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   監視者 2

「で、この子猫が『赤鬼しゃっき』の使いの『玄鬼げんき』で、その……観察者だって?」

 茜の説明を聞き終えた敬悟が、茜の膝の上で暢気に毛づくろいをしている黒い子猫に、うさんくさそうな視線を向けた。

 どこから見ても、ただの黒い子猫にしか見えない。

 確かに額に入った白いワンポイントは、まるで梵字のようで珍しくはあるが、あくまで珍しいの範囲内であって、鬼の使いだと言われても、にわかには信じがたい。

「ニャゴニャゴ!」

「え? なんだって?」

 何やら不平がましい声を上げた猫語の通訳をしてくれとばかりに、敬悟が茜に視線を移す。

「観察じゃなくて、監視だって。もうっ、面倒くさいなぁ。直接話してよ!」

 猫語の通訳などというまどろっこしい事態に業を煮やした茜が、膝の上の黒猫をにらみつける。

 それに対して、黒猫が肩をすくめたように敬悟には見えた。

「仕方がないのう。男はあまり好きではないんだがの」

「いいから、説明してちょうだい!」

 玄鬼の説明によると、玄鬼は鬼の一族の長・赤鬼しゃっきの命令を受けて茜たちの監視に来たのだと言う。

「んじゃ、キガクレノサトに案内してくれるんだよね?」

 喜色満面の茜の質問に対する玄鬼の答えは、実に素っ気ない物だった。

「教えたいのはやまやまじゃが、管轄外なのでな。教えられん」

「管轄外って、役人じゃあるまいし。なら、何のために私たちの前に現れたのよ!?」

「だから監視だと言うておるではないか。分からぬおなごじゃな」

 監視するのが目的なら、悟られないように監視だけするのが本当なんじゃないのだろうか?

