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   旅立ち 2

「茜! 茜ー、こっちこっち!」

 ちょうど、お昼休みも真っ最中の学校の食堂は、賑やかな生徒達の話し声で活気に溢れている。それはいつもと何も変わらない、日常の風景。

 茜は心地よい安堵感に包まれながら、キョロキョロと声の主の姿を探して視線を巡らした。

 窓際の手前の席に座っていた女子生徒が、ぶんぶんと手を振っている。茜は親友の姿を見付けて小走りに駆けだした。

 声の主は、親友の高田真希たかだまき。三つ編みにした黒い髪がトレードマークで、一見『おしとやか』に見えるが、かなりはっきりした性格だ。

「どしたのー!? 登校、来週からじゃなかったの?」

「うん。お父さんも、敬にぃも出掛けるって言うんで、来ちゃった」

 少し驚いたように目を見開く真希にの言葉に、茜は「えへへっ」と小さな笑いを浮かべた。

 茜と真希とはいわゆる『幼なじみ』で、幼稚園以来の親友である。どちらも人一倍きかん気の強い子供だったので、事あるごとに衝突して、取っ組み合いの喧嘩をした仲だった。

『あなた達、まるで、男の子同士みたいねぇ……』

 幼稚園の担任が、溜息を付きながら良く言ったものだ。あれ以来、茜にとっては気の置けない一番の親友だった。

「昨日は、ありがとう。葬儀に来てくれて……」

「何、言ってんの。水くさい奴だなぁ」

 真希はそう言うと、茜を背中をペチンと一叩きした。

「大変だったな神津」

「あ、橘くんもいたんだ。大き過ぎて気がつかなかったよ」

 真希の向かいの席に座る真希の『彼氏』、橘信司たちばな しんじが遠慮がちに掛けてきた声に、茜はおどけた答えを返す。

 信司は身長190センチの巨漢で、柔道部の猛者だ。小柄な真希と並ぶとまるで『大木にセミ』状態に見えるが、性格の強さから見れば真希の方が数段上だ。所謂『尻に敷かれているタイプ』で、外見のイメージは『少し痩せぎすのジャイアント・パンダ』。

「あ、ひでぇ」

 厳つい顔の上で自己主張する眉を軽く寄せて、『ちぇっ』という風に信司は口をとがらせる。

「ほんとのことじゃん」

 くすくすと笑いながら追い打ちを掛ける真希の表情が、水を得た魚のように輝く。

 いつもの場所で、いつもの顔ぶれで、いつもの他愛ない会話をする。その日常性が、何よりも今の茜にはありがたかった。

 やっぱり学校に来て良かった。

 茜は心底そう思った――。



 放課後。

 茜は、練習が終わった弓道部の部室に真希と居た。

 帰ってもまだ誰もいないので、どうせなら部活も、と言うことになったのだ。

 他の部員は皆もう帰っていて、部室には茜と真希の二人だけだった。

 真希共々、中学から弓道一筋の茜である。

 茜は今年の全国大会で3位だが、真希は中学の時に全国1位になった腕前だった。

 実は、彼女の家は大きな旧家で、敷地内に弓道場が有ると言う生粋のお嬢様だ。その関係で、キャリア自体は真希の方が長かった。茜が弓道を始めたのも真希の影響だ。

「しかしさぁ、あんたがブラコンになるの分かるなー。実際、いい男よねー、従兄殿」

 着替えが済んだ真希は思い出したようにそう言って、『にひひ』と含みのある笑いを茜に向けた。

「な、何のことよ。私のどこがブラコンだって言うのよ!」

 自覚しないでもない事を言われたので、茜はしどろもどろになってしまう。

「あれで、もう少し押しが強ければ、言うことなしなんだけどなぁ。ね、茜ー」

 その様子を愉快そうに見やり、ニヤリと笑う真希を茜は頬を膨らませて睨みつける。でもその瞳には照れとは違う『何か』が映し出されていた。

――確かに、敬悟にぃは『温厚』な性格なのよね。

 茜は、彼が感情的に声を荒げた場面を今まで見たことがなかった。だからといって気が弱いわけではなく、言うべき所は言う。それに、面倒見は良いし料理も上手かった。家事センスのない茜に比べればよほど間違いなく、家庭人として健全な生活が送れるタイプだ。

