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   監視者 3

「ほう、いへはさ」

「飲み込んでから話せよ。行儀悪い」

 車に戻るなりオニギリを頬張りながら何やらもごもご話し出した茜に、ため息混じりに敬悟が釘を刺す。

「ふ、ふぁ〜ひっ!」

 茜はまだほの温かいペットボトルのお茶で、ぐびぐびと口の中のご飯を飲み込んだ。

「そう言えば赤鬼のこと、敬にぃは覚えてなかったでしょ? あれって、どうしてかな? 本当は夢だったとか……ないよね?」

 茜の質問に、敬悟が考え深気に目を細めた。

「……たぶん、記憶の操作とか、そう言うんじゃないか?」

 記憶の操作。

 あの鬼は、人間の記憶を自在に操れるような力を持っているのだろうか?

 それならなぜ、その力を使って石を奪っていかなかったのだろう?

 そもそも『石を返しに来い』と言いながら、その場所を教えないのが茜には疑問だ。 

 ゴクリ――。

 茜は唾を飲み込み、自分の膝の上で美味しそうにオニギリをぱくついている子猫に視線を落とした。

 その視線に気付いた玄鬼が顔を上げる。

「なかなか美味しいぞ、このツナマヨというのは」

 唯一知っていそうな玄鬼は、この話題に乗る気はさらさらなさそうに、喉をゴロゴロと鳴らして 舌なめずりをしている。どうやら、答えを知るには『キガクレノサト』を見付けるしかなさそうだ。

「ああ、言い忘れていたけど、お前が寝ている間に携帯の電源、切っておいたからな。自分がかけるときだけ電源を入れるようにしろよ。真希ちゃんはどうやら携帯を通して操られたみたいだから」

「え?」

 携帯で、操られた?

 敬悟の言葉に、茜は目を丸くする。

「一つの可能性だ。確信があるわけじゃない。でも、お前の話を聞く限りじゃ真希ちゃんは、電 話を受けた直後におかしくなったんだろう?」

 コクリと、茜は頷く。

「可能性があるかぎり、リスクは避けた方がいい。そう言うことだ」

 電話を受けた後の真希の変貌が脳裏に甦り、茜は背筋にゾクリと悪寒を感じた。

 ダッシュボードの上に置かれた自分の携帯電話をこわごわと眺める。

 文明の利器である携帯電話。

 それが人を鬼に変える媒体となっているかもしれない。

 もしもそうならば、自分が真希のように操られてしまうかもしれない。

『かもしれない』

 全てが仮定の域をでない。

 それでも、敬悟の言う通り用心するに越したことはない。

「う、…うん、分かった」

 茜は、ゆっくりと頷いた。



 その頃。

 茜の父、まもるは、勤務先の大学の研究室にいた。

 十二畳ほどの室内には四つのスチールデスクと、壁一面の書籍。その他、発掘品のサンプルなどが所狭しと置かれていて雑然としている。

 通常なら三人のスタッフが部屋に詰めている時間帯だが、それぞれ所用で出かけていて今は衛ともう一人、研究室主任の有沢由美ありさわゆみがいるだけだった。

「どうです教授。連絡、付きましたか?」

「……いや」

 自分のデスクでしきりと携帯電話を操作していた衛は、由美の質問に首を振ると、諦めたように 携帯電話をパタンと閉じた。

 朝から何度も、茜と敬悟の携帯に代わる代わるかけてみたが、どちらも『電源が入っていないか 電波の届かない――』のアナウンスが、虚しく流れるだけだった。

 おそらく、連絡されることを予想して電源を切っているのだろうと衛は思った。

「……という訳で、私は当分大学を休む事になりそうです。申し訳ありませんが、後のことを頼みます」

 本当に申し訳なさそうに言う衛の言葉に、由美が神妙に頷く。

「ご心配なさらずに。こちらは、何とでもしますわ」

 そう言って頼もしく笑った。

 今年三十歳になるこの有沢女史は、優秀で有能だ。

 ショートヘアに黒縁のメガネ。

 意志の強そうな瞳が印象的な、なかなかの美人である。

 闊達で姉御肌的なその性格は、研究室のスタッフやゼミの学生にも人気があった。

 優秀であることが必ずしもイコール有能とは限らないのが世の常だが、この人に任せておけば心配はいらないだろう。

 事務処理能力は、衛よりも遙かに優れている。

 衛は、有沢由美に絶大なる信頼を置いていた。

「宜しく頼みます。何かあったら携帯に連絡を入れて下さい」

「はい、承知しました。それにしても……」

 いつもなら端切れの良い物言いをする由美が、腑に落ちない様子で言葉を濁す。

「何か気になることでも?」

「いえ。敬悟君らしくないと思いまして。なんだか『家出』という単語が似つかわしくないなぁと」

 ここの学生で、考古学専攻でもある敬悟のことは由美も良く知っている。

 何より衛の甥っ子で、発掘にも何度も同行している。

 真面目で優秀な学生、それが敬悟に対する由美の印象だった。

「ああ……。そうですね」

 衛は、そう言って苦笑した。

 置き手紙に書いてあったように、敬悟は言い出したら聞かない茜のお守りに付いて行ったのだろうと衛も思っている。

 今の若い世代には珍しく律儀な性格の衛の甥っ子は、無鉄砲とは縁遠い人間だ。

 その敬悟が茜を止めずに一緒に家出したという事実は、親としては安心出来る要素でもあったが、逆に心配の種でもあった。

 茜一人ならすぐに音を上げて帰ってくる可能性が大きいが、敬悟が一緒となると話は複雑になる。おそらく、『目的地』を探し出すまで帰っては来ないだろう。

 茜はまだ十七歳になったばかりの高校生。敬悟も成人しているとはいえ、まだ二十一歳の大学生。しっかりしているが、世間では充分青二才の年齢だ。

 何にせよ、保護者として放っておくわけにはいかない。

「それでは、宜しくお願いします」

 衛は、頭を下げると足早に研究室を出ていった。

「まったく、何をしているんだか敬悟君は……」

 ここ数日で少しやつれたような衛の後ろ姿を見送り、由美はため息をついた。

「奥様を亡くされたばかりなのに……」

 愛妻家だった衛の葬儀での意気消沈ぶりは、由美の目には痛々しいほどだった。

 そこに追い打ちをかけるような、この騒動。

『ちょっと、子供達が家出をしてね』

 衛はそれしか言わなかったが、何か深い事情がありそうだった。

 尊敬する神津教授のためだ。講演のキャンセルやその後の段取り。やらなくてはならないことは山ほどある。彼が戻ってきたときに嫌な思いをしないで済むように、自分のすべき事をするため、由美は行動を起こした。



 濃密な青い闇の中、何かが蠢いていた。

 近付いて来るものを感じて、それは『ニタリ』と笑ったようだった。

『早ク来イ。

我ハ、コノ時ヲ待ッテイタ……。

早ク来イ。我ガ、愛シ子ヨ……』


その笑いは、哄笑となって闇に吸い込まれて行った――。



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