旦那様の実家訪問5
……やっちゃった。
水を打ったようなシーンとしたこの感じ。久しぶりの重たい空気だわ。
友達のことがあったから、言えなかったんです──と言っておけば、さらりと流せたかもしれないのに。
だけど、広岡や史香ちゃんのことを言い訳に使いたくない。
これは記憶を失う前の私だって同じだと思う。
知られてしまったからには、洗いざらい全てを正直に話す……たとえ、圭さんに軽蔑されたとしても。
黙っていると決めた以上、私はそのくらいの覚悟で必死に隠し通していたと思う。
──大切な人には自分の醜いとことは見せたくない。
──大切な人には誠実でありたい。
根底にあるのは、そんな矛盾した二つの気持ち。
「ごめんなさい……やっぱり、自分本位な理由だ」
そんな面倒くさいことをしてしまうほど、あなたが愛おしくて大事なの──心の底からそう思っている。
だけど、絶対に口にはしない。自分のためについた嘘の言い訳に圭さんを乗せるのは、私の矜持が許さない。
二人とも無言のままショッピングセンターの出口まで来てしまった。
こんな状態で圭さんの実家に戻ったら、みんなを不安にさせてしまう。とにかく空気を変えないと。
「えっと……」
声を出してみたものの、何も出てこない。
どうしよう……って私が招いたことなんだから、自分で何とかしなきゃ。
何か最近の面白い出来事、無ければ面白い通行人とか……。一人で頭をフル回転させていたら、圭さんが立ち止まり、とある方向を指差して言った。
「ちょっと、座っていかない?」
圭さんの指が示していたのは、ショッピングセンターの前に設置されているベンチだった。
「歩き話もなんだから。まあ、さっきの通ったパン屋のイートインでもいいけど、お茶だけだぞ」
「パン屋でお茶だけって……何が嬉しくて」
「夕飯前だからな。君なら別腹だって飲み物みたいにペロリだろうけど、今日はだめだ。いくらなんでも食い過ぎだ」
……この人は一体私のことを何だと思ってるのかしら。
「いくら私でも夕食前にパンを食べたりしません。それに飲み物みたいにペロリって……何ですか? 確かに食べますけど、私はじっくり噛んで味わう派です。飲む派ではありません!」
確かにたくさん食べるし……ペースも早いかもしれない。だけど、私なりに食べ物に敬意を払って味わい尽くそうとしているつもりだ!!
……って何、自分の立場を忘れて何向きになってるんだ。私は謝る立場の人間なのに。恐る恐る相手の方を見ると、微笑んでいた。
「……元気になったな。じゃあ行こうか」
圭さんはそう言ってベンチの方に歩いて行った。
……まただ。圭さんに上手く乗せられた。
だけど、わかっている。これが圭さんの優しさだって。
空気を変えられない私の代わりに、きっかけを作ってくれた。どこまでも大人な人。それを悔しく思う時もあるけれど、そのおかげで私はのびのびとしていられるのだとも思う。
先にベンチに辿り着いて腰掛けている圭さんに続くように、私もベンチの方へ向かった。
「さてと……」
圭さんは私が隣に座ったのを確認するなり口を開いた。
「何て言えばいいのか。君らしいというか、ややこしいというか、バカというか」
「返す言葉もございません」
「まあ、そこが君の愛おしいところの一つでもあるんだけどね」
「……っ」
思わぬ不意打ちに顔がボンと熱くなる。
何でこういうことさらっと言えてしまうのだろう。顔を赤く染めてるだろう私を見て、圭さんは満足げな顔をして見せた。
「君は本当に素直だね」
「……圭さんは本当に恥ずかしいことをさらりと口にできますね」
余裕な笑みが悔しくて、皮肉を込めて切り返してみたものの、その表情は少しも崩れていない。
「つぐみが照れ屋なだけだと思うけど? あんなに大胆なくせに……不思議だな」
何か話が変な方向に行っている気がする。
「あの……本題」
「ああ、悪い。そうだった。一つ反論させてもらうなら、つぐみは絶対に俺に話してくれたと思う」
「絶対って……何でそういい切れるんですか?」
「言わずにいられないタチだから」
「は?」
「だってそうだろ? さっきだって……友達のことがあったから言えないってことにしておけばいいのに、わざわざ暴露しちゃうし。きっと記憶を失う前のつぐみも同じだよ。記憶を失う前の君も今の君も、俺の前では正々堂々と戦うヒーローだ」
また、ヒーローか……褒められているのはわかるけど、ちょっと複雑な気持ちにもなる。まあ、圭さんよりは正々堂々と戦うヒーローっぽいとは思うけど。
「記憶を失う前のつぐみも広岡さんと仲直りして、自分なりにケリをつけて俺に告げたと思う。ただ、もう少し時間がかかったかな」
「時間?」
「自分で消化して、それを言葉に変える時間。すぐに口に出せない気持ちだってある」
言葉に変える時間。
意識したことはなかったけど、そういうものなのだろうか。圭さんがそれを口にするってことは……。
「圭さんにはあったの?」
「ああ……」
何気なく聞いてみたら、圭さんは笑って頷いた。
「そう言えば……俺もつぐみに白状しないといけないことがあった。言ってもいい?」
「口にして楽になるなら」
「君が実家から返ってきた頃……君が無防備過ぎて色っぽくて、自分を抑えるのに必死だった」
「は?」
一体、何を言っているの?
