鬼が淵 4
「さあ、お姉ちゃん、お部屋に入ろうよ」
ゆっくりと動く少年の赤い唇を、茜は、恐怖の眼差しで見つめた。
さすがの茜も、目の前に居るモノが人間の少年では無いことが分かった。
姿は少年のまま、変わりはない。だがこれは、少年の人型を纏った得体の知れない化け物だ。
その小さな体から立ち上る禍々しいオーラには、見覚えがある。
一番最初に茜を襲った『赤鬼』。あの時に感じたと同種の圧倒的な力と恐怖を、今、茜は肌で感じていた。
「部屋に入るって……鍵は、落としたんでしょう?」
思わず語尾が震える。
「そんなの」
クスクス。
「おびき出すための、嘘に決まっているじゃないか」
愉快そうに、鬼が笑う。
「さあ、どうぞ。僕のお家へ」
「あ……」
行くまいと思うのに、体が言うことをきかない。
茜は鬼に導かれるまま、ふらふらと部屋の中へと入っていった。
なに……これ?
部屋の中に足を踏み入れた瞬間、茜は我が目を疑った。
あのアパートの外観から言って、六畳二間くらいがせいぜいのはずだ。なのに、目の前には、アパート全体が余裕で収まってしまいそうな、広大な空間が広がっていた。
黒光りする大理石のような、床と壁。
窓や光源は無いのに、何故か明るい無機質な空間。
その中心に、やはり同じ石で出来た椅子がポツンと置かれていた。
まるで『玉座』のように――。
少年の鬼は、大きすぎる玉座に座ると、『さあ、どうぞ』と茜を隣に誘った。
すると、何も無かった空間に同じ玉座が忽然と現れた。逆らう術もなく、茜は鬼の隣に腰を下ろす。
「あなた、赤鬼の仲間なの?」
今回は、鬼志茂の時のように助けてくれる玄鬼は居ない。自分が何とかしなければ、ここから出られない。
唯一自由になるのは、言葉だけ。なら、それを行使して、なんとかこの状況から脱出しなければ。
「赤鬼? さあ、そんなの知らないね。僕は、群れるのが嫌いなんだ」
鬼は、余裕の笑みを浮かべたままだ。
赤鬼の手下じゃない……。
なら、なぜ?
「何が、目的なの?」
やはり、『石』が目的なのだろうか?
茜が、右手に持ったままのペンダントをギュッと握り込んだとき、鬼が声を上げて笑いだした。
「僕は、石になんか興味は無いよ、お姉さん。確かに興味深い石ではあるけれど、僕には無用のものだ」
「え!?」
『しまった』と思ったが、遅かった。
玄鬼は、心を読める。この鬼も、その力がある可能性に全然思い至らなかった自分に、茜は舌打ちしたくなった。
「面白いね、お姉さん。今までの人間の中で、一番面白いよ」
「え?」
今までの人間の中で?
「そう。大抵は、ここに連れてきた段階で半狂乱になるんだ」
ごくり。
茜は、唾を飲み込んだ。
もしかしたら……。
茜の脳裏に、麗香の言っていた『例の投書の事件』がよぎった。
『鬼の仕業』だと麗香の勤める雑誌社に投書のあった連続殺傷事件。
あの犯人は、こいつなんじゃないだろうか?
「そうそう、ビンゴ! その通り。あれは、僕がやったのさ」
だめだ。考えている事がまるで筒抜けだ。
でも、だからといって、諦める訳にはいかない。
「何が、目的なの?」
茜は再度、同じ質問を繰り返した。
目的が分かれば、何か対処のしようがあるような気がしたのだ。
その考えさえも、読んで居るのだろう。
ユラリ――。
愉快そうに細められた鬼の目に、赤い炎が灯った。
「花嫁さ。僕は、花嫁が欲しいんだよ」
花……嫁?
「そう。花嫁。伴侶。恋人。ワイフ。呼び方なんてどうでも良いけど、花嫁が一番しっくり来るかな。お姉さんは目下八番目にして、今までで一番有力な僕の花嫁候補さ」
何、こいつ!?
茜は、無性にむかっ腹が立ってきた。
自分勝手な花嫁探しとやらで、何人もの女性を殺傷しておいて、おちゃらけている目の前の鬼。
どんな凄い力を持っているか知らないけど、そんなの許せない。
「なに? この姿じゃ気に入らないの? じゃあ、こんな感じはどうかな?」
ユラリ。
茜は目の前の鬼が、少年から青年に姿を変えるのを、息を呑んで見つめた。
丸みを帯びていた少年らしい華奢な体は、精悍な青年の体躯へと見る間に変化していく。
少年の姿でも十分可愛らしかった外見は、まず美青年と言って良い姿に変わった。
「……私を、元の場所に帰して」
「なに? これでもだめなの? う〜ん、じゃあ、これではどうかな?」
次の瞬間、目の前の鬼は、茜の良く知っている人物に変化した。
その姿を目にして、茜は固まった。
「茜――、これなら文句ないだろう?」
敬悟の姿をした鬼は、
敬悟の声で、茜に満面の笑顔を向けた。
悪趣味だ。
悪趣味すぎる。
外見だけ模してみたところで、それが何になるというのだろう?
そこに、心は無いのに――。
「さあ、おいで」
聞き慣れたはずの敬悟の声が、茜を呼ぶ。
ザラリ――。
毒を滴らせながら、茜の心の内側をなぞっていく。
その感覚に、茜は総毛立った。
「う……!?」
だめだ。
声すらも出せなくなってしまった。ふらふらと、敬悟の姿をした鬼が誘うまま玉座から立ち上がる。
「さあ」
鬼の元へと引き寄せられる。
どうすればいいの!?
どうすれば!?
茜は、右手に持ったペンダントの石を、力を込めて握りしめた。




