対決 4
ひゅっ――と、風が鳴る。
次の瞬間、びっと言う音を発し血が霧のように飛散した。
「けっ、敬にいっ!!」
上総の右肘から先だけが、赤鬼のそれに変化していた。
どちらかと言えば細身の上総の肘に、取って付けたように生えている鬼の腕――。そのグロテスクな鬼の鋭い爪から、引き裂いた敬悟の返り血がぽたぽたと伝い落ちた。
「どうした上総? さっきみたいに、鬼に変化してみたらどうだ?」
左頬を浅く斬りつけられた敬悟が、流れ落ちる血を手の甲で拭いながら上総に問う。
「あなた相手に本気を出しては、簡単すぎて面白みがないですからね――」
だが、そう答える上総の顔には、今までのように嘲るような笑みは張り付いていない。それは、彼の余裕のなさを如実に表していた。
「……なら、本気にさせてやるよ」
だあっ――と、敬悟が上総に向かい駆け出す。真正面から飛び込んで行く。
上総の鬼の腕がそれを薙ぎ払おうと、振り上げられる。
「敬にぃ! 危ないっ!」
茜は思わず声を上げながら、目をつぶった。
敬悟が身を屈めて、振り下ろされた鬼の腕の肘の上の部分を、生身の上総の腕を下から薙ぎ払い、渾身の力を込めて上総の鳩尾に拳を叩き込んだ。
ゲホゲホッ――。
上総が苦しそうに咳き込み、己の体を支えきれずに片膝を付く。
「ちっ……」
上総が血の混じったツバを吐き捨てながら、ゆっくりと立ち上がる。
「まったく、計算外でしたよ……」
ふう、と一つ息を吐き、上総がゆっくりと目をつぶる。次の瞬間、開けたその瞳は、 真っ赤な鬼の目に変化していた。犬歯が大きく牙のように伸びて行く。
茜は、それを金縛りにあったように見詰めていた。
「これくらいで、充分ですね」
人の姿に、鬼の右腕。赤い双眸に、鋭い牙――。半人半妖の上総の姿。それは、鬼そのものよりも、見る者に恐怖心と嫌悪感を抱かせる。人であって人ではないモノ。
だがそれは、敬悟の中にも確かに存在するモノでもあった。
「何故、完全に変化しない? 出来ないからだろう?」
挑発を込めた敬悟の問いに、上総が無言でギロリと鋭い眼光を向けた。
妙な覇気のなさ。敬悟は、戦い始めてから、上総の微妙な変化を感じ取っていた。
最初に、鬼に変化した上総に感じた圧倒的な威圧感。それが今の上総からは感じられなかった。
『今の上総が相手なら、自分でも五分に戦える』
そんな確信が敬悟にはあった。
「何故、答えない?」
おそらく、『一度鬼に変化してしまうと、すぐには変化出来ない』のだ。
答える変わりに今度は上総が、びゅっと、鬼の手を振りかざしながら敬悟に向かってくる。が――、敬悟は、それを、ひょいひょいとかわしてしまう。
原因は、鬼の腕、そのものにあった。
当たれば、その破壊力は計り知れない。前のように、腹部に食らえば、簡単に致命傷になるだろう。でも、その腕を操る上総の腕は、人間のものだった。
たぶん、その筋力は敬悟とそうは変わらないだろう。いくら破壊力が大きくても、当たらなければ、その力を発揮しようがない。
敬悟はそれを、見切っていた。
「敬にぃ……」
その様子を見ていた茜は、こんな時なのに、妙な事に感心していた。
――敬にぃってもしかして、もの凄くケンカ慣れしてる……?
「茜っ!」
「は、はいっ!!」
突然、敬悟に名前を呼ばれて、茜は文字通り飛び上がった。
「いいか。良く聞け」
上総の攻撃をかわしながら、敬悟が叫ぶ。
「この洞窟の何処かに、結界をコントロールしている場所がある。それを見付けて、壊せ!」
「え……?」
「たぶん、最初に飛ばされた『青い闇』、あの振動音の発生源、そこがそうだ!」
「青い闇……。で、でも、敬にぃ!」
「行け! 俺は大丈夫だ。お前はお前が出来ることをするんだ! 行けっ!!」
「は、はいっ!」
敬悟の声に背中を押されるように、茜は洞窟の更に奥へと駆け出した。
自分に、出来ること。
そうだ、私は私に出来ることをしよう。
――敬にぃ。
死んだりしたら、許さないよ。
必死に走る茜の目前で、ほの明るかった空間がどんどん暗くなって行く。それは、あの『青い闇』に酷似していた。




