崩落 2
パシィィン――。
鋭い炸裂音が響き渡り、ほとばしる赤い閃光が、呆然と空を見詰める茜を照らし出した。
今、茜の目前で繰り広げられているのは、初めて目にする鬼同士の言わば『超能力戦』だ。上総と敬悟が戦った時とは、明らかに違う。
上総が使ったのはあくまで己の肉体の力のみで、こんな特殊な能力をぶつかり合わせるような戦い方はしなかった。
クォーターである敬悟に有る能力が、ハーフである上総には無かった――とは考えづらい。仮にも、あの男は鬼の一族を統べる立場にあったのだ。
「あえて、使わなかったの?」
なぜ?
疑問と共に浮かんだ上総の怜悧な瞳が、茜の脳裏を過ぎる。
分からない。
何を考えているのか、全く分からない男だった。
実は、そんな能力は無かったのかも知れないし、他に何か能力を使わない理由があったのかも知れない。
上総が敬悟と血を分けた実の親子であることを知るよしもない茜には、その理由を想像することすら困難だ。
それは、当の敬悟も同じではあったが――。
バン!
再び上がった炸裂音に、考えに沈んでいた茜はハッと我に返り、慌てて敬悟の姿を目で追った。
「え……?」
茜は我が目を疑った。
敬悟の、鬼の変化が解け始めていた。
大鬼の攻撃を、体の周りに張った障壁でかわしながら、敬悟は自分の体が人身に戻っていくのを感じていた。
敬悟の放った赤い光の玉は、確かに大鬼に対してダメージを与えることが出来た。だが、同時に激しい体力の消耗を強いてもいたのだ。
精神能力の負荷に、肉体が付いていかない――。
「くっ……」
限界、なのか。
敬悟の鬼の変化が解けるのに合わせて、体を守っていた障壁が徐々に消えていく。
「茜……」
――頼む、逃げてくれ。
敬悟は心の底からそう念じながら、襲い来る黒い刃を見据えた。
「敬にぃ!」
茜は悔しかった。
純血体だというのに何の力も出せない、だた逃げ回るしか出来ない自分が不甲斐なかった。
敬悟は、鬼の姿に変化してまで戦っているのに。自分を守ろうとしてくれているのに。
茜はぎゅっと唇を噛んで、ペンダントの石を握りしめた。
『――行け、茜。お前ならきっと出来る。俺たちの叶えられなかった事が、きっと』
茜の胸に、玄鬼の言葉が蘇る。
そうだ。
玄鬼は、石をコントロール出来ると言っていた。
あの時の気持ち。
大切な人を守りたいと思う気持ち。
それを思い出せ。
静かに目を瞑り、石を握る手に力を込める。
力が欲しい。
力が欲しい。
力が欲しい!
ビイィィィン――。
茜の心に共鳴するように、石が激しく振動を始める。
熱を帯び、青白いオーラが立ち上った。
真希。
橘君。
玄鬼。
白鬼。
今まで出会った沢山の人たち。
お父さん。
そして、敬にぃ。
どうか私に、戦う力を。
破壊のためじゃなく、
守るために。
大切な人たちを守るために、戦う力を!
青い閃光が茜を包み見込む。
とてつもない力が体中にみなぎり始める。
腹の底から沸き出し体中を駆け巡るエネルギーの奔流は、石を握る右手へと集中する。
スウッと、握りしめている石が、細く長く伸びて行く。
それはやがて、青く光り輝く一対の弓と矢へ変化した。
躊躇なく、茜はその弓を構える。
黒い巨大な敵に向かって、力の限り弓矢を引き絞る。
「敬にぃ! 伏せてっ!」
ビィィィーン――。
叫ぶ茜の手から矢が放たれる。
青白い尾を引きながら美しい放物線を描き、黒い影へと吸い込まれて行く。
そして。
時が止まった――。
全ての音が消え、静寂が、世界を支配する。
青白い閃光に照らし出されていた空間が、徐々に色を取り戻し始める。
耳が痛くなるような静寂の中。完全に鬼の変化が解け人身に戻った敬悟は、大鬼が消えた何も無い空間を呆然と見詰めた。
敬悟が死を覚悟した瞬間、目の前に居た強大な敵は何の痕跡も残さず、文字通り消滅してしまった。
それを成したのは、青く光輝く一本の矢。
『敬にぃ、伏せて!』
矢の射られる直前、聞いたのは確かに茜の声だった。
あの矢は、茜の放ったものだろうか?
