従兄弟
魔具調査課に入るとユアンとレイクが黒板に向かって何か書いているところだった。新しい任務に関する作戦だろうか。
「おはようございます」
「おはよー」
「おう、おはよう」
二人は同時に振り返る。
「任務ですか?」
「そうなのよー。今夜ね。魔具を使って貴族に取り入っている違法な魔法使いが出没しているらしいのよ~」
「それを魔的審査課と合同で任務しなきゃいけなくてさ。その魔法使いが魔的審査課で指名手配されている奴らしいから、それならばってことで合同任務」
レイクはいかにも面倒だと言わんばかりに溜息を吐く。
「他の課と協力するのはいいけどよー。俺達のこと、馬鹿にしたような目で見てくるから嫌なんだよなー」
「そうねぇ」
「……」
その経験をつい先日、体験したアイリスとクロイドは顔を見合わせて、苦笑した。
「あ、そういえば、アイリスちゃんにお客さんが来ているわよ。あとで課長室に来て欲しいって」
「え、私ですか?」
お客ということはミレットではない。誰だろうと思い、アイリスは課長室へと向かう。もちろん、クロイドも一緒だ。
扉を軽く叩くと中からブレアが返事をする。中を確認するようにそっと、扉を開くとソファの上に見知っている人物がいた。
肩にかからないくらいに切りそろえてある金髪、青い瞳。前に会った時と変わらない無表情。
「っ、兄さん!」
アイリスが驚いたように声を上げるとエリオスは軽く頷いた。
「どうして、兄さんが……。だって、手紙には近日中って……」
「驚かそうと思って、今朝わざと手紙を送った。これ、フレシオンのお土産」
抑揚のない声を聞くのも久しぶりだ。エリオスはアイリスの手に二つの小さな箱を置く。
よく見るとテーブルの上にはお菓子のお土産が入っているであろう箱が並べられていた。もしや、この箱全部を魔具調査課にお土産として持ってきたのだろうか。
「ありがとう……。って、ブレアさん、もしかして兄さんと連絡取っていたんですか?」
椅子に座っているブレアがにやりと笑う。
「まぁ、たまにな」
ブレアはアイリスの保護者の立場である。従兄弟で仲の良いエリオスには状況などを報告したりしていたのだろうか。
「それで……そっちがクロイドか?」
エリオスはすっと立ち上がり、クロイドの方へと身体を向ける。クロイドは緊張しているのか顔を強張らせているように見えた。
「あの……。アイリスの相棒を務めさせてもらっています。クロイド・ソルモンドと申します」
クロイドはいつもより深く頭を下げる。自分達より、エリオスは年が三つほど上のはずだが、年上故の威圧のようなものはない。
クロイドは何に対して、それほど緊張しているのだろうか。
「俺はエリオス・ヴィオストル。アイリスの父方の従兄弟だ。聞いているかもしれないが、一応あのブルゴレッドの息子でもある」
エリオスもブルゴレッドのことが嫌いなので、自分と同じように「あのブルゴレッド」と言う瞬間の語気が強くなっている。
「……それで、ブレア課長から君はアイリスの恋人だと伺っているが」
「なっ……」
思わず声を上げたのはアイリスだ。さっとブレアの方を見ると、面白いものを見るような顔でにやにやと笑っている。
ブレア達にははっきりと付き合っているなんて言っていないが、すっかりお見通しだったようだ。
クロイドも狼狽した様子を見せたが、すぐに表情を真面目なものへと変えて、姿勢を正す。
「はい、お付き合いさせてもらっています」
「……」
改めてそう言われると、胸の辺りがむずむずとしてしまうではないか。アイリスは必死に平静の顔を装いつつ、クロイド達の様子を見守る。
「……アイリスはやらん!」
抑揚なく、無表情のままエリオスは声を張る。クロイドは何を言われたのか瞬時に理解出来なかったのか、口をぽかんと開けている。
しばしの間、静寂が訪れる。
「……と、いうのは冗談だ」
「……は?」
