旦那様の実家訪問2
「え?」
圭さんの言葉に頭がフリーズする。
「嘘……」
「嘘じゃない。と言うより、逆に聞きたい。何で山形なんだ? 他の誰かと勘違いしているのか?」
ちょっとだけ不機嫌そうな声音に思わず後ずさる。下手をするとブラックキャラになって……後々大変だ。
「誤解ですって。元カレの実家のことなんて気にしたこともなかったし」
そう言い返すと、圭さんはふーんと言った感じで口角を上げた。普段は大人なくせに時々、訳のわからない嫉妬をする。
それにしても……何で山形って思っていたのだろう。
喋り方に特徴があるならともかく、私が知る限り圭さんは訛っていない。広くて緑が多くて……そういう土地がこの人の土台にあるのかなって思ったから? でもこれは後づけな理由な気がする。じゃあ何だ? 自分の中にある記憶を総動員して考えてみる。
「あっ……あれか」
「あれ?」
「異動を告げられた日、私は圭さんのことを何も知らなくて、どんな人って南ちゃんに聞いて……そこで山形って聞いた気がする」
とは言うものの、その内容はちっとも頭の中に入ってこなかったんだけどね。
圭さんは納得したという顔をして、ちょっと渋い表情を浮かべた。
「山形は俺が最初に赴任した場所だ」
「そうなんですか」
南はそう言っていたと思うぞ──と顔に書いているのがわかる。
ちょっと罪悪感を感じるけど、こればっかりは仕方がない。あの頃は予想外の失恋と異動と、これからどうなるんだろうって不安で頭が一杯で、南ちゃんが教えてくれた圭さんの情報なんて右から左へと通り過ぎていたのだから。
「……色々ごめんなさい」
「いや、あの頃のつぐみの事情はわかっているから。俺の情報なんてどうでもいいよな」
「そんなことない! そりゃ……あの頃はそうだったかもしれませんけど、今は圭さんのことで頭が一杯だし、もっと知りたいって思っているし」
慌ててフォローすると、圭さんはニヤリと笑った。
……やられた。この人は甘い台詞を吐くけど、たまに私にも甘い台詞を吐かせる。
いつもだったらこのまま甘い空気になるけど、今日はそうはさせないんだから。
「で、圭さんの実家はどこなんですか?」
顔を赤くしつつも毅然と態度で尋ねた。圭さんは残念といった顔を一瞬した後、いつもの淡々とした表情で口を開いた。
「横浜。ちなみに最寄り駅はつぐみの実家の隣の駅。結婚式場がある方だよ」
「えぇーっ!」
圭さんから告げられた事実に驚愕すると同時に、冷たい風が一気に背中を伝って行くのがわかる。
何、それ。
聞いてない。
ちょっと待って……隣の駅ってことは?
結婚式場がある方って、一駅離れてるけど歩いて十分で行ける方じゃん。実家に戻っていた時にも何回か買い物に行った。それってつまり……。
「絶対にすれ違ってる。向こうは私のこと知ってるのに私はスルー。うわっ凄い感じ悪っ! 圭さんのご家族に会わせる顔がない」
想像するだけで頭が痛くなってくる。
「それは問題ない。つぐみが退院した頃に事情を説明して、見かけても話しかけないでやってくれと伝えてあるから」
抜かりないことで……でも、その気遣いはあんまり嬉しくない。
「そんなに心配しなくても大丈夫だから。うちの家族はつぐみのことを救世主みたいに思ってるし」
「救世主って、何ですか……それ」
「結婚できない男を結婚させた的な」
何だろう。別の意味で頭が痛くなりそうだ。
「実家における圭さんの立ち位置って……」
「結婚するまでは微妙だったよ。兄貴と弟が早く結婚した分、悪目立ちしたしね」
そう言えば圭さんは三兄弟の次男だった。
お兄さんが公認会計士をされているのは知ってる。
「圭さんのご家族ってどんな方達なんですか?」
「そう言えば話してなかったな。俺達の結婚式の時に揃っていたから、写真を見ながら説明した方がわかりやすいよな」
そう言って圭さんは結婚式の時の写真を取りに行った。
結婚式の写真か。確かに結婚式って親族が集まる場よね……と一人静かに納得しつつも、前に見た時にみんな似たような顔だなって思っていたのを思い出す。
……それなりに勉強が必要かもしれない。
その日を境に私は十年ぶり単語カードを持ち歩くことになった。
谷崎家の家族構成は十三人。