体力・精神力の極端な消耗で、思考も体も思うように動かない。
それでも敬悟は力を振り絞り、茜の姿を求めて、ゆっくりと視線を彷徨わせた。
百メートルほど離れた場所。ポツリと佇むその姿を視界に捉えた時、茜は力尽きたように、その場に崩れ落ちた。
床に崩れ落ちたまま、微動だにしない。
「あ……かね?」
敬悟が、傷だらけの体を引きずるように、茜の元へと足を向ける。
その時だった。
何の前触れも無く地面がグラリ、と揺れた。それはすぐに、地響きを伴う大きな揺れに変わって行く。
バランスを崩して、その場に前のめりに倒れ込んでしまった敬悟の鼻先に、ガラガラと音を立てながら、一抱えもあるような岩が崩れ落ちて来る。
洞窟が、崩落を始めていた。
ま……さか?
敬悟は体を引き起こすと、広場の中心にそびえ立つ巨大な石柱の天辺を仰ぎ見た。
石柱の上にあった筈の白いドームが、無かった。
そこに刺さっているのは、一本の青い矢。茜の放った矢は黒い大鬼を倒したのみならず、結界の発生装置をも貫いていたのだ。
連動している船の自爆装置が作動し、洞窟を崩落させ始めたのだった。
――敬にぃ。
ごめんね。最後にどじっちゃったみたい……。
自分の名を呼ぶ敬悟の声を、途切れがちな意識の下で聞きながら、茜は、自分が侵したミスを心の中で詫びた。
呼び覚まされた純血種の能力は、大鬼を倒すことと結界の発生装置を破壊することを、同時にやってのけたのだ。
どうせなら、逃げるところまで面倒見てくれればいいのに……。
そう心の中で愚痴ってみたが、現実は、そんなに上手く行かないらしい。
オーバーヒートだ。
持てる力を一気に放出してしまった身体は、鉛のように重く自由がきかなかった。
「茜、しっかりしろ!」
敬悟に抱き起こされた茜は、辛うじて目を開けた。
「ごめ……敬に……」
声帯も上手く機能せず、掠れた声が微かに吐き出される。
「もういい。何も言うな。……良くやったな」
そう言って、敬悟はいつもの優しい笑みを浮かべた。
それは、大好きな笑顔。
いつも、いつも見守ってくれた、愛おしい人の笑顔。
ああ、私は、こんなにも――。
茜の瞳から、ポロリと涙の滴がこぼれ落ち、白い頬を濡らしていく。
「わた……し」
「うん?」
「敬に……好きだ……よ?」
茜の囁きに、敬悟は口の端を上げた。
「知ってるよ」
頬を伝う涙の滴に、
その愛しい唇に、敬悟はそっと口づけを落とす。
そして、庇うように、茜を抱きしめた。
とくん、とくん。
とくん、とくん。
優しく響く鼓動の音が、抱き合った互いの胸から胸へと溢れる想いを伝える。
迫り来る死は、不思議と怖くはない。例えここで命が尽きようとも、共に居られることが嬉しかった。
ただ気がかりがあるとすれば、一人残される父のこと。
――お父さん。
穏やかな父の顔が、茜の胸を過ぎる。
お父さんなら、きっと分かってくれるよね?
明日香を、お母さんを愛したお父さんなら、きっと――。
戻れなくって、ごめんね。
親不孝してごめんなさい。
一際大きな岩盤が、まるでスローモーションのように、二人を目がけて落ちて来るのを、茜は敬悟の温もりに包まれながら、静かに見詰めた。