アイリスがどういうことだと言わんばかりに、エリオスとクロイドの顔を交互に見る。クロイドも動揺しているのか、動けないでいるようだ。
「あれ……。おかしいな。確か、東方の国では娘か妹が恋人を連れて来た時にはこういう風にするものだと本に書いてあったんだが……」
首を捻るエリオスだったが、首を傾げたいのはこちらの方だ。
「……」
反応に困っているクロイドに対して、エリオスはさらに何かを続ける。
「そういえば、君にもお土産を買ってきた。良かったら貰って欲しい」
すっとエリオスはポケットから小箱を取り出して、クロイドへと渡す。
「え? あ、はい。ありがとうございま……」
瞬間、箱は音を立てて一瞬で姿を消し、クロイドの手には白い鳩が現れて、羽を広げて天井へ向かうように飛び立つ。
「っ……」
その鳩もやがて、一枚のハンカチへと姿を変えて、ひらひらと舞うようにしながらエリオスの手へと戻った。
「……えっと、兄さん?」
アイリスがこの状況はどういうことかと問いかけるが、彼は真顔で振り返るだけだ。
「冗談だ」
何が冗談なのだろう。
いつものことなのだが、エリオスは真顔で冗談を言ったり、人を驚かせるのが趣味なのだが、それがあまりにも真顔過ぎて、初対面の相手はそれが本気なのか冗談なのか区別が付かないのだ。
現にクロイドはどうすればいいのか、という視線でアイリスの方をちらちらと見つつ、助けを求めてきている。
「……はぁ。もう、兄さん。クロイドが困っているから、冗談はそこまでにして頂戴」
以前、会った時と変わらないのはいいことだが、クロイドで遊ぶのは止めてほしい。
「すまない。反応が面白くて」
困惑している人の顔を見て、何が面白いのか分からないが、彼は彼なりに人を楽しませようとしているだけなのだ。
それが少し、空回りしてしまうだけで。
「だが、お土産があるのは本当だ。さっき、アイリスに一つ箱を渡しただろう? フレシオンのお土産だ。良かったら貰ってくれ」
「ありがとうございます……」
曖昧な表情をしながらクロイドは軽く頭を下げる。
自分やブレアなど、エリオスに面識がある人は慣れているがクロイドはまだ会ったばかりだ。少しは手加減してほしい。
「それで何か話があるからここに来たんでしょう? 魔的審査課に報告とか終わっているの?」
アイリスはクロイドを手招きして、自分の隣に座るように勧める。エリオスも先程まで座っていた席に座り直した。
「報告は今から行く。今日の用はお前の相棒のクロイドに会いに来たことと、ブレア課長へお土産を渡しにきたことと、そして――。手紙でも書いていたように、ブルゴレッドのことについてだ」
「……」
アイリスが思わず身構えると、心配そうな表情でクロイドが顔を窺って。
「少し、嫌な予感がしたんだ」
「嫌な予感?」
「あぁ。俺はあの家に数匹、式魔を見張りにつかせている」
式魔とは紙によって作られた創造の魔物である。
作成者に魔力を吹き込まれることで動くが、魔力や紙の大きさによって式魔に宿る力が決まる。小さい紙だとあまり大きな力はなく、せいぜい見張りや小さな言う事を聞けるくらいだが、主人には忠実だ。
ただし、魔力が切れると式魔としての効力も切れてしまい、動けなくなるのが欠点なので斥候くらいにしか使えない。
エリオスはその式魔をブルゴレッド家に潜ませているということは、以前からも聞いていた。
「その式魔が全部、何者かによって消された」
「なっ……」
思わず立ち上がりそうになるのをアイリスは必死に押しとどめる。
「あの家に魔法が使える者はいない。使用人にもいないはずだ」
「それは……。魔法が使える人が、家にいるということ?」
アイリスが恐る恐る訊ねるとエリオスは大きく頷いた。
「式魔は素人には消せない。魔力を持った者にしか、焼き消すことが出来ないからな。しかも、目立たないように虫や鼠に変化させていたものを見つけられたということは、魔力を探知することが出来る奴がいるんじゃないかと思うんだ」