妙な間の後に、圭さんの口から出てきた言葉に困惑する。
「あの……それってどういう意味ですか?」
「君に襲いかかりそうになって困ったってことだよ。最初の頃は風呂上がりにも化粧して、部屋着のジャージなんて上までしっかりファスナー閉めてたくせに、どんどん緩めていってさ……あの頃の君は俺を信頼してくれていたから、口が裂けても言えなかったけどね」
何だろう。この聞かなければ良かった的な残念感。
圭さんが草食と見せかけて肉食なのは、身をもって知っているけど。
「前から思ってたんですけど、私のどこにそんな要素が?」
着飾っている時の私ならともかく、素顔で家にいる時の私は部活帰りの中学生みたいなもんだと思う。あの格好でビールを買いに行くと、必ずと言っていいほど身分証明書の提示を求められるし。
そんな私のどこに? 本当に謎だ。そう思って尋ねているのに、圭さんは本気で呆れたという顔で私を見ている。
「君は胸が小さいから、自分には色気が無いとでも思っているのか?」
「はい、自分でもがっくりするほどペチャパイですし」
「ふっ」
即答したら鼻で笑われた。“これだからお子様は”って言われている気がする。
「まあ、君はそう思っておけばいいよ」
「圭さんのそういうとこ、キライ」
意地悪には意地悪で応戦だ──と冷たく言い返してみたみたけと、目の前の魔王様には全く効いていないらしい。
「まあ、つぐみの色気云々の話は置いといて……つぐみが戻ってきた頃に俺が同じことを言ったら、どうだった?」
「ドン引きしたと思います」
「だろう? 俺だってあの頃のつぐみには言い出せなかったよ。そういうこともあるんだよ」
……一緒にしないで欲しい。圭さんの話はどちらかというと変態話だ。
だけど、圭さんの“すぐに口に出せない気持ちだってある”という言葉は、経験した人にしか言えない台詞だ。多分、圭さんはそれを今も抱えている。その上でさっきのような砕けた話を出してきたのだと思う。
その中には私の事故絡みのことだってあるはずだ。
事故を通して私は、圭さんに苦い思いをたくさんさせてしまった。
全部消してしまえたらって思うけど、それはできない。その上で私がすべきことは……嘆くことじゃない。味わった苦い思い以上に圭さんにおいしい思いをさせることだ。
そしていつか……圭さんが言葉にしたくなった時は、その言葉をしっかり受け止める。だから、今は何も言わない。
「そういうことにしておきます」
「それでいい。それと子供のことだけど……」
「はい」
考えたこともなかった。三年前の私の頭の中は、ほぼ試験のことで埋まっていて、結婚という言葉すら存在しなかった。
記憶を失う前のことはわからないけど、自分の中で広岡に謝ることを課していた気がする。その上で圭さんと親になりたかったんじゃないかと思っている。
じゃあ、その課題をクリアした今は? と問われると答えに困る。だけど、圭さんが望むのであれば叶えないといけないと思う。
「俺は……機会があれば欲しいと思っている」
「……ですよね」
圭さんがそう思うのは、ごく自然なことだ。私も覚悟を決める時なのかもしれない。そう思ったら、自然と顔に力が入っていく。圭さんはそんな私を見て、何故か不満げな表情を浮かべた。
「でも、つぐみにそんな顔をさせてしまうくらいなら……要らない」
「顔?」
別に嫌な顔なんてしてないのに……。自分で言うのもあれだけど、使命感に満ち溢れた顔をしているはずだ。不思議に思っていたら、圭さんの長い指先が私の額を捉えた。
「キリッとし過ぎ……そんな清水の舞台から飛び降りるみたいな顔で子供を作られても困る。どうせ俺のために叶えないと……とか思ってるだろ?」
「それは……。でも、悪いことじゃないでしょう? 私が圭さんにしてあげられることの一つなんだもの」
心の中を見透かされていたことに慌てつつも、その考え方は間違ってないとばかりに言い返したら、ものすごく大きなため息が聞こえた。
「親になることに対する使命感なら大歓迎だが、俺を父親にする使命感なら願い下げだ。俺だけじゃなくて……俺とつぐみ、二人の子供なんだぞ」
「……っ」
静かな口調で諭すように言われて、はっとさせられた。