現在、圭さんの実家では、お父様とお母様。そして、お母様の母親にあたるお祖母様が暮らしている。
お兄さん夫婦は、実家の隣の家に住んでいて、中一、小三、小一の三人の男の子達がいる。ある意味、三世帯同居? 奥さんは大変だ。
その近所には弟さん夫婦と小二、小一の二人の男の子。そして一月に生まれた女の子が暮らしている。
写真を見て改めて思うのは、みんな背が高いってこと。うちの父親と圭さんのお母様とお祖母様が同じくらい? 圭さんの身長が高いからお父さんも背が高い方なんだろうな……って薄ぼんやりと思ってはいたけれど予想外だ。
お父様は物静かそうな感じの方だけど、ハリウッド映画の俳優さんみたいながっしりとした体格をしている。学生時代にバレーボールをされていた時の名残らしいけど、六十代の方の体には見えない。お母様は目鼻立ちがはっきりしていて、華やかな顔立ちをしている。おしゃれなマダムって感じた。……うちの両親と違いすぎる。
お兄さんはお母様似のようで、爽やかなイケメンという感じだ。弟さんはお父様似で渋いスポーツマンという感じがする。
圭さんは……お父様とお母様の中間ってところだ。
面白いことに三人揃った写真を見ていると、圭さんは次男って感じがするのに、お兄さんと弟さんは逆に見える。十歳も歳が離れているのに。これはみんなが思うことらしくて、圭さんは「兄貴が童顔で弟が老け顔なだけだ」と遠慮がない。
真逆な雰囲気を持つ二人だけど、女の人の趣味は似ているらしい。
お義姉さんも義妹さんも美人で、スラリとしていて、おしとやかそうで……胸が大きい。それだけで選んだりはしないとわかっているけど、軽く落ち込む。
「嫁三人で並んだら……私だけ異物って感じですよね。高そうなお菓子の中に駄菓子が混じったみたいな」
「……」
と呟いたら、何とも言えない微妙な顔をされた。きっと言い得て妙なんだろう。こっちまで微妙な気分になるけど、駄菓子には駄菓子なりの良さがあるって知っているし、駄菓子を気に入ってくれる人もいるから気にしない。
──といった感じで、それぞれの顔と人となりを知っていった。だけど、それはすんなり頭に定着しなかった。
お祖母様とご両親や兄弟やその奥さん達は、それなりに特徴があるので覚えるのに苦労はしなかった。
問題は甥っ子達だ。
中一の子と赤ちゃんはともかく、小三から小一の間の子の区別がつかない。みんな雰囲気が似ているので、お兄さんと弟さんのどっちの子供かの区別すら危うい。
そんな私を更に混乱させるものが彼らの名前だ。
はると、ゆうと、みなと、りくと、あきと……と全員「と」で終わる。上の二文字で呼び分ければいいと言われても、今の私には無理ゲーだ。
覚えられる気がしなかったので、単語カードに一人一人の名前と情報と、写真を見た時の私の勝手な印象を書き込み、駅で電車を待っている時とか、見ているテレビ番組のCM中とか、日常の中のふっとした空き時間に何度もめくっていた。
そこまでしなくても、と圭さんは苦笑していたけど、私にとって谷崎家は複雑すぎる。
それに家族の皆さんのことを思い出せなくても、きちんとわかった上でお祖母様のお祝いに参加したかった。夫の実家だからというのもあるけど、蘭ちゃんの時みたいに悲しませたくないのが大きい。
思い返しているうちに、目的の駅に着いてしまった。
降りたくない。
このまま電車に揺られて、終点の駅まで行ってしまいたい気分だ。だけど、そんなわけにはいかない。圭さんにお願いされたとは言え、行くと決めたのは私なんだから。
圭さんに続いて私も電車から降りる。何度も降りたことがある駅なのに、こんなに緊張するのは初めてだ。
改札を抜けるとショッピングセンターと結婚式場が見えた。知っている場所を目にしたら、少しは落ち着くかなと思ったけど逆だった。圭さんはこっちだよと言って、私の手を取り実家がある住宅街への道を進んでいく。初めて見る景色がたくさんあるのに、ちっとも目に入らない。十分くらい歩いた後、圭さんは足を止めた。
「ここだよ」
目の前には二つの家と二つの表札。
毛筆の感じで書かれたものと、ローマ字のもの。ローマ字の方がお兄さんの家かなと思っていたら、その通りだったみたいだ。
圭さんは毛筆の表札の家のドアへ歩いて行き、長い指先でインターフォンを押した。