「……」
「ブルゴレッドか……。あとで、改めてミレットに周辺を調べるように依頼しておくか」
話を聞いていたブレアが眉を潜めながらこちらを見ている。彼女も自分の身を心配してくれている一人だ。
保護者という立場を取った時、何度かブルゴレッドと衝突してはアイリスを守ってくれたのは他でもないブレアだ。
だからこそ、ブルゴレッドがアイリスに対して何か策を練ろうとしていることに対して敏感になるのだろう。
「ただ、魔法使いを雇っているだけなら、魔的審査課で調べればいいだけだ。だが、ブルゴレッドに何か別の思惑があるんじゃないかと思うんだ」
「それが……また、私に関係あることだと?」
「あぁ。あの家はまだお前が後から持つことになる遺産を狙っているからな。……本当に金しか頭にない、くず野郎ばかりだ」
吐き捨てるようにエリオスは苦い顔で言い放った。
実の父親と血のつながった弟がいたとしても、彼にとって、それは家族ではない。エリオスにとって家族と呼べるのは実の母親だけだ。その母親も今はいない。
「俺も暫くは内勤だ。また、新しく式魔をあの家に放って様子を見ようと思うが……。アイリスも十分に気を付けてくれ」
「分かったわ」
エリオスは力強く頷くアイリスを見て、ほっとしたように表情を緩めて、今度はクロイドの方へと視線を移す。
「クロイド、君にも頼みがある。アイリスが平穏な日々を送れるように見守って欲しいんだ」
「……はい」
クロイドも先程よりは、緊張が解けているらしいがそれでも表情は固い。だが、その返事を聞いたエリオスはふっと、口元を緩めた。
「それじゃあ、俺は任務の報告があるからそろそろ魔的審査課に戻る。何かあれば、連絡をくれ」
「えぇ」
エリオスはすっと立ち上がり、ブレアに一礼してから課長室から出て行った。
それを見送ったあと、アイリスとクロイドは同時にほっと息を吐いた。
「……兄さん、相変わらずだったわ。クロイド、驚いたでしょう? あの人、冗談が好きなの」
「……お茶目って、こういうことだったんだな」
少し気疲れしたのかクロイドが軽く溜息を吐く。
「でも、良い人だな。遠くに居てもアイリスのことを気にかけていて……。仲、いいんだな」
「えぇ」
「だが、アイリス。エリオスが言っていた通り、ブルゴレッドがまた何か企んでいるなら、面倒だ。十分に気を付けろよ」
椅子にもたれかかりつつ、ブレアが面倒そうに溜息を吐いている。
「いい加減、懲りればいいのに……。あの家の金への執着は本当に面倒だ」
「ブレアさん……。すいません、いまだに決着が着かなくって。……はぁ。もう、私が早く成人になれば、遺産は全部、孤児院とかに寄付して、ブルゴレッドに1ディールもあげないで済むのに」
「あぁ、やっぱり、寄付する予定か」
ブレアが苦笑しつつ、眼鏡を上へとあげる。
親の遺産は今、弁護士に管理してもらっている。ブレアと自分の知り合いであるその弁護士はとても信用出来る上に、少しだけ教団側の人間だ。
「私が持っていても、狙われるだけですから」
狙われるくらいなら、ブルゴレッド以外の人間に渡して、役立ててもらい。あの家に金が渡ったところで、結局は自分達の権威を見せつけるための象徴にすり替えられるだけだ。
「ま、今は自衛するしかないか。クロイドもアイリスのことを頼む。この子は突発的に行動しがちだからな」
「はい、分かっています」
「なっ……! 私、そんなに突進しているような人間じゃないわっ!」
アイリスが抗議の声を上げると、クロイドとブレアは顔を見合わせて、声を上げつつ笑っていた。
エリオスの忠告が一体どのようなことに繋がっているのかはまだ分からない。
それでも、自分が関わっている人達に迷惑がかからないようにしなければ、とアイリスはその不安を苦笑する顔の裏へと隠していた。