そうだ……二人の子供なんだ。
「……思い違いをしてました。ごめんなさい。」
「わかってくれたならいい」
そう言って圭さんは私の頭をポンポンと軽く叩いた。
……教えられてばっかりだ。
「断っておくが、俺は子供が欲しくて君と結婚したわけじゃない。君は俺と甥っ子を見て俺が子供を欲しいと思ったようだが、俺から言わせてもらえば逆だ」
「え?」
「俺は、あいつらがいるから自分の子供は要らないと思っていたクチだ。百合さんと美佳子に扱き使われたからな。たまの休みに実家に帰って、ちょっと遊んでやる連中とは違うんだよ」
「ああ……」
実感のこもった圭さんの言葉で色々察した。
そう言えばいい父親になるわよの後に、私が仕込んだんだからって、百合さん……自信ありげに笑ってたな。
「抱っこから、オムツ替えに、ミルクやりに、寝かしつけ、離乳食作り。幼稚園の運動会に駆り出されてビデオ係、仕事で行けない父親の代わりのヒーローショーの引率、夏休みの宿題の指導、クリスマスプレゼントの買い出し……これだけ関わっていれば、小憎たらしく思うことだってある」
「何か……すみませんでした」
圭さんの口から出てくるワードに、ただただ恐縮するしかなかった。私が蘭ちゃんを純粋に可愛いと思えるのは、抱っこくらいしかしてないからだ。
「いや……俺は俺でいいとこ取りしてたから。晴人の初歩きを見たのは俺だけだし、海斗が最初の言葉はけいだった。あいつらを通して擬似父親体験をたくさんさせてもらった。面倒をかけられたが、満たされた時間を過ごしていた。だからかな……俺は子供はおろか結婚に対する欲が無かったんだと思う。だけど……」
ひと呼吸おいて圭さんは、私をじっと見つめた。
「君と出会って変わった」
「私?」
「ああ、不思議だよな。最初は君に惹かれるなんて思いもしなかった」
「……でしょうね」
きっと、圭さんにとって柏原つぐみは範囲外だったに違いない。
私だって、圭さんのことは全くタイプじゃなかった。結婚しているって告げられた時はショックだったし、圭さんのところへ行くことになった時は嫌で嫌で仕方がなかった。
だけど、一緒に過ごして圭さんの温かさに触れていくうちに、惹かれるようになって……。好きになってしまえば、自分の好みのタイプなんてどうでも良くなるんだと実感した。
「仕事はできるけど、愛想の欠片もない可愛げのない部下だったからな。だけど、ふとしたきっかけで君を知って、君の不器用だけど真っ直ぐなところに助けられて、君を想うようになって、こうして君と一緒になれて……色々あったけど、俺は幸せな日々を送っている。これ以上、望むものなんてないはずだけどね……」
そう言って、圭さんはちょっと困った顔をして笑った。
「君との日々が幸せだから、二人で大切な存在を迎えてみたいと思うようにもなった。……欲張りだよな。最初は少しでも君と一緒にいたいくらいの欲しかなかったのに」
この人らしいというか、意外というか……どう表現すればいいかわからない。
だけど、私にとって圭さんとの出会いが重要だったように、圭さんにとっても柏原つぐみとの出会いが大きかったんだと思うと、じわじわと胸が熱くなってくる。
「でも……こればっかりは俺達の力ではどうにもならない面もある」
「そうですね」
蘭ちゃんに圭さんの甥っ子君達や姪っ子ちゃん。私達の周りには自然と子供がいるから、忘れそうになるけど、決して当たり前のことではない。思うようにならないことだってある。それで傷ついている人もたくさんいる。
「たとえ機会に恵まれなくても、つぐみとなら二人なりに幸せに暮らしていける自信があるし、そうしていきたいと思っている。その上で……自然の流れに任せてみたいと思っている。だが、これは俺一人で決めていいことではない。かと言って……今の君に問うのも酷だ」
圭さんにしては、珍しく歯切れが悪い。
つまりは私次第だけど、記憶を失っている私に考えさせるのは……ってとこか。本当に奥さん思いな人だ。
「別に酷じゃないてすよ。そうだな……私は圭さんの考えに一票ってことで」
「そんな簡単に……本当にわかっているのか? もっとじっくり考えてから言いなさい」
私の言葉に圭さんはまた不満げな顔をした。
