命令
任務と言っても毎日あるわけではなく、それぞれの課でやはり忙しさなどは違うものだ。
アイリスは置いてあったティーセットを使わせてもらおうと席を立ち上がり、簡易式湯沸し瓶でお湯を沸かす。これは魔力が必要ない魔具なのでアイリスでも簡単に扱うことが出来るのだ。
魔具には三つの種類がある。自らの魔力を注ぎ込んで使う物の他にすでに魔力の塊となっており、一般人でも楽に扱える物と魔力の無い人間が自らの命を使って使用出来る物である。
「どうして魔具ってこんな便利道具になっているのかしら……」
これは魔法課の紅茶が好き過ぎて高じた人がいつでも美味しい紅茶が飲めるようにと開発したものだと聞いている。今は嘆きの夜明け団の全ての部課で使用可能の許可まで取ってあるほどだ。
アイリスの独り言にクロイドが借りて読んでいる本から顔を上げる。
「そう言えば昨日の魔具……あれはどんな魔具なんだ?」
「ああ。あれはね、とある国の神話に出て来る『サンポ』と言う壺を真似して作られた魔具だと思うわ」
「サンポ?」
「ええ。何でも様々な材料を壺の中へ入れるとそれらが金になってしまうんですって」
一瞬で沸いたお湯をティーポットへと注ぎ、持参した紅茶の缶を開けてお湯の中へと茶葉を入れていく。茶葉を煮出す時間を計ってから自分とクロイドの分をカップに注ぎ、彼の前へと置いた。
「ありがとう。……それであの男爵は買った魔具を使ってさらに羽振り良くしようとしていたと言うことか」
「恐らくあの場にいた男の一人は違法魔具売買人ね。最近多いらしいのよ。世に出回ってしまった魔具を高値で売る行為が」
「……そうなのか」
それだけ答えてクロイドは一度、閉じた本を机に置いてからアイリスが淹れた紅茶に口を付ける。すると、彼の動きが一瞬だけだが固まったように見えた。
「……口に合わなかった?」
そう言えばミレットやブレアに紅茶を淹れたことはあっても、クロイドに淹れるのは今日が初めてである。恐る恐る聞いてみると彼は小さく首を横に振った。
「……いや」
だが、クロイドはそのまま黙ってしまう。その答えだけだと、自分の淹れた紅茶が彼の口に合ったのか分からないではないかと思ったが、更に訊ねるのは何となく気まずく感じられて、アイリスは口を閉ざした。
再び訪れる沈黙にアイリスは仕方なく肩を竦めながら彼の隣に座って、机の引き出しに入っている白紙の報告書に昨日の任務の詳細を思い出しながら記入していくことにする。
その時だ。
ばんっと魔具調査課の唯一の入口の扉が勢いよく開いたのだ。扉の向こうからは今日も元気そうなブレアが物凄い笑顔で入ってきたのである。
「おはようっ、諸君! そして、昨夜は初任務お疲れ様!」
一体どこからそんな元気が出て来るのかと思う程の、爽やか過ぎる挨拶にアイリスとクロイドはたじろぎながら朝の挨拶を述べる。
「お、おはようございます……」
「……おはようございます」
「――アイリス、クロイド。ちょっと課長室まで来なさい」
瞬間、明るかったブレアの表情が一瞬にして無表情へと変わった。しかも、声の高さも一気に低いものとなっている。
「ひっ……。は、はいっ!」
ブレアはそのまま向きを変えて課長室へと向かう。課長室の扉が完全に閉まったのを確認してからアイリスは震えながら声を発した。
「……あれはまずいわね」
「何がだ?」
「もしかして、あれかしら……。男爵の屋敷の窓ガラスを割ったことかしら……? いや、でも今回はそんなに暴れていないはず……」
「だから何なんだ? 一体、ブレア課長がどうしたって言うんだ?」
「ああ、クロイドは知らないのね……。ブレアさん、怒っている時や機嫌が悪い時、真面目な話をする時は大体が無表情になるのよ……」
「……頑張れ」
「なっ! ちょっと私のせいなの⁉ もうっ! ……ほら、あなたも行くんだから!」
「お、おい……」
アイリスは勢いよく立ち上がると、クロイドの腕を掴んで引っ張りながら、半ば無理やりに課長室へと連れて行く。
しかし、入る前に心を静めようと、一度深呼吸してから課長室の扉を三回叩く。
「失礼します」
アイリスは少々肩を震わせながら扉を開けた。
そこには腕を組んだブレアが先程と同じ無表情で椅子に座って待ち構えていた。
「まあ、そこに座りなさい」
言われた通りに、目の前にあるソファにアイリスとクロイドは隣に並びながら、ぎこちなく座った。ブレアから送られてくる視線がかなり痛い。
やはり、昨日の任務で、自分達の不手際――いや、不手際があるとするならば自分だけだろうが、何かブレアの気に留めることがあったのかもしれない。
「それで昨日の任務についてだが……」
早速、昨日の任務の事が話題となり、二人は同時に身構えた。
