05 鬼志茂 1
東京郊外。
『鬼志茂』にある郷土資料館は、だいぶ年季の入った、平屋のこぢんまりとした建物だった。板張だが『ログハウス』のような洒落たものではなく、『昔の学校』のような古めかしい外観だ。
平日の昼時な為か元々そうであるのか、駐車場も玄関から見える館内も人気がなく閑散としている。
「何だか、暇そうだねー。車が一台も停まってないし」
玄関前で足を止めると、茜はしみじみと周りを見渡した。
「茜、間違っても中でそんなこと言うなよ」
「分かってるって!」
私にだって、そのくらいの一般常識はありますよーだ。
茜は頬を膨らませながら、館内に入っていく敬悟の後を追う。その足下を、玄鬼がちょこまかと付いていく。
ちなみに『おまけの彼氏君』こと橘信司は、入るに入れず駐車場で気を揉みながら、一行を見送った。
悟と茜を出迎えてくれたのは、これまた建物と同じに大分年季が入った小柄な老人。この郷土資料館の管理人だという渡里源三。区役所で『キガクレノサト』のことを尋ねたところ、『そう言う話は郷土資料館の生き字引に』と紹介されたのだ。
六畳ほどの事務所の応接セットのソファーに敬悟と並んで座った茜は、物珍しげにきょろきょろと室内を見渡した。事務所の壁一面は、見るからに古めかしい書籍類で埋め尽くされていて、古い紙とインクとホコリの混じり合った、独特の匂いで満たされている。それは茜に、学校の図書室を思い出させた。
図書室の窓辺で、良く真希と他愛ない話に花を咲かせていた。
まだ何日も経っていないのに、遠くて懐かしい場所――。
私は、またあそこに戻れるの?
「大学の研究テーマの取材ですか、学生さんもいろいろ大変なんですねぇ」
感心したように呟く老人の声に、茜は現実に引き戻された。
「ええ。でも、こうして色々な人に会えるので、けっこう楽しいですよ」
来客が嬉しくてたまらないといった様子でイソイソとお茶を入れ始めた渡里老人に、敬悟が笑顔で返す。もちろん大学の研究うんぬんは嘘だったが、この際嘘も方便だ。
「え? キガクレノサト?」
渡里老人は、敬悟の質問に驚いたような声を上げた。
「はい。たぶん『鬼』に関係する地名だと思うんですが、なにかご存知無いでしょうか?」
「こいつは驚いた。こんな日もあるんだなぁ」
老人のシワに埋もれた人の良さそうな細い目が見開かれた。その目の中には、楽しげな少年めいた光が揺れている。
「は?」
敬悟には、老人の言葉の意味が飲み込めない。
「いや実は、ほんの三十分ほど前に同じ事を聞いてきた女性がいてね」
「え……、同じことって、『キガクレノサト』についてですか?」
「ああそう、その『キガクレノサト』だ。なんでもミステリー雑誌で『鬼の特集』をするとか言っていたな」
雑誌で『鬼』の特集!?
驚いた茜と敬悟が目配せしあう。
『キガクレノサト』を探しているらしい雑誌記者。その記者ならば、何か情報を持っているかもしれない。
少なくとも『キガクレノサト』をどこで知ったのか、その情報源を聞くことは出来る。
「あの、その人の連絡先、分かれば教えて頂けませんか? 雑誌で特集を組まれるなら、参考になるお話が聞けると思うので……良ければですが」
遠慮がちに申し出た敬悟のセリフに、老人は『その方が参考になるだろうね』と、ニコニコと雑誌記者の名刺を渡してくれた。
どうやら、悪用はしないと信用してくれたようだ。
『月刊ミステリー・Moo
編集部 佐伯麗香』
白いシンプルな名詞に視線を走らせる。敬悟も茜も知らない雑誌だ。
「あの、それで『キガクレノサト』についてなんですが……」
「ああ、そうだったね。さっきの人にも言ったんだが、残念ながらそう言う地名は聞いたことがないんだよ。古い文献のデータも調べてみたんだけどね、見あたらなかった」
ただ――、と老人は付け加えた。
「ここ、鬼志茂には『鬼伝説』が残る神社があるんだよ」と。
時は江戸時代初期。
城主が、町人の妻である美しい女に横恋慕をした。
城主は己の権力を使い、秘密裏に町人を殺させその女を手に入れ思いを遂げた。
だが、時を経て女が城主の子を身籠もった頃、そのことが当の女に露見してしまう。
嘆き哀しみ、城主への呪詛を吐きながら、女は自害して果てた。
己の身のうちに宿った、憎き城主の子もろとも断崖から身を投じたのだ。
その後、城下には夜な夜なその女が鬼と化してさまよい歩き、城下の人間を喰らい始めた。
己の所業を悔い改めた城主は、高名な術者を呼び寄せ、この鬼を退治させた。
その鬼の鎮魂のために建てられたのが『鬼志茂神社』なのだという。
「なんだか昼間のメロドラマみたいな、どろどろ展開な話だったね……。あの城主ってヤツ、最低!」
郷土資料館を後にして、車で十五分ほどの鬼志茂神社への移動中、茜は渡里老人から聞いた言い伝えを思い出して、一人むかっ腹をたてていた。
聞けば聞くほど、その城主が諸悪の根元にしか思えない。茜にしてみれば、鬼と化した『美しい女』の方に、よほど同情してしまう。
「まあ、良くある話じゃな。何よりも己の欲が一番。今も昔も人間の本質なぞ、そんなものじゃて」
「何だか見てきたような言い方だね、玄鬼」
「見てきておるからな」
「え!?」
江戸時代って、そんな前から生きてるの、このネコマタは!?
茜は、膝の上でニヤリと笑う玄鬼に、驚きの眼差しを向けた。
「なんてな。冗談じゃ」
何だか遊ばれている気がする。
茜は、思わず肩の力が抜け落ちる。
「神社が見えてきたぞ」
敬悟の言葉に、一人と一匹が窓の外に視線を走らせると、そこには都会とは思えない緑深い森が広がっていた。
少しくすんだ青い空をバックに、赤い大きな鳥居が深い緑の中でそこだけくっきりと浮かび上がっている。
『鬼志茂神社』
「大きいね……」
思っていたよりも大きな佇まいのその場所に、茜は言いようのない威圧感を感じていた。




