第48話
「……バカ?」
「ああ」
思わず聞き返す。
谷崎さんは躊躇う素振りを見せることなく、はっきりと肯定した。
その口調の鋭さは谷崎課長のものだろうか。
「大路へのポイント稼ぎなら、嘘でも姫島さんを責めないでって言っておけばいいものを……。正論だったとしても、あのタイミングで言うべきことじゃない。好きな奴の前で自ら好感度を下げるなんて……バカとしか言いようが無かった」
「……ですよね」
そこまで言われると返す言葉がない。
谷崎さんが言っていることは正しいと思うけど……このダメ出しは結構痛い。
「あの後、つぐみは技術営業支援課の奴らの批判を一気に浴びたんだ。つぐみは何を言われても毅然としていたけど、それが痛々しくて苛立たしかった」
「苛立たしい?」
「つぐみは自分が叩かれるってわかった上で、敢えて姫島さんを皆の前で責めた。だからって、この件で一番大変な目にあう人間が何で一番責められるんだ? 何故そんな手段を取るんだ? お人好しにも程があるだろ……って」
苦笑しながら語る谷崎さんの表情で、バカという言い草はその当時の私を思ってくれた上でのことだとわかる。可愛げがなくて生意気な派遣社員なのにね。
それなのに、当時の私ったら……その当時の谷崎さんのことを「最低」と切り捨てていた。
「だが、一番のバカは俺だ」
「え……どうして?」
南ちゃんから聞かされた時は冷たいって思ったけど、それは谷崎さんなりの考えがあってのことで……バカだとは思わない。
目をパチクリさせている私をちらりと見て微笑んだ後、谷崎さんは視線を下に落とした。
「佐々木課長に頼まれた時点で了承しておけば、あんな騒ぎにならなかった」
「最初に断ったのには、谷崎さんなりの考えがあったんでしょう?」
「確かに安易に引き受けてはいけないと思っていた。だけど、俺が姫島さんのことをきちんと気にかけておけば、起きなかったことだと思わないか?」
そう言えば……南ちゃんも姫島さんのことに関しては責任を感じているって言っていた。私もこの会社は新人に対してドライだと思っていた。
「……思います」
「だろ……。あれは元上司としての俺の責任だ」
「だけど、谷崎さんは十月から市場開発課の課長になったばかりでしょう。それに多忙を極めていたって。それでもちゃんと姫島さんのことを考えていて、教育を始めようとしていた。そんな矢先に……」
南ちゃんから聞いた話でしか判断できないけど、当時の谷崎さんが新入社員の教育まで担うのは酷な話だと思う。それに……大路さんと姫島さんのできちゃった結婚は、谷崎さんが予想できることではない。
だから谷崎さんがそこまで責任を感じることじゃない──そう口にする前に谷崎さんは首を横に振った。
「それは単なる言い訳だ。忙しいと言っても、不眠不休で仕事をしていたわけではない。休みだってあったし、睡眠時間もそれなりに確保していた。時間なんて作ろうと思えばいくらでも作れたし、もっと早く教育の機会を与えてやることは可能だった。予想外の昇進と異動でバタついたのは事実だけど、それは部下のことを疎かにしていいという理由にはならない。俺が上司としての仕事をサボったせいで、元部下は仕事を押し付けられていたのを嬉しいと錯覚し、新しい部下は自分を傷つけるような真似をした」
谷崎さんは淡々と話しているけど、その表情にはどこか悔しさも滲んでいる。自分に対する厳しい物言いにチクリと胸が痛んだけど、この人らしいなとも思う。
「……ずるい」
「何が?」
「そんな風に言われたら、何も言えない」
手伝ったら仕事を増やすとか、私がどうしようが助けるつもりだったって聞かされた時は、あんなに腹