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12 儀式前夜

「神津さん。今日はもう、一度戻った方がよかばい。これ以上はもう……。今夜はまた嵐が来っけんよ……」

 暮れ始めた夏の空を見渡しながら、申し訳なさそうに話を切り出したのは、茜たちが港で話を聞いた漁師こと、渡瀬泰三。その言葉に衛は、無言で進めていた足を止めた。

 急に下がり出した気温が、夜の訪れを告げていた。

 茜たちを追って来ていた衛は渡瀬の話から、茜たちが鬼隠れの里に向かったことを確信する と、すぐさま遭難者として届けを出した。そして、自らも捜索隊の一員として島に渡って来たのだ。

「そうばってんか、不思議たいね。こん石の柱……。鳥居とも違うし、一体何なんなのやろうね? オイも長年ここに居ますけんばってん、崖ん上にこがん物が建っとっなんて初めて知りたばい」

 渡瀬の言葉に、衛はその柱を見上げる。

 大地から生えた、大きな石の柱。

 直径二メートル程の円筒形のその柱は、十メートルほどの間隔で垂直に建っていて、その柱と柱にはしめ縄が渡されている。

 それは見る者に一種宗教的なモノ、例えば「鳥居」を連想させたが、もちろん既存の鳥居とは確実に違っていた。

「これは、『門』ですよ。鳥居は神域を象徴する一種の門ですから、似ていると言えば言えるのですが、これはどちらかと言えば、『結界』と言った方が良いのかも知れないですね……」