でも、これは私を純粋に心配してくれているからだとわかる。だから思う……この人となら大丈夫だ、と。
「大丈夫ですよ。私の顔を見て。飛び降りそうな顔してます?」
「……」
無言ってことは、してないってことだ。
「私にじっくり考えさせていたら、おじいちゃんになっちゃいますよ? タイムリミットがあることなんだから、サクッと決めなきゃ。それに圭さんの話を聞いていたら、何か大丈夫だなって思えてきたし」
「だからって……」
「正直、望むか望まないかの二択で問われると困る。数ヶ月前の私の頭の中には無かったことだから。圭さんは私と出会うまで、結婚や子供に対する欲がなかったって言ってたけど、私も同じ……いや、違うか。欲の対象にさえならなかった。公認会計士になれるのなら、旦那さんも子供も要らない──本気でそう思っていた」
「そうだったな……」
「だから、三年後に来て待っていた未来に戸惑って、がっかりもしました。でも、圭さんの温かい想いにたくさん助けられて、こうして幸せに暮らしている。それなら、ちゃんと迎えられるって思いました。ただ、その機会が来なくても、それはそれで何かしら意味があることだって受け止めたい。……だから、圭さんの意見に一票なんです」
目が覚めたら三年後──そんな厄介な経験をしたせいで、未来は思い通りにいかないものだって、私は他の人より実感してしまった。
だからこそ、ちょっと嫌な未来が待っていたとしても、しっかりと受け止めて、少しでもいいものに変えていきたいと本気で思っている。だからって、未来を思い描くことを止めたりはしないけどね。
「本当にそれでいいのか?」
「はい。不安がないと言えば嘘になるけど、私達だって親がそれを乗り越えてくれたから存在しているわけでしょう。何とかなるし、何とかしなきゃいけないものなんですよ」
そう返したら、圭さんは「君って人は本当に男前だね」とあんまり嬉しくない褒め言葉を口にして、表情を緩めた。
──カーン、カーン。
微かに鐘の音が聴こえてきた。
「……市役所の五時のチャイム? ってことはもう五時?」
しまった……そんなに長居したつもりなんてなかったのに。夏は日が落ちるのが遅いから油断してた。
「いや、市役所のは音楽だったはずだ。……ああ、あそこか」
そう呟いて圭さんは、懐かしそうな表情である場所を見つめた。
圭さんの視線の先には結婚式場が見えた。ちょうど新郎新婦が出てくるようで、何人かの道行く人が足を止めていた。
そう言えば……この式場だった。私と圭さんが結婚式を挙げたのは。
退院したばかりの頃、一人でここに来たっけ。その時のことを思い出し、少し苦い気持ちになる。あの頃は、世界中で自分だけが取り残されたって本気で思っていた。幸せに満ち溢れたあの空間が私には痛くて……心があの時のままだったら、私は自分の視界を即座にシャットダウンしただろう。
だけど、今は……。
「せっかくだから、近くまで行ってみましょうか?」
「そうだな」
優しい眼差しで式場の方を眺めている圭さんを見ていたら、誘ってみたくなった。
「懐かしいな……」
柵越しに見える光景に圭さんは目を細めて見入っている。
幸せそうな二人に一年前の自分を重ね合わせているのだろうか。今の私には圭さんの感覚はわからない。いくら話を聞いても、写真を眺めても、DVDを見ても……実感は湧いてこない。
寂しくないと言えば嘘になる。だけど、今は素直に自分の歩いてきた道だと思える。晴人君の言葉じゃないけど、記憶はないけれど心の中にはちゃんと残っているって信じている。
それに今は……思い描く未来がある。だから、私なりにこの空間を味わうことができる。
それにしても、外から結構見えるものなのね。私達の時もこんな感じで見られていたと想像すると、ちょっと恥ずかしいかも……なんて式挙げてる本人達にとってはとうでもいいことよね。
今日の花嫁さんはかわいい系だ。ふわっとしたシルエットのドレスがよく似合う。あのドレスって何気に難易度高いのよね……。
「写真でも撮るか」
「は? 何の?」
不意に聞かれ、間抜けな声を出してしまった。
