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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
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第9話

 リビングに和室が一部屋と洋室が三部屋。

 二人暮らしでいきなり4LDK? って思ったけど、ここは谷崎課長の持ち家だそうだ。

 都内で4LDKのマンションに一人暮らしとは……派遣の時給は安いのに社員には羽振りがいいですねと、嫌味を言いたくなる。この人が頑張って会社の利益に貢献してきたからなのにね。一体どれだけやさぐれているんだか……自分が嫌になる。

 和室は客間として使っているようで、余計なものがない。洋室の一部屋も何も置かれていない。多分、将来の家族計画とかが絡んでいそうだけど……そこは今、考えるのはやめとこう。

 二つの本棚が並んだ書斎には笑ってしまった。

 左の本棚には経済書とか機械工学の本とか重厚そうなラインナップが揃っているのに、右の本棚にはマンガやCDばかり。私が封印していたマンガだけじゃなく、私が知らない作品もいっぱいある。参考書の類いは下の段の片隅に置かれているだけ。三年間の間、あなたは勉強していないのね……自分で自分に呆れた。

 そして、寝室。

 クローゼットにテレビ台も兼ねたチェスト。そして……部屋の中心に置かれたダブルベッド。

 わかっている。

 結婚しているんだから、寝室が一緒だったり、一つのベッドで眠ることが普通なことくらい。でもその存在を目にすると、体の中がカーっと熱くなっていく。

 それは、「キャーやだ! 恥ずかしい」みたいな甘い恥じらいなんかじゃなく、「お前がどう思おうが、お前は面識のないあの男と夫婦だ」という辱めからきている。

 ……無理。

 これ以上ここにいたら、参ってしまいそうだ。逃げるように寝室を抜け出した。


 リビングに戻ると、谷崎課長がお茶を入れてくれていた。テーブルには私の大好きなコー○ーコーナーのシュークリームが置かれている。久しぶりに見るシュークリームに口元が緩んでしまう。


「つぐみを迎えに行く前に買っておいたんだ。モカエクレアもあるから明日食べるといい」


 そう、シュークリームを一日目に食べて、次の日にモカエクレアだわ……って、どれだけ私のことを知ってるんだ。出してくれた紅茶は、ご丁寧に私のお気に入りのキャラのマグカップに入っているし。でも、せっかくだから頂くとしよう。


「いただきます」


 マグカップに口をつけると、私の好きな紅茶の味が口の中に広がった。シュークリームも相変わらずカスタードクリームいっぱいで美味しい。ああ……至福の時だわ。

 紅茶と大好きなシュークリームのおかげで、少しだけ緊張がやわらいだ。だけど、こうした気遣いをありがたいとと思う反面、この人は私のことをとことん知り尽くしているのだと複雑な思いにもかられる。

 静かだ……どこからか時計の音が聞こえてくる。

 気まずい。なんかこれってお見合いみたい? いや、違うか。私は相手のことを知らないけど、相手は私のことを熟知してるものね。

 シュークリームを平らげてしまったので、コーヒーを飲んでいる谷崎課長を見る。

 コーヒーカップを持つ長くて角ばった手。

 いいなあ。私の家系はみんな手が小さいから、大きな手には憧れてしまう。左手の薬指には指輪が付けられている。

 ……いいはまり具合。

 思わず見とれてしまった。そう言えば、私は結婚指輪をしている男の手フェチだった。私の勝手なイメージだけど、結婚指輪がキレイにはまっている男の人って、奥さんを大切にしている気がして。だから、結婚するなら旦那さんには絶対に結婚指輪をして欲しいって思っていた。図らずもその願いだけは叶っているらしい。

 手ばっかり観察していても仕方ないので、視線を上げる。

 髪は少し癖がある髪質なのだろうか? 髪の毛の量はよくわからないけど、普通だと思う。白髪もほとんど見当たらない。

 目の下には皺。三十六歳だものね。でも、シミとかはなくて肌は私よりキレイ。普通の大きさの目に整った鼻筋、余分な肉が一切ついていないほっそりとした頬。

 ……やっぱりタイプじゃない。

 入院中の間から今まで好きだった人の顔を思い浮かべては、この人との共通点を探していた。だけど、見つからなかった。

 そもそも私は顔が丸いから、ほっそりとした顔の人は好きにならない。コンプレックスが刺激されるというか、二人で並ぶと自分の顔の肉が目立つというか……。結婚式の写真でも自分の顔の丸さが際立ってたし。

 今まで好きだった人達の顔も細かったけど、ここまでほっそりはしていなかった。私は「肉大好きだぜ!」って感じの(本人達の好みは別として)顔の人が好き。でも、この人は明らかに「肉より野菜が好き」って顔だ。背は高いけど体重は軽そうだし、その気になれば、この人のことをお姫様抱っこできる自信がある。どうしよう……好みじゃない。

 また失礼なことを考えてしまった。それにしても、本当に気まずい。谷崎課長も私にどう声をかけるべきか、戸惑っているのかもしれない。

 ずっと黙っているわけにはいかない。南ちゃんにも二人の間の詳しい事は谷崎課長に聞けって言われたし。聞きたいことはたくさんある。でも、谷崎課長は私が何を知りたいかなんてわからない。だから私から話さないとだめだ。すうっと息を吸い、谷崎課長に話しかけた。

 

「あの……ここってすごく高いですよね? 都内で4LDKだし。ローンとか生活って大変じゃないですか?」


 ……一体、何を聞いているのだろう。

 聞きたい事はこれじゃないでしょ! と自分で自分に思いっきりツッコミを入れる。

 谷崎課長も聞きたいことはそんなことかって顔をしている。にも関わらず、谷崎課長は私のくだらない質問に答えてくれた。


「いや……一応、課長なのでそれなりの収入があるし、独身時代からの貯金もある。それに結婚する時に俺の実家やつぐみの実家からお祝いを結構貰ったから」

「え? うちの親が?」

「実家にお金を入れてただろう?」

「ああ、確かに実家に入れてました。そっか……それを貯金してくれてたんだ」

「そう、だからローンや生活のことはご心配なく」


 また沈黙が流れる。色々聞きたいことはあるのに。

 でも、それを聞くのは今の私と谷崎課長の距離では無理。よく知らない人に自分のことを語られるのは、やっぱりいい気がしない。かといって、このままってわけにはいかないし……どうすればいいのやら。一人固まっていると、谷崎課長の目が私の目を捉えた。どきっとする間もなく、谷崎課長が口を開いた。


「これからのことだけど……」

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