、君は理解していないようだけれど……本当は全部どうでもいいんだ。……君が僕の物になれば、それだけで僕は満足だ」


 彼の言葉と表情を見て、背筋に悪寒が走る。


「大人しく、来てくれるよね、アイリス。……でないと、あの子がどうなるか……分かっているよね?」


 脅しなど軽々しいものではない。

 

 ジーニスは笑っている。

 笑っているが、笑ってはいない。


 恐らく自分が断れば、ジーニスは男達に命じて、すぐにでもローラを手にかけるだろう。彼の周りにいる男達の目を見て、アイリスはすぐに感づいていた。

 彼らはそういった裏の仕事をしている人間だと。


「……あなたがやっていることは、犯罪よ」


「それは世間の、だろう? 僕にとっては、どうでもいいね」


 それよりもと彼は付け加える。


「僕は君が欲しいんだ、アイリス。ずっと、ずっと君だけが欲しかったんだ」


 まるで愛の告白のようにさえ聞こえるその言葉に感情がないのは気付いていた。彼はただ、一度見て、気に入ったと思ったものを手元に残しておきたいだけなのだ。

 彼の言葉は愛などではない。ただの欲望の塊だ。


「ほら、早く乗りなよ。家で父と母が待っているんだ。ずっと君に会いたがっていたよ」


「……」


 行けば自分がどうなるのかは安易に想像出来る。それは今まで自分のために尽力してきてくれた人達に対して仇で恩を返してしまう結果になるのは目に見えていた。


 それでも自分が選ぶのは最初から決まっている。だから、ジーニスはローラを使ったのだろう。

 彼女を人質にとれば、アイリスが自身よりも他人のために顧みないと分かっているからだ。


「私は、絶対にあなたとは結婚しないし、ブルゴレッド家の一人にはならない」


 最後の抵抗だった。覚悟はすでに出来ている。


 アイリスはジーニスと男達に気付かれないように、足元に「R」と砂の上に書いた。

 そして、自分の左腕をそっと触るような仕草をしつつ、袖口に付いていたボタンを千切った。


「答えは一つよ」


 魔具はないが、それでもいつものようにアイリスは地面を蹴りつつ、ボタンをその場に落とす。


「っ!」


 アイリスが勢いよく上げた右足が男の頭へと直撃する。


 回し蹴りをしつつも、そのまま手刀で男のうなじ辺りを強打した。男はうめき声をあげて、その場に膝を立てながら倒れ込む。


「……それが君の答えなんだね」


 溜息を吐きつつ、ジーニスが肩をすくめる。


 出来ればこの騒ぎを学校にいる誰かに気付いて貰えれば、先生達が止めにくるか生徒達によって野次馬が出来るかもしれない。

 そうすればジーニスだって、大きい事が出来ないとアイリスは踏んでいた。


 もう面倒を起こしたくないなど言っている場合ではない。ローラが人質になっている以上、助けられるのは自分しかいないのだ。


「答えは一つ、あなた達を全員倒して、その子を返してもらうわ」


「……本当、君はそういう所、馬鹿だよねぇ」


 ジーニスが一歩下がり、男二人が前へと出る。


 ……一対一に持ち込めれば、何とか……。


 自分がブレアに習ったのは剣術だけではない。武器がない場合でも戦えるように、武術も少し習っていた。

 この武術が荒事を専門にしているであろう男達にどれほど効くか分からないが、今はそんなことを言っている場合ではない。


 アイリスはいつでも攻撃が来てもいいように手を構えた。


「でも、君のそういうところも好きだけどね」


 にやりとジーニスが笑った瞬間、後ろから気配を感じたアイリスは咄嗟に振り返る。

 そこにいたのは何か棒のようなものを持って居た男が、自分に向けて棒を振り上げる姿だった。


「っ……!」


 しまったと思った時にはもう、遅かった。気配をまるで感じなかったのだ。それは魔法を使って、空気と化しているようにさえ思えた。


 両手でその攻撃を庇おうとしたが既に遅く、アイリスの身体に強烈な痛みが滲むように響いていく。立って居られなくなったアイリスはその場に膝を立てつつ、地面の上へと横たわる。


 ……だめ、今は……。


 意識を保とうとしても、視界さえ確保することがままならない。


 自分のせいで、ローラが。

 声が、出ない。身体が重い。

 

 一度、殴られただけでこの痛みは何だ。今まで何度か攻撃を受けたことはあるが、それとは全くの別物だった。

 もしかすると、魔法を使っているのかもしれない。エリオスが自分に忠告を言っていたではないか。


 ……クロイド。


 名前を呼んで届くなら、何度だって呼び続けたい。自分の心を唯一、動かす大事な彼の笑顔が少しずつ見えなくなっていく。


「あぁ、駄目じゃないか。あまり顔は傷付けないでくれよ。気に入っているんだから。……ほら、その子を運んで。そろそろ撤退しないと、誰かに見られかねないからね」


 頭が鐘の鳴るような痛みによって意識が遠のく中、聞こえたのは楽しそうに笑っているジーニスの声だった。


   

   

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