「……あまりにドレスに見入っているから。さすがにもう一度式を挙げる訳にはいかないけど、ドレスを着せてやることくらいはできる。フォトウェディングという手もある」
ああ……本当に私は幸せものだ。こんなに思いやりのある旦那さんと結婚できて。
「いや、いいです」
そして……この人は残念な人だ。私みたいなのを嫁にもらってしまって。
「ウェディングドレスをもう一度着るより、披露宴の料理をもう一度食べる方がずっといい」
普通は目を潤ませて頷くシーンなのに、こんなことを口にする嫁なんて……私が男なら願い下げだわ。やっぱり、私はヒロインにはなれないタイプだ。だけど、私なりの理由がある。
「ごめんなさい。さっき、百合さんと美佳子さんに写真を見せてもらって……お腹いっぱいで胸焼けしそうなんです」
──式で一着しか着ない分、色々試着させたからね。
百合さんと美佳子さんの言葉通り、見せらせたアルバムの中には何種類ものウェディングドレスやカラードレスを纏った自分の姿があった。トータルで三十着くらいあったような気がする。
その中で本気で私が着たかったドレスって、三着くらいな気がする。後は言われるがままに着せられた感があった。多分、百合さんと美佳子さんと南ちゃんだ。あの三人に着ろって言われて断れるはずが無い。
定番タイプのドレスに、ミニのウェディングドレスに、ぶりっ子感満載のお姫様ドレス、コンサート衣装みたいな派手なものまで……思い出すだけでクラクラしてきた。
「……」
言わなきゃ良かった──圭さんがそう思っているのが、手に取るようにわかる。妻としては、ちゃんとフォローしておかないと。
「でも、圭さんのタキシード姿は見てみたい」
これはお世辞じゃない。最初は何とも思わなかったけど、何度か写真を見ているうちに目が離せなくなった。何故かわからないけど、私の中で黒の細身のタキシード姿の圭さんの破壊力がすごいのだ。
圭さんのタキシード姿を思い浮べているだけで、テンションが上がってきた。本当に何なんだろうこれは。
そんな私とは逆に、圭さんはうんざりした顔をしている。
「却下」
「そんな一言で片付けなくても」
「どうせ……仮面男と重ねて見てるんだろ。君の初恋のね」
「初恋? ……って、あれか」
初恋という言葉で思い出した。
そっか……あの仮面の君か。でも、全然似てなくない? アニメと実際の人間が似てるかなんてナンセンスだけど、強いて言うなら大路さんとか椎名さんの方が近い。不思議に思い圭さんをまじまじと眺めてみた。
……ああ、そういうことか。
顔の系統は違うけど、体型がそっくりなんだ……この人。細身で足が長いところとか、特に。そう言えば、彼も圭さんも身長が一八〇センチ。シルクハットと仮面をつけたら……完璧じゃない? うわぁ、そう思うと何だか興奮してきた。
「シルクハットも仮面も御免だからな。見たければ君の携帯電話の画像フォルダを探すんだな」
「え?」
「試着の時に百合さんと美佳子と南に無理やり付けさせられた。何で式場にあんなものがあるのか、未だに謎だがな。奴らはもちろん、君もバシャバシャ携帯で撮ってたから」
「私の携帯?」
言われて携帯電話を操作する。携帯電話にカメラ機能なんて求めていなかったから、写真を保存しているなんて夢にも思っていなかった。
「……あった」
目的のフォルダの画像を順番に開いていく。そこにはたくさんのシルクハットと仮面をつけたタキシード姿の圭さんがいた。と言うか、それしか保存されていない。どれだけ好きなんだって突っ込みたいけど……。
「かっこいい」
好みのタイプじゃないって思っていたけど、この姿の圭さんはドストライクだ。生で動いている動いた姿なんて見たら、キャーキャー言うかもしれない。それだけに……。
「会いたいなあ」
私の呟きに大きなため息が返ってきた。
「大丈夫ですって。無理なのは百も承知ですから」
「……いや、いいよ。そんなに会いたいなら叶えてやれないこともない」
「本当に?」
思わぬ返事に目を輝かせて隣を見ると、圭さんはニヤリとした笑みを浮かべていた。……嫌な予感がする。
「つぐみの願いだからな。だけど、彼一人じゃ寂しいだろう? ちゃんと隣に相応しい相手がいないと……」
それはつまり……私にウェディングドレスを着ろと?
