鬼隠れの里 2
すっとした切れ長の目は明るい鳶色で、鼻筋の通った端正な顔をしている。その唇は、肌の白さを強調するように真っ赤だった。
茜も敬悟も家系なのか色白な方だが、男の肌の白さは群を抜いていた。
ぽかんと男に見とれつつ、敬悟に手を引かれてしめ縄の下をくぐった瞬間、言いようの無い感覚が茜を襲った。
空間がぐにゃりと、歪んだ――ような気がした。
一瞬の、無重力感。
そして『目眩』に似た感覚の後、すっと体が軽くなる。
あれほど疲労していた身体が、何もなかったように回復していた。
何……?
この感じ――。
「さあ、どうぞ」
にこやかに笑う男の唇の赤さが、茜には、まるで血の色のように思えた。
一度、過去の鬼隠れの里を見ていて分かって居たことだが、改めて見てもこの地が何処にでもあるごく普通の島であることが分かる。
茜も最初は、忍者映画に出て来るような『隠れ里』的なものを想像していたが、目の前に広がる 町並みには、そんな特別な要素は何も見つからない。古びてはいるが、道路も狭いながら舗装されていて、建っている人家もごく普通の物だ。
茜は、きょろきょろと周りを見回す。
畑には農作業をしている人達がいて、茜たちに気付くと軽く会釈をした。
――本当、普通の町だよ、ね……。
本当にここが赤鬼の居る『鬼隠れの里』なの?
あまりののどかさに、そんな考えが過ぎる。
だが逆に、そののどかさと変哲のなさが、茜の不安を嫌でも仰ぎたてた。
上総の手前その話をするのもはばかられ、茜は隣を歩く敬悟の服の裾をつんつんと引っ張った。
敬悟は茜にちらっと視線を送っただけで、何も言わずすぐに前を向いてしまう。その まま無言で上総の後を付いて行く。
――敬にぃ?
いつもとは明らかに違う敬悟の反応に、茜の不安感はますますふくれ上がって行った。
案内されたのは大きな日本家屋だった。
――ここは……。
家と言うよりもはや『お屋敷』と呼ぶにふさわしいその重厚な門構えに茜は見覚えがあった。
まるで武家屋敷のような堅牢な建物。
家の周りをぐるりと囲う板塀。
その中心にある茅葺きの大きな棟門をくぐり、手入れの行き届いた庭木の間をしばらく歩くとやっと玄関に到着する。
白鬼の中で見た、あの『お屋敷』に間違いなかった。
茜と敬悟は、待ち構えていた家人の女性に案内され、その広大な屋敷の一番奥の部屋に通された。
二十畳はあろうかという大きな和室だ。
上総に促され、その中央にある大きな座卓の手前側の席に、茜と敬悟が並んで座る。
「どうですか、鬼隠れの里は? 茜様」
笑いを含んだ声で上総に聞かれて、茜はとぎまぎしてしまう。
そして、ふと奇妙なことに気が付いた。
――あれ?
私まだ名乗っていないよね?
「あの……。どうして私の名前を?」
茜は気付いていないが、『茜たちを迎えに来た』と言うこと自体が異常だった。
なぜ今日、あの時間に茜達が来ることが分かっていたのか。
「存じていますよ。貴方は、私どもがご招待したからみえたのでしょう?」
ニヤリ、と上総の赤い口の端が上がる。
「え……?」
上総のその笑みに、茜は意味もなく背筋がぞくりとした。
そして、一気に変わる部屋の空気。
まるでピリピリと電気を帯びたように張り詰める空気は、首筋をちりちりと撫で上げる。
茜の全身が総毛立った。
そ……んな、まさか。
茜は、呆然と上総を見詰めた。
姿形は全く違う――。
あの赤鬼の身長は、二メートル以上はあった。上総はせいぜい百八十センチ位しか無いだろう。それに骨格が違いすぎる。
でも。
茜は、玄鬼が黒い大鬼に変化する姿を目撃している。
鬼に変化する前の姿を、その異形から想像することは難しいのだと思い至った。
だとすれば。
「あ…なた、まさか――」
言葉が、喉の奥で絡んで上手く出てこない。
茜は、思わず胸のペンダントを握りしめた。ペンダントは、微かに振動していた。ほのかに熱を帯びてくる。
「お止めなさい。ここからは、逃げられませんよ? いつぞやは逃がしてしまいましたが――」
口は笑っているが、その目には柔和さの欠片もない。それが、陽炎のように揺らぎ、赤みを増して行く。
恐怖心に駆られて思わず立ち上がって後ずさると、その背が「とん」と何かにぶつかった。
びくっとして振り返ると、いつの間にか立ち上がっていた敬悟がいた。
「け、敬にぃ、この人、赤鬼だ! 姿は違うけど、絶対そうだよ!」
その手を必死に引っ張って部屋を出ようとする茜に、上総の冷たい声が飛ぶ。
「無駄です。その男は、貴方を助けてはくれませんよ」
「えっ?」
上総の氷のような声が、茜の中に冷たい波紋を描く。
茜は、意味が分からずにその場に固まった。
「その男は、あなたの従兄の『神津 敬悟』ではありません。本当の神津敬悟は、十六年前の事故で母親と共に死んでいます」
「えっ?」
――何を、言っている……の?
上総の言葉の意味が、茜には理解出来なかった。
無言で立ちすくんでいる敬悟の顔をのぞき込む。
息が、止まった――。
敬悟の瞳は、赤く禍々しい光を放っていた。
それは、間違いなく上総のと同じモノ――。
「け、敬にぃ!?」
掴んでいた茜の手を敬悟がゆっくりと、外す。
「うそ……でしょう?」
信じられずに呆然とする茜に追い打ちをかけるように、上総の言葉が続く。
「ああ、貴方の親友の高田真希。彼女を鬼人化させたのは、彼ですよ」
とっておきの話をするかのように、楽しげに話す上総の言葉に、もはや茜は発する言葉を失っていた。
『何があっても、俺は、お前の味方だ。それを忘れるな』
あの時、敬悟の言っていた言葉を、茜は麻痺してしまったような心の片隅で思い出していた。