 そう疑問に思った茜は玄鬼に詰め寄ったが、とうの玄鬼は何処吹く風で、後ろ足で耳の後ろを掻いている。

 敬悟は、そのやり取りをただ何処か思案顔で見詰めていた。

「そうさの、挨拶代わりに一つ良いことを教えてやろう。おぬしら、付けられておるぞ」

「え?」

 ほれ、あそこ。

 と言うように、黒いしなやかな尻尾が有る方向を指し示した。

『付けられている』

 その言葉にギクリとしながら、茜と敬悟は同時に玄鬼の尻尾の指し示した方向に顔を向けた。

 自分たちの車から右斜め後方に男が居た。

 黒いライダースーツに、やはり黒いフルフェイスのヘルメット。

 黒ずくめの大柄な男だ。

 まばらな車の列の間で、バイクに寄りかかりながら茜達の方を見ていたその男の視線とばっちりかち合う。

 男は『ぎょっ』としたように一瞬固まり、そして何気ない風を装ってバイクの点検を始めた。

 怪しすぎる。

 まるで挙動不審だ。

「あれ?」

 茜が、小首をかしげる。

 あのがっちりとした体のラインには見覚えがあった。

「なんだ? 茜の知り合いか?」

「うん、たぶん……」

 車から降りた茜と敬悟は、多少警戒しながら黒ずくめの男に歩み寄った。

 玄鬼も、茜の足下にちょこまかと付いてきている。

たちばな君?」

 背中を向けてしゃがみ込み『バイクの点検』に熱中している風を装っていた男が、茜のかけ声にギクリと動きを止めた。

 そのまま金縛りにあったように微動だにしない。

「橘君だよね?」

 今度は茜に至近距離で顔を覗き込まれた男は、観念したように立ち上がった。

 かなりの巨漢だ。

 敬悟もさほど身長が低い方ではないが、この男は更に背が高い。

 茜からすれば、見上げるような大きさだ。

 筋肉質のがっちりとした体は、スポーツ、おそらくは格闘技で鍛えていることを容易に想像させる。

 男は、ゆっくりとフルフェイスのヘルメットを外した。

 中からは、茜の予想通りの見慣れたクラスメイトのバツの悪そうな渋面が現れる。

「ちぇっ。見付かるの早すぎだよ、俺……」

 そう言って、ぽりぽりとスポーツ刈りの頭を掻きながら、自己主張のある眉根を寄せた。

 男の名は『橘信司たちばなしんじ』。

 あの時。

 親友の真希が弓道部の部室で鬼に変化したとき、目撃していた茜のクラスメイト。

 そして、真希の彼氏でもあった。



「はい、どうぞ。橘君はミルクココアでいいんだよね?」

「あ、はい。ありがとうございます!」

 敬悟が自販機で買ってきたアイスミルクココアのカップを、ニカッと爽やかな笑顔で受け取り、 橘信司は車の後部座席で大きな体を申し訳なさそうに縮めた。

 それでも座高が減るわけではなく、スポーツ刈りの頭は普通乗用車の天井につかえそうになっている。

 信司が一口ココアに口を付けるのを待って、茜が口を開いた。

「橘君、学校は……?」

「病欠。風邪をこじらせて取りあえず一週間休むって連絡してある。それにほら、家は両親揃って仕事で海外だから融通がきくし」

 あはは、と引きつり笑いを浮かべる信司のセリフに、茜と敬悟ががっくり肩を落とす。

 学校には病欠の連絡を入れてあり、ご丁寧に不在を心配する家族は海外在住。

 少なくとも、一週間は家を空けても誰かに不審がられることはないのだ。

 信司が茜たちを追ってきた目的は、聞くまでもなく明らかだった。

「あの、『キガクレノサト』に行くんですよね? お願いします。俺も一緒に連れて行って下さいっ!」

 そう言って信司は頭を深々と下げた。

「橘君……」

 茜には、信司の気持ちが痛いほど良く分かった。

『彼女』が、意識不明の昏睡状態になっているのだ。

 そして、その原因を信司は知ってしまった。

 何かしたいと思うのは当たり前の感情だと思うし、あの鬼に変化した真希を目にして逃げ出すのではなく、助けようとする信司の気持ちはとても嬉しかった。

 でも。

「君は帰った方がいい」

「え?」

 茜の気持ちを、敬悟が過不足無く代弁した。

 言葉尻は柔らかいが、敬悟の言葉にははっきりと『帰りなさい』という意志が込められている。

 それを感じたのか信司は軽く眉を寄せた。

「で、でも俺、俺にはじっとして待っているなんて出来ません。もしあのまま……」

 真希が目を覚まさなかったら――。

 不吉な言葉を、信司は飲み込んだ。

「気持ちは分かるが、君を連れて行く訳にはいかないよ」

 そう。

 相手は鬼だ。

 人外のモノ。

 茜たちがただ石を返すつもりでいても、何が起こるか予想がつかない。

 そこにこれ以上関係のない人間を巻き込むことは、絶対出来ない。

 それが、茜と敬悟の共通した考えだった。

「なら、いいです。勝手に付いていきますから俺」

 信司はミルクココアを一気に飲み干すと、大きなごつい手でくしゃっとカップを潰した。

「それじゃ、ごちそうさまでした」

「橘くん!」

 ぺこりと頭を下げると、信司は無言で車を出ていってしまった。

 そのまま自分のバイクの方へすたすたと歩いて行き、ヘルメットをかぶる。

 そして準備万端とばかりにバイクにまたがった。

「どうしよう、敬にぃ……」

「そうだな。途中で諦めてくれればいいんだが」

 だがあの鼻息では、それも期待できそうになかった。

 茜がチラリと『自称監視者』だという膝の上の玄鬼に視線を走らせると、とうの本猫は我関せずとばかりに丸くなって寝入っていた。

 どうやらこれも管轄外と言うことらしい。



「とにかく、目的地に向かおう。最初は一番近い東京、『鬼志茂おにしも』からだ。今のうちに腹ごしらえしておけよ」

「う、うん」

 そう言えば、急にお腹が空いてきた。

 今はもう十時三十分。

 朝から何も食べていないので腹の虫がぐうぐう文句を言っていた。

 茜はさっき敬悟に渡されたビニール袋を物色すると、おにぎりを二つ手に取り『ちょっと差し入れしてくる』と言って、信司の元へ駆けていった。

 敬悟はため息をつきつつ、それを目で追う。

「まあ、良かろうて。あれだけ図体がでかければ、何かの役に立とうというものじゃ」

 眠りを邪魔された玄鬼が、『ウ〜ン♪』とノビをしながら、誰に言うともなしに呟いた。

 もちろん車の中には敬悟しかいないから、独り言で無ければ敬悟に対して言ったものだろう。

 敬悟は、チラリと助手席に座る玄鬼を見やった。

 金色の瞳の中のビー玉のように黒く大きな虹彩が、じっと敬悟を見上げている。

 交錯する視線は、友好的とはほど遠い。

 茜は大分警戒を解いてしまっているが、この子猫は間違いなく『敵』なのだ。

 それを忘れていたら、足下をすくわれる。

「お前、本当の目的はなんなんだ? ただの監視じゃないんだろう?」

 茜には見せない鋭い眼光で敬悟が睨めつけるが、玄鬼は動じる風もない。

「言ったであろう。ワシの役目はあくまで監視じゃ。そう警戒せずとも、取って喰ろうたりはせんて」

 ニヤリと、それと分かる笑いが子猫の顔に浮かんだ。

 その口の端に、肉食獣の鋭い牙が顔を覗かせる。

『からかわれている』

 敬悟は眉間にシワを寄せて玄鬼から視線を外した。

 バックミラー越しには、何やら談笑をしている茜と信司の姿が見える。

 旅は始まったばかりだと言うのに、よりにもよって『敵』の同行者。

 おまけの『彼氏君』。

 先が思いやられる。

 敬悟は軽い目眩を覚えた。



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