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09 鬼隠れの里 1

 鬼神さまがくるぞ

 泣く子はいないか

 悪い子はいないか

 おぼこは、早くねろねろ

 鬼神さまが、喰らいにくるぞ



 翌日は、昨夜の雷が嘘のような快晴だった。

 どうせなら、もう少し曇ってくれた方が有り難い。朝から、そう思わずには居られないほどの暑さだ。

「ちょっ、ちょっと、敬にぃ〜〜っ」 

「……どうした?」

 背後で情けない声を上げた茜を、敬悟が振り返った。

「少し、休もう。私、もうダメ……」

 肩で息をしている茜が、『ふぇ〜』と更に情けない声を上げて、その場にしゃがみ込む。

 周りは、腰の高さほどの雑草が生い茂っているので、つんつんした葉っぱの先が汗ばんだ顔をちくちくと刺してきて、茜は煩わしそうに両手で払いのけた。

 強い海風に乗って、岩に砕ける波の音がこだましている。

 茜と敬悟は今、鬼珂島くがじまに居た。


『ここから海岸沿いに四キロほど歩いた場所が、十八年前に落盤事故があった場所だ』

 鬼珂島まで船を出してくれた若い漁師から教えられたその道は、決して平坦な道ではなかった。

 ごつごつ岩の入り組んだ海岸は、当然通れない場所がいくつもあって、そのたびに道なき道を進んでまた海岸に出る。その繰り返しで、もう大分日も高くなってきたと言うのに、まだ目的地にはたどり着かない。

 どうせなら、目的地まで船で送ってくれたら良さそうなものだが、船で接岸できるポイントが限られていて、あいにくそのポイントは目的地から一番遠い所にあったのだ。

 誰も行きたがらない島へ、例え金の為とは言え船を出して貰えたのだ。それだけでも良しとしなければならない。

 だが、だからと言ってこの道行きが楽になるわけではなかった。


 運動部だとは言っても『弓道部』

 茜は、何時間もこんな強行軍が出来る体力は、元々持ち合わせていない。その上、『もしも』の為に用意した食料や何やらが、背負ったリュックを重くしていた。

 敬悟が腕時計を、ちらっと確認する。

 午前十時。先刻休憩してまだ三十分しかたっていなかった。

「もう少し、がんばれ。もうそろそろの筈だから。それにここは『マムシ』が出るそうだから、 急いだ方がいい」

 茜が『げっ』と言う顔をして、立ち上がった。そのまま小走りで敬悟の元へ駆け寄る。

 動物は嫌いな方ではなかったが、足の多すぎるのと、全く足のない生き物は苦手だ。

 さすがに『マムシ』とご対面は御免被りたかった。


 背の高い雑草が両側から生い茂る、道とも言えない坂道を無言で登る。

 先を行く敬悟の背中を目標に、半ば機械的に歩いていた茜は、敬悟が立ち止まったことに気が付かず、その背中に鼻から激突してしまった。

「痛った〜い! どう……」

 どうしたの? と聞こうとして、上げた視線が固まる。 

 いつの間にか、風景が変わっていた。

 坂を登り切った先に突然石の台地が開けていて、そこに奇妙な物が建っていた。

「な、何これ? 石の鳥居?……」

 大きな石――。

『巨石』と言って良い程の大きな石の柱が、大地から生えていた。

 直径は二メートルはあるだろうか。

 それは十メートルほどの間隔で垂直に建っていて、その柱と柱にはしめ縄が渡されている。

 茜は、『鳥居』を連想した。 

 その向こうには切り立った崖が在り、洞窟がぽっかりと大きな口を開けていた。

「結界だな……」 

「えっ?」

 敬悟が当たり前のようにの呟いた『ケッカイ』と言う言葉に茜は眉をひそめた。

 茜の目には、『結界』などと言うものは見えない。

「いや、何でもない……。恐らく、これが『鬼隠れ』の入り口だ。迎えが来ている」

「ええっ!?」

 茜が驚いて、もう一度『鳥居』を見直すと、その向こう側に人が立っていた。

 男だ――。

 遠目にもそれと分かる程白皙の、髪の長い若い男――。

 茜には、敬悟とそれほど年が違わないように見えた。 

 敬悟が茜の手を、ぎゅっと握る。

 その手が、震えているような気がした。

「敬にぃ?」

 茜は、訝し気に敬悟の横顔を見上げた。

 前を見たまま歩くその厳しい表情がいつになく怖かった。

「茜、一つだけ言っておく……」

「え?」 

「何があっても、俺は、お前の味方だ。それを忘れるな」

 敬悟の顔に浮かんだ微かな笑み。

 それは、茜が今まで見たことが無いほど、哀しげに見えた。


 何があっても? 

 どういう意味か聞き返そうとする茜の言葉を遮るように、ぐいぐいと敬悟が手を引いて行く――。

 鳥居の前まで来た時、鳥居の向こう側で近付いて来る茜たちをジッと見詰めていた男が、初めて口を開いた。低いトーンの落ち着いた声が、静かな場の空気を揺らす。

「お待ちしておりました。私は、この里の木部一族の当主に仕えています、木部上総きべかずさと申します。生憎、主は不在ですが、おもてなしをするようにと言い付かっています。さぁ、どうぞこちらです」

 そう言って、にこやかに二人を促す。

 ――うわ…。色、白い。

 って言うか、凄い美人……。

 茜は、遠目にも際立っていた男の肌の白さとその美貌に目を奪われた。




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