02 青い闇
――あれ?
――ここは、どこだ?
目を覚ました茜は、自分のいる場所が何処なのか分からずに、きょろきょろと周りを見渡した。 ゆっくりと起きあがる。
そこは、不思議な場所だった。
暗闇では、なかった。 でも、周りに何があるのか分からない、言うなれば濃密な「青い闇」
両手を前に突き出して、探ってみる。じりっ、じりっと、進んでみるが、その手には何も触れない。
見えないと言うのは、こんなに心細いものなのか。まるで底なし沼を泳いでいるような、そんな不安感が茜を襲う。
「敬にぃーっ」
恐怖に声が掠れる。
あの時……。
あの『鬼』を見て、青い閃光に意識を焼かれる瞬間、聞いたのは間違いなく敬悟が自分を呼ぶ声だった。
なのに、どうして敬悟はいないのだろう?
今、自分がいる場所が何処なのか分からないことよりも、敬悟がいないことの方が怖かった。
――まさか、あの鬼にどうかされてしまったの!?
「敬にぃっ!」
返事はない。 無限とも思える静まり返った空間が、ただ広がっているだけだ。
「神津 敬悟! 返事しろーっ!」
張り上げた声が、吸い込まれるように消える。
「何で、いないのよぅ……」
心細さに、泣きたくなる。
幼い頃から一人ぼっちが、大嫌いだった。きかん気が人一倍強い子供だった反面、人一倍寂しがり屋でもあった。
一人が怖いと言って泣く夜は、いつも隣にいてくれた敬悟。
『大丈夫だよ、茜ちゃん。僕がいつも一緒にいるからね』
そう言って、いつも茜が寝付くまで、手を繋いでいてくれた。
いつの頃からか、さすがに年頃になってそう言うことはなくなったが、子供の頃から刷り込まれた頼り癖は、そうそう抜けるものではなかった。
無意識に、胸のペンダントを握りしめる。
――だめだ、落ち着け。考えるんだ。
今、どうすればいいのか。
今、出来ることを考えるんだ、茜!
ふぅ、と一つ大きく深呼吸をする。
弓道の試合の時、弓を射る瞬間、いつもそうするように精神を統一する。
――そうだ、見えないのなら、聞けばいい。
そう思い当たった茜は、耳をすます。
「あれ? この音……」
低い、微かな振動音が聞こえた。
地面に手を当ててみると、確かに微かだが地面も震動している。この震動が大きくなる方へ行けば、何か分かるかも知れない。
地面の震動を手のひらでたぐるように、這い進んで行く。
人間、進む方向性が決まると図太くなるらしく、「こんな格好、人には見せられないなぁ」などど、呟く余裕が出てくる。 どれくらいそうしていただろうか。音が大きくなるにつれて、周りがほの明るくなって来た。
「いったい、どんだけ広いのよ!?」
奇妙だった。 明るさは確実に増して来ているのに、相変わらず、周りがどうなってるのか把握が出来ない。よほど、広大な空間なのか、もしくは……。
「何もない、なんてことないでしょうね!?」
嫌な汗が、背中を伝い落ちた。
一瞬、自分が異次元にでも迷い込んでしまったような錯覚に陥る。
少なくとも、手のひらに感じる地面は普通の土だ。 壁や天井は見えないが、おそらく、そんなに突拍子のない物であるはずがない。そう自分に言い聞かせる。
と、突然、視界が開けた。
青い闇の中、そこだけが、スポットライトを当てたように浮かび上がり、人がいた。明るい色の長い髪が、目につく。
――髪の長い、女の人?
茜はホッとした瞬間、自分がモグラよろしく地面にはいつくばっていることを思い出し、慌てて立ち上がった。
「あ、あのこれは、暗くてよく見えないのでどうしようかなと思ったら、地面が震動しているのに気がついいて、それを辿ってくれば誰かに会えるんじゃないかなぁ、なんて思ったわけで……」
照れ隠しにまくし立てながら、ホコリで真っ白になっているはずの制服のスカートをぱんぱんと払うと、女の方へと歩き出した。
だが、女からの答えは無く、最初と同じ姿で茜に背を向けて立っている。 かすかな違和感を感じて、茜は眉をひそめた。
聞こえなかったのかな?
「あの、すみません! ここはどこですか!?」
歩み寄りながら、最初よりもボリュームアップした声をかける。
今度はその声が届いたのか、女はゆっくりと振り向いた。
すべらかな頬の輪郭。
通った鼻筋に、かすかな微笑を浮かべた愛らしい唇。
茶色と言うよりは鳶色の大きな瞳は、日本人には珍しい色合いをしている。
目に映る女の容貌が脳神経に到達した瞬間、茜はその場に固まった。
「えっ……?」
驚きのあまり、言葉が続かない。
振り返ったその人は、茜の良く知っている人物だった。
色素の薄い茶色の、優しくウェーブのかかった綺麗な長い髪。
柔らかい、その髪の感触が好きだった。
でも、そんなはずはない。
その人のはずがないのだ。
「お、お母さん……?」
思わず声が震える。
茜の動揺など意に介さないような、天使のような笑顔。 その優しい笑顔は、見まがうはずもない、母、明日香のものだった。
――ああ、そうか。
お母さん、死んでなんかいなかったんだ。
だから、私、泣かなかったんだ。
こみ上げる泣きたくなるような、安堵感。
「お母さん!」
駆け寄ろうとした茜の足が、ピタリと止まった。
ニィッ――と、女が笑ったのだ。
上がった口の端から、白い、大き過ぎる犬歯が覗く。 禍々しい程の輝きを放つ双眸。 それは、あの鬼と同じものだった――。
あまりの恐怖で、金縛りにあったように動けない茜に、母の顔をしたそれは言った。
「石ヲ、返セ」と。
――また石?
何のこと?
訳が分からず首を振る茜の胸に、突然灼熱感が走る。 驚いて反射的に胸に手をやると、ペンダントに触れた。
「熱っ!?」
触れた手に伝わる熱に驚いてペンダントを見詰めると、青白く発光している。 瞬間、それがあの『閃光』に変わる。
――ああ、あの光、このペンダントだったんだ……。
再び薄れ行く意識の下で茜は、ぼんやりとそんなことを思った。