……構わない。確かに圭さんだけタキシードなんてアンフェアだし。
「着ます。もう一度、ウェディングドレス。しましょう、フォトウェディング」
「勘違いしてないか? 俺にじゃない、彼に相応しい相手だそ」
「え?」
「彼の隣にいるべきなのは、花嫁じゃない。戦士だろう?」
……つまり、私が着るべきはあのヒロインのコスチューム? って冗談じゃない!
「いいです。写真で我慢しておきます」
「それは残念だな」
……前言撤回。私の旦那さんは鬼で変態だ。
「圭さんの意地悪」
「君は俺を信用しすぎだ。俺は君が思うようなできた人間じゃない」
「仕方ないでしょう。今の私は四ヶ月分の圭さんしか知らないんだから」
苦し紛れにそう混ぜっ返したら、圭さんはきょとんとした顔をした。当たり前のことを言っただけなのに……変なの。
それにしても……他人の結婚式を眺めながらこんなバカなやり取りするなんて。
「いい年した大人達が何やってんだって感じですね」
「それは同意する」
「……帰りましょうか」
「そうだな。ああ、そうだ。さっきの話だけど」
式場を後にしようとしたら、圭さんが足を止めて言った。
「今からじゃなくて……秋と冬を越してからでもいいか」
さっきの話って何だ? と思ったけど、秋と冬を越してからという言葉で、自然の流れに任せるの件の話だとわかった。
「私はかまわないですけど、圭さんはそれでいいの?」
「今の君にとって俺は出会って四ヶ月の男だろ。もっと言えば、こういう話ができるような関係になってから二ヶ月も経ってない」
「……言われてみたらそうでしたね」
圭さんの隣にいるのが楽で、なんか結婚して何年みたいな感じになってた気がする。
「そう考えたら、今の君と新婚らしいことをしてみたくなった」
「新婚らしいこと?」
「新婚旅行とか……今の君は写真や映像でしか知らないだろう。俺はそこで見た景色とか、旨かった料理の味とか……すぐに思い出せるけど君はそうじゃない。それってつまらないよな。だから、新婚旅行くらいはやり直してみないか?」
「……」
あなたは……ずるい。
私が気づかないうちに落としてしまったものを掬って、大事に抱え込んでくれようとするんだもの。さっきはあんなに意地悪だったくせに……目頭が熱くなってきて困る。
あなたはそんな私に気づかないふりをして、もう一度ハワイに行くのもいいけど、仕事のスケジュールが云々と難しい顔して呟いている。
だから、私も涙は流さない。
「別にハワイまで行かなくても……今の圭さんからしてみれば、あんまり新鮮味がないでしょう。沖縄とか屋久島とかは?」
「……どっちも夏に行く場所だと思うが」
「秋と冬だからこその楽しみとか、発見があったりすると思いますよ。今の私と圭さんで思い出をつくるなら、二人が知らない景色を見たいなって」
圭さんの誕生日から二人で出かけることが多くなった。私にとっては初めての場所ばかりだけど、圭さんにとっては何度目かだったりする。私にとって新鮮に感じることも、圭さんにとってはそうじゃない。
「なるほど……それもいいかもな」
「でしょ? あと肉の日のリベンジもしたい。神戸には行ったけど、まだ肉貯金は残ってるし。二十九歳の私は神戸牛を選んだけど、もう一つ考えていたプランがあったんです」
「松坂牛の三重とか?」
「いいえ、北海道でジンギスカンwith新鮮な海の幸とチョコレートです」
「……安っぽいツアータイトルだな」
「いいじゃないですか。一粒で三度おいしいみたいで。あっ、ツアーで閃いたんですけど、日帰りバスツアーとかどうです?」
「悪くない。色々調べてみると面白そうだな」
「でしょう? 今年の秋と冬は忙しくなりますよ。スケジュール帳とにらめっこだわ」
「そうだな……。じゃあ、そろそろ帰ろうか。騒がしいのが起きてくる頃だろうし」
「はい」
差し出された左手に自分の指を絡め、今日の主役の二人に『おめでとう。末永くお幸せに』と心の中で祝辞を送り、私は式場を後にした。
更新が長く滞り申し訳ございませんでした。実家訪問編はこれにて完結となります。
拍手画面に椎名さんと谷崎さん2(こちらも完結)を追加致しましたので、よろしればご覧下さい。