 衛の言葉に、渡瀬が厳つい顔に似合わず意外とつぶらな目を剥いて驚く。

「『ケッカイ』って、仏教だか密教だかの、あの結界ね?」

 意外とその方面の知識があるらしい渡瀬は、興味津々で瞳を輝かせた。

「ええ。あの『結界』です」

『結界』とは、密教で、修法によって一定の地域に外道・悪魔が入るのを防ぐことを言うのだが、町への門がその結界だというのは、どういう事なのだろう。

 渡瀬は恐る恐る、その結界だという鳥居の下に右手を出してみる――。が、別段、どうと言うこともない。

 その脇を、無造作に衛がくぐり抜ける。そのまますたすたと進んで行く衛の後を、渡瀬が慌てて付いて行く。

 百メートルほど行くと、二人の足はぴたりと止まった。

「か、神津さん……こいは、一体?」

 渡瀬の目が、驚愕に見開かれる。

 そこには、見えていたはずの洞窟が無かった。あるのは、切り立った崖のみ。

 その崖の下には、闇の中でうねる波間が広がっているだけだった。


 十八年前、衛は一度鬼隠れの里への扉をくぐっている。

 遺跡発掘中の落盤事故。

 あの時、衛達は、ここの洞窟の中で遺跡の発掘作業をしていたのだ。

 もしかしたら、もう一度、その扉が開かれるのではないか?そんな、微かな期待があったのだ。だが、現に、その扉は固く閉ざされている。

「……あの時は、明日香、君が助けてくれたんだったな……」

「はっ?」

 衛の呟きに、渡瀬が怪訝そうに眉を寄せる。

「いや。何でもないです。……私は今夜は、ここにテントを張ります。明日、夜が明けてから、娘達を捜してみますよ」

「ちょっ、ちょっと待ってくれんねよ! ワイだけば置いて行くなんて出来んよ。相談してむっけんから、待っててくれんねよ!?」

 そう言うと、渡瀬は石柱付近で休んでいる捜索隊の方へ駆けて行った。

「……そうか、明日だな。結界が開くとすると、明日の夜なのだな。分かったよ――」

 何者かの声に耳を傾けていた衛が、静かにそう呟くと、捜索隊の方へゆっくりと歩いて行く。

 薄闇に包まれた島の高台を、湿気を含んだまだ十分に生暖かい風が吹き抜けて行った――。

 嵐が、近付いていた――。


「茜様、お体をお流しします」

 広すぎる内風呂の隅っこに一人、ちょこんと身体を沈めていた茜は、家人らしい女の声にぎょっとしてタオルで胸を隠した。

「け、けっ、結構です! 自分で洗えます!大丈夫です!」

「……かしこまりました。お着替えは、こちらにご用意しておきますので」 

 しばらく聞き耳を立てていた茜は、人の気配が消えると、ほっと身体の力を抜いた。

 ――いくら女の人だって、自分の身体を洗って貰うなんて冗談じゃない。

 そこは、花も恥じらう十七歳。それくらいの羞恥心は持ち合わせている。外さないでいる、胸のペンダントに手が触れる。 

「……お母さん。私、100パーセント、エイリアンなんだって?」

 ペンダントに、問いかける。

 石は黙して何も語らないが、今の茜はこの石が何であるか知っていた。


 精神体としての要素が強い彼らは、二つの寿命を持つ。

 その寿命は、人間の実に十倍近い。

 千年を生きる彼らを人々は、神とも鬼とも畏怖し、恐怖した――。

 そしてもう一つ、精神体としての寿命。

 彼らは肉体が滅んでも、精神体として生き続けると言うのだ。

 その寿命は、個々の精神体の力の強さに左右される。

 力が強ければ、その寿命は無限だと言うことだ。


「じゃぁ、じゃぁ、お母さんは……?」

 湧いた疑問の答えは、いとも簡単に返って来た。

 敬悟の指さす先の自分の胸で光るペンダントの石を、茜はキョトンと見詰めた。

「えっ? これ? このペンダントが何?」

「そこに宿っているのが、お袋さんだよ。茜を、今まで守っていたのは明日香さんだ。だから、 茜に害意のある上総に反応したんだ……」 

 ――ペンダントに、宿っている?

 お母さんが?

「ええっ!?」

 ようやく、言葉の意味が脳内に到達した茜は、今度は呆然と、手のひらの上で輝く青い石を見詰めた。

 茜の母・明日香は、一族の中でも、最も濃い血と力をもったサラブレットだった。

 それが、神津衛と出会い、平たく言えば、『駆け落ち』してしまった。ただその時既に、更に又血の濃いサラブレットの茜が宿っていた。

 そして茜が生まれると明日香は、その力の半分を勾玉の石に封印し、茜を守り続けていたのだ。

 おそらくは、茜の血統を狙って追っ手が掛かることを予見して――。


 玄鬼が教えてくれた事は、正しいけれど、正確ではなかったのだ。

 確かに明日香は『力を封印』した。

 でもそれは、ただ単にエネルギーを保存したと言うことではなく、その『心も共に封印』したという事だったのだ。

 そして。

 本来、一つであるべき力を二分した明日香の身体は、急速に消耗して行った。そしてついに肉体が滅んだとき、その守りがゆるんだ間隙を赤鬼に狙われたのだ。

 茜は、何故母の死に涙が出なかったのか、やっと分かったような気がした。

『実感が湧かない』『信じたくない』と言う側面も確かにあった。

 だが、母が精神体として自分を守ってくれていることを、本当の意味で死んではいないことを、何よりもその本能で、知っていたのだ。

 母は、今も、このペンダントの中で生きている。

 その心はいつだって、茜と共にあったのだ。


 十八年前。

 鬼隠れの里を脱出してから、父と母の辿った道。

 それは、きっと平坦では無かったはずだ。

 衛にしてみれば、茜は血のつながらない子供。それも、地球人ですらないと来ている。

 でも、茜は今まで一度として、衛が実の父親ではないなんて思ったことは無かった。

 今でも、自分の父親は衛意外には居ないと思っている。

「……お父さんって、凄い……」

 呟く声が、浴室に反響する。

 研究一筋で愛妻家。

 気の優しい父にそんな激しい一面があったことが意外でもあり、また、ちょっとうらやましくもあった。

 そこに、どんな紆余曲折ががあったのかは知るよしも無いが、茜の知っている二人は、娘の茜が見ても仲の良い夫婦だった。いつか結婚して家庭を持つのなら、二人のような夫婦でいたいと、そう思っていた。


 明日の夜『儀式』というのがあり、茜はそれに出ることになっている。

 そこで血統上の実の父、『主』と呼ばれる、木部の惣領と会うのだ。

 そして、直談判しなくてはいけない。

 自分がこれからどうしたいか。

 どう、生きたいか。 

 めまぐるしく知らされた色々な事実――。

 確かに、ショックだし、いまだに信じ切れない部分もあるが、大事なものはいつだって一つだ。

 ――それさえ忘れなければ、きっと何とかなる。 

 茜の心は、決まっていた。



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