対決 3
「私のものになりなさい。そして、その石共々、私の 『力』となるのです」
青白い淡い闇の中 、上総は、そう言って嗤った――。
「な…にを、言ってるの……?」
座り込んで敬悟を胸に抱えたまま、茜は信じられない思いで上総のその言葉を聞いていた。
――この男は、何を言ってるの?
意味が分からない。
「いささか、この現状にも飽きたのでね」
と、上総は何処か自嘲気味に嗤う。
「私は、故郷の星に帰れようと帰れまいと、そんなことはどうでも良いんですよ。鬼部の一族が 滅ぼうが、どうなろうが知った事ではありません」
――所詮、己はどちらの星にも属さないコウモリのようなモノだ。何処に行こうと、『異端のモノ』で在ることには変わりがない。ならば、いっそ――。
「この世を支配してみるのも、一興かと思いましてね」
ニヤリと、その赤い口の端がつり上がる。
それを聞いた茜は、背筋が凍った。
上総の本性は『あの赤鬼』だ。それが支配する世界など、想像するのも嫌だった。
「頭、おかしいんじゃないの? 私が思い通りになるとでも思ってるの?」
「思ってますよ」
くすくすと、上総の笑い声が広い洞窟内に響く。
茜は、胸のペンダントを握りしめた。それは、茜の心に反応するかのように、微かに振動しながら熱を帯びてくる。
――お母さんお願い。力を貸して!
「止めておきなさい。例えその石の力を使ったとしても、あなたでは私には勝てませんよ?」
嘲るような上総の声が、茜の癇に障った。
「そんなの、やってみないと分からないじゃない! あなたは、ハーフなんでしょ!? だったら、純血体の私の方が力があるって事じゃないの!?」
「……どんな生き物でも、『亜種』と言うものは、本来の種よりも強い個体になるものなのですよ? 学校で、習いませんでしたか?」
茜は、ぐっと唇を噛んだ。
それは、そうなのかも知れない。あの赤鬼に変化した上総と戦って、自分が勝てるとは茜自身も思えなかった。
「これは、私の提案です。あなたが私の言う通りにするのなら、その男は助けてあげましょう」
「えっ!?」
「今、その男は瀕死の状態です。普通の人間ならとうに失血死していてもおかしくはありません。保っているのは鬼部の血を引いているからです。が、それも時間の問題です。あなたが、『はい』と言いさえすれば、今すぐ傷を治してあげますよ」
茜は、以前上総が手に負った火傷を、マジックのように治した事を思い出した。
「前のように記憶を封印し『神津 敬悟』として元の生活に戻してあげます。もちろん、あなたの記憶も封印しますがね」
「父は……。鬼部の惣領は、どうしたの? あなたが殺したの?」
今もし、茜の味方になってくれる存在があるとしたら、その人しかいなかった。
「鬼部の惣領と言うのは、一人の個人を指すものではないのですよ。第一世代のリーダーが、自分を含め選りすぐった者の遺伝子を冷凍保存しました。そのリーダーの遺伝子で明日香に生ませたのが茜、あなたです。今、この鬼部一族の実質的なリーダーは、私です」
「そ……んな……」
唯一の望みが絶たれてしまった。
――なら、私はどうすればいいの? どうすれば……。
茜は、胸に抱えた敬悟の顔を見詰めた。もはや、その命の灯が消えかけているのが、茜にも分かった。
「どうします? のんびりしている暇は無いと思いますが?」
上総の声は、何処までもゲームをしているかのように楽し気だ。
「分かった……」
――私さえ我慢すれば、敬にぃは助かる……。
「あなたの……言う通りにするよ」
――今は、敬にぃを助けるのが先決だ。生きてさえいてくれれば、生きてさえいれば、きっと道は開ける。
茜は、敬悟の頬に唇を寄せると、そっと口付けた。
頬を、一筋涙が伝う。
――ゴメンね、敬にぃ。きっと、たくさん怒られちゃうね……。
――ああ、そうか。記憶を封印されてしまうんだから、怒りようがないかぁ。
こんな時なのに、笑いがこみ上げて来る。
「お願い。敬にぃを助けて……下さい」
震える声でそう言うと、茜は上総に頭を下げた。
その時、茜の腕の中で敬悟が身動ぎをした。
「だ、めだ……。茜、止め…ろ」
先ほどまで堅く閉ざされた瞳が、茜を見詰めている。
「敬に……ぃ?」
驚く茜の目の前で、敬悟の顔色が見る間に戻って行く。
「何故だ……? あの傷で、何もしないで回復するはずがない……」
上総の、初めて聞く声音だった。いつもの、嘲るような余裕が消えている。
「敬にぃ!?」
「これが、効いたみたいだ」
ニッと笑顔を浮かべて、敬悟は、さっき茜が口付けた頬を指さした。
そして、『ふう』と一つ大きく深呼吸をする。浅かった呼吸が徐々に深く大きくなって行く。
「ん……じゃ、このくらいで、完治するかな……」
そう言うと敬悟は茜を引き寄せ、唇を重ねた――。
「ん……!?」
茜は、突然の事に、頭がパニック状態でどうして良いのか分からない。
「ん……!?」
「何故だ!? 何故、あの傷で動ける!?」
上総が目に見えて、狼狽する。
――まさかこの娘、無意識に己の力を使ったのか!?
上総が茜に言ったことは、半分真実で半分嘘だった。
確かに身体能力は、変化した上総の方が勝る。相手がクオーターの敬悟ならば、体力、精神能力のどちらをとっても負けることは無い。が、茜は違う。最も血の濃い『純血体』。
体力はともかく、精神エネルギーは上総では遠く及ばない。だからこそ、こんな姑息な罠を張って茜を、その力を手に入れようとしたのだ。
「け、敬にぃっ!!」
やっと今の自分の状態を把握した茜が、抱き上げていた敬悟の身体を慌てて放した。
「でっ!」
さすがにまだ元には戻ってはいない敬悟が、茜の膝の上にどすんと落ちる。
「お前……なぁ。これはないんじゃないか?」
いつもの敬悟の、あきれたような、『しょうがないなぁ』と言うその声が、茜はたまらなく嬉しかった。
ゆっくりと、だが確実に、敬悟は立ち上がる。
そして、完全に立ち上がると、上総に向かって言い放った。
「もう一度、やってみるか? 今度は簡単にはやられないぜ?」
――俺には、勝利の女神が付いているからな。
戦い勝たねば未来が無いなら、それが誰だろうと、どんな相手だろうと、勝ってやる。
敬悟の目には、もう何の迷いも無かった。
最後の戦いが、始まろうとしていた――。