「んー……。ちょっと派手だったけど、まぁ良いんじゃないか? 無事に魔具も回収出来たし。あの後、男爵に関することを調べるために魔的審査課も動いたらしいから、後処理は任せてもいいだろう。その場に居た違法魔具売買人も事情聴取のために捕まえてあるらしいし。……あ、報告書を書いたら早目に提出してくれよ? 以上」
ブレアは手をぱんっと一度叩くがそれによって現実へと引き戻されたアイリスはぽかんと口を開ける。
「ん? アイリス、どうしたんだ? 間抜けな顔をしているぞ」
「……え? えっと……あれ?」
「何だ?」
「あの私達、怒られるのでは……?」
「怒られたかったのか?」
その一言で、すぐさま無表情になるブレアにアイリスはとんでもないと首を横に振った。
「大丈夫だよ。ブランデル男爵が昨日の出来事を世間に知られないように穏便に隠したそうだ。まぁ、魔的審査課の裁判にはかけられるだろうな。昨日の件でこちら側の要注意人物の目録に名前が追加されたみたいだし」
黒い笑みを浮かべるブレアを見て、二人は少し肩を震わせた。まるで、逃がさないと言わんばかりのブレアの表情は見慣れていたとしても、中々怖いものである。
「この後は魔的審査課が中心となって、ブランデル男爵がどのような経路で魔具を手に入れたかを徹底的に調べるらしいから、背後に誰が動いているか見つかり次第、こちらに知らせるとの事だ」
「……ということは、また私達が魔具を回収しに行けと?」
とんだお使い部課ではないか。
アイリスは溜息を吐きながら肩を落とす。
「まぁ、そう肩を落とすな。男爵や違法魔具売買人の背後にいる奴らを突き止めて、取引される魔具を押収することが出来たなら、魔的審査課と魔法課に大きな貸しが作れるじゃないか。彼らは魔具調査課ほど、小回りが利かないからなぁ。私達が動くしかないんだよ」
「そうは言っても、誰も居ないじゃないですか。私達、三人以外」
同じ部課に所属している人が少ないのは知っているが、課内でまだ誰とも会った事がない。
「仕方ないだろう? 魔具回収はそんなに簡単な事じゃないから潜入捜査や調査なんかで長期間の任務が続いて、お互いに顔を合わせる時間が少ないんだよ。お前達二人が来る少し前に先輩組は丁度、出張任務に出発しちゃったし。まぁ、いつか会えるかもしれないから、しばらくは気楽にやるといいさ」
のん気そうな表情で、緩い笑顔をこちらに向けながらブレアは右手をひらひらさせた。その仕草にアイリスは何となく、気の疲れがどっと襲って来てしまう。
それなりに、覚悟はしていたつもりだが、まさかこれ程までに体力と忍耐力が試される部課だったとは知らなかった。
しばらく、クロイドと二人だけで任務を回さなければならないとなると、かなり忙しそうな気はするが、そこは新人でもあるので、ブレアがきっと上手いこと調節してくれると信じたい。
隣のクロイドは無表情ではあるが、怒られずに済んだ事にどこかしら安堵しているようだ。
「それでな、次に二人に頼みたい任務があるんだが」
「次、ですか……」
昨夜、初めての任務が終わったばかりなのに早過ぎないだろうか。
強いて言うならばそれ程の数の魔具が世に出回っていると言う事である。
「今度はリンター孤児院に潜入してもらいたい」
「え、孤児院ですか?」
アイリスはブレアの言葉に小さく首を捻った。
魔具や魔法とはかけ離れているような場所にも思えるが。
「この場所で魔力反応が感知されたと報告を受けている。一瞬だったらしいけれどな」
「……魔法による魔力反応の可能性があるということですか」
魔法を使う際、魔具は必ずと言っていい程に必要とされている道具だ。魔力反応があったということは、魔具を用いて魔法を使ったということだろう。
「多分な。まぁ、調査するに越した事はない。そういうわけで二人は今日から孤児院のシスターになってもらう」
どんっと告げられる言葉に追いつけない二人は目を開けたまま動かない。
「あの、ブレア課長……。もう一度、言って頂いても宜しいですか」
珍しくクロイドが自ら口を開く。
彼にとっては重要な事なのだ。自分は良いとして。
「うむ。これからアイリスとクロイドにはシスターとして孤児院に潜入し、魔具を無事に回収する事を任務として告げる! 以上!」
さらりと告げられる「女装」命令にクロイドは顔を真っ青にする。
「え、あの……。俺、男ですけど……」
「大丈夫だ。シスター服のサイズは合っている物を用意しているから」
そういう問題ではない。
「最低限の必要な荷物をまとめたら、この地図の孤児院へ向かってシスター・マルーに会いなさい。ここを取り仕切っている人だ。二人は教会から派遣された見習いシスターとしてここで働かせてもらう事にしといたから」
「それって……」
「もちろん魔具を回収するまでだ。それじゃあ頑張りたまえ、諸君。……あ、アイリスは後で報告書を提出しに来いよー」
どうやら本当の真面目な話はこれだったらしい。
先程よりも少し項垂れているクロイドの肩に、アイリスは慰めるように手を置いてから苦笑していた。