 父の影響か、考古学どっぷりのちょっとオタッキーな所があるが、それはそれで『自分の夢を持っている』と言えなくもない。

 好きか嫌いかと聞かれれば、それは『好き』に決まってる。でもそれは、肉親に感じる親愛の情のはずだ――。

 茜は、ぶるぶると頭を振った。

「敬にぃは、敬にぃよ。それ以上でもそれ以下でもありませーん!」

「ほうほう。んじゃ、私が、モーション掛けてもいいわけだ」

 尚もからかいモード全開の真希の言葉に、茜が固まる。

「真希〜〜」

「あはは。あんたからかってると、飽きないなぁ」

「もうっ!」

 口をとがらせて怒って見せる茜も半ば、真希とのこのコミニケーションを楽しんでいた。

 こうしてふざけあっていると、その間は嫌なことを忘れられる。落ち込んでいるだろう自分の気持ちを、何とか引き立たせようとしてくれている親友の心遣いが嬉しかった。

『真希の方こそ彼氏とはどうなのよ?』と、茜が反撃してやろうと口を開きかけた時だった。

 ブルル。

 と、マナーモードにしてある真希の携帯が鳴った。

 真希は、制服のジャンバースカートから携帯電話を取り出して、着信窓に視線を走らせる。

「あ、ちょっとごめん。家からだ」

 そう茜に断り、カラフルなキャラクターもののストラップが沢山付いた携帯電話を持って、窓辺に歩いていく。

「もしもし。あれ? もしもし〜? 何これ?」

 携帯電話を耳に当てたまま、真希が訝しげに茜の方を振り返る。

「も……」

 そう言ったきり真希の動きが、ピタリと止まった。

 だらり――。

 電話を持った手が力無く垂れ下がり、携帯が、ゴトンと足下に転がり落ちる。

「ま、真希?」

 突然の親友の変化に家で何事かあったのかと、茜は真希に歩み寄った。落ちた携帯を拾って、顔をのぞき込む。

「!?」

 茜は目を疑った。

 真希の血色の良いピンクの口角が『ニイッ』とスローモーションを見るようにつり上がって行く。

 邪悪さをたたえたその笑いには、見覚えがあった。 

 ニヤリ、と上がった口の端に、ぬらり、と白い大きな犬歯が光る。

 それはもはや、肉食獣のそれだ。

 少女の、いや人間のものでは有り得なかった。

 キロリ。

 血走った異形の眼が茜を見た。

 紅い。

 まるで血を思わせる深紅の瞳。

 猫のような細い弓形の瞳孔が、キラリと金色の禍々しい光を放つ。

「ま、真希!?」

 茜は、湧き上がる恐怖心で、じりじりと後ずさった。

 ――あれは、

 夕べの事は、夢なんかじゃない――。

 あれは、本当にあったことだ!

 茜は震える手で胸のペンダントをまさぐると、ギュっと握りしめた。

 もしかしたら、また何処かに飛ばされるかもしれない。それでも、鬼に襲われるよりは100万倍もマシだ。

 だが、茜のかすかな期待感は、手に伝わるひんやりした石の感触にかき消された。

 理屈や原理は分からない。ただ、今茜の手に中にあるのは、ただの鉱物だ。茜はそう感じた。

 逃げなくては。

 とにかく、この部屋を出て人のいるところまで逃げなくては。

 茜は後ずさりながら、部室の唯一の出入り口であるドアに視線を走らせた。

 真希は、真希が変化した鬼は、その唯一のドアを背にして立っている。

 窓は人が出入りできるほど、大きくはない。逃げ場は何処にもなかった。

 トン――。

「きゃっ!」

 後ずさっていた茜の背中が、部室の壁にぶつかる。

 緩慢な動き故に大きな衝撃はなかったが、茜は飛び上がらんばかりに驚いて小さな悲鳴を上げた。

 もう後には下がれない。

 距離にして、5メートル。

 鬼がもし襲ってきたら、簡単に捕まってしまうだろう。

 一触即発。

 茜がごくりと唾を飲み下したその時、

 張りつめていた、空気が揺れた。


『我ハ、ソノ石ノ、正当ナ、持チ主ナリ』


 聞こえて来たのが、真希の口から発せられた『声』であることに茜が気付くのに、数瞬を要した。

 その声は、明らかに彼女のものではなかったのだ。

 まるで地の底から響いてくるような、他者を威圧し、恐怖を抱かせる声。

 その声が、昨夜の赤鬼と同じものだと気付いて、茜の背筋をゾクリと悪寒が走り抜けた。

 ――石。

 ――石の正当な持ち……主?

 呆然と鬼の言葉を反芻する。


『ソノ石ヲ、返シニ来イ

サモナクバ、コノ娘ハ、鬼人ト化シ、死ヌ――』


「えっ……!?」

 ――キジントカシ、死ぬ?

 ――死ぬって!?

 鬼の語る言葉の意味の重大さに気付き、茜は一瞬恐怖を忘れて声を上げた。

『キジントカシ』は『鬼人と化し』だろうか?

 でも鬼は確かに、真希が『死ぬ』と言ったのだ。

 そして、鬼は最後にこう言った。

『キガクレノサトニ、来イ』と。

 昨夜見た赤鬼。

 母に似た鬼女。

 そして、豹変した真希。

 全てが茜に『石』の存在を指し示し、それを返せと口を揃えて言う。

 何故?

 何のために?

 この石に、一体何があるっていうの?

 永遠とも一瞬とも感じられる沈黙の後突然、張り詰めていた場の雰囲気がガラリと変わった。

 異常な空間から正常な空間へ戻ってきたようそんな安堵感を茜が感じるや否や――。

 ドスン。

 まるで糸が切れた操り人形のように、真希の体が鈍い音を響かせて床に転がり落ちた。

「真……希?」

 ぴくりとも動かない真希の体。

 鬼の『鬼人と化し死ぬ』と言う言葉が、茜の頭をぐるぐると巡る。

「ま、真希っ!?」

 茜は慌てて、地面に横たわる親友の元へ駆け寄った。

「真希? 真希!?」

 茜は跪くと、真希を抱き起こした。

 その顔色は青いのを通り越して白かったが、いつもの真希の顔に戻っていた。

 だが、生気という物が感じられない。

 ゾクリ――。

 茜の背筋を、冷たい物が走った。

 そ……んな。

「真希? 真希!?」

 必死に、動かない真希の体を揺さぶる。

「真希、起きて! 起きてよ!」

 ピシャピシャと頬をたたいてみるが、何の反応も示さない。

 こんなの嫌だ。

 ダメだよ。

 ガラリ――と戸の開く音に、茜はギクリと振り返った。

「た、橘くん!」

 入り口に呆然と佇んでいるのは、真希の彼氏の橘信司だった。

 その顔色は、真希に負けず劣らず蒼白になっている。

「なん……だよ、これ?」

 震える声は、彼が恐怖に支配されていることを如実に表していた。


 彼は、見ていたのだ。




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