鬼志茂 4
泊まる当てのない『自称曲芸師の兄妹』の茜と玄鬼は、『家で良かったら、お泊まりなさい』との彼女の有り難い言葉に甘えることにした。茜のジーンズとシャツというこの時代には奇抜だろう服装も、『曲芸を生業にしている』との玄鬼の口から出任せを怪しまれることもなく、すんなり済んでしまった。
ちなみに玄鬼は、黒い毛皮のコート……ではなく、現代の『作務衣』のような濃紺の着物を着ていた。
「でも、元気になってよかったこと。遠慮しないで、たくさん食べてね茜ちゃん」
「あ、は、はい。ありがとうございます!」
麗香の笑顔に、茜は返す笑顔がヒクヒク引きつった。
すでに日が陰り、薄暗い室内には、ぼんやりとした蝋燭の明かりが灯るだけだ。
そのゆらゆらと揺れる明かりに照らされて、茜の目の前には、時代劇で見たような食事風景が広がっている。
料亭で出るような背の高いお膳に、ご飯とおみそ汁、煮魚、漬け物などが並んでいて、どれも皆、美味しそうだった。
「いただきます!」
腹が減ってはなんとやらだ。
茜は、有り難く頂くことにした。
麗香、ここでは『お香』と言う名前だが、商人だという彼女の家は、かなり裕福なようだ。
広い屋敷に、手入れの行き届いた美しい庭。その庭には、お香が丹精しているのだろう、美しい草花があでやかな花を咲かせていた。
玄鬼の説明によると、『佐伯麗香は、あの伝説の鬼女と同じ魂を持っている』のだそうだ。
鬼女の魂を持つ女。
その鬼女の鎮魂のために建てられた神社。
そこに、『守りの石』を持った茜が足を踏み入れたことで、鬼伝説が生まれたこの江戸時代に引き込まれたのだろうと、玄鬼はそう言った。
「お前、鬼女に同情していただろう、あれが一番の原因だな。死んだ者を可哀想だと思うと憑かれるのと一緒だ」
茜は、魚の甘辛い煮付けを口に運びながら、玄鬼の言葉を脳内で反芻した。
う〜ん……。
玄鬼は私の力だと言ったけど、結局は、石の力なんじゃないのだろうか?
それとも、他に何か原因があるの?
分かったような、分からないような。
それが、茜の正直な感想だ。
だいたいが、『同じ魂を持っている』という概念がイマイチよく分からない。
ただ、玄鬼の言うことが本当なら、『悲劇』は今から起こる。
それだけは理解した。
「あの、お食事、ご主人を待たなくてよかったんですか?」
あの伝説が本当のことなら、お香には夫がいるはずだ。でも、今この部屋で食事をしている家人は、お香だけである。
つまり、食卓を囲んでいるのは、茜、玄鬼、お香の三人。
「え?」
茜の質問に、お香は一瞬驚いたように目を見開き、その後少し憂いのある笑みを浮かべた。
「旦那様は、半年ほど前に亡くなりました。他に身内はいないので、この家には私一人なんですよ」
え!?
旦那さんが亡くなって半年!?
それじゃあ、もしかして……。
茜は玄鬼に目配せをしたが、当の玄鬼は、魚料理に舌鼓中で我関せずだ。
ごくり。
茜はつばを飲み込んで、おそるおそるお香に尋ねた。
「あの、もしかして、誰かに結婚を申し込まれているなんてこと……ないですよね?」
「あらいやだ、噂になっているの?」
お香の白い頬がポッと朱に染まるのを、茜は複雑な気持ちで見つめた。
「もうっ玄鬼ってば、肝心な時に頼りにならないんだから!」
食事がすみ部屋に戻った茜は、満腹で幸せそうな玄鬼に文句をたれた。
「勘違いをするな。俺はお前の子守りではなく、ただの監視者だ。何故お前に頼りにされねばならん?」
「そ、それは……」
もっともな玄鬼のセリフに、茜は言葉が続かない。
でも、少しぐらい助けてくれたっていいじゃない、このどケチ猫マタ!
思わず心の中で毒づくと、玄鬼が形のいいアーモンド型の瞳を細めて、ちらりと流し目をした。
「聞こえているぞ。少しぐらいは助けてやろうと思ったが、やーめた」
そう言うと、ごろりと横になって茜に背中を向けてしまった。
猫型でも人型でも口調が変わるだけで、さほど習性に違いはないようだ。
「ちょ、ちょっと! 私が元の世界に戻れなかったら、鬼隠れの里にも行けないよ! そしたら この石も返しに行けない。それじゃ困るんじゃないの!?」
「俺は、別に困らん」
「そ、そんなぁ……」
『取り付く島もない』とはこのことだ。
どうすれば元の世界に、敬悟のいる現代に戻れるのだろう?
石に祈ったら、戻れるとか?
胸のペンダントを握りしめて念じてみる。
が、しかし、何の変化もみられない。
ああ、前途多難……。
茜は、特大のため息をついてうなだれた。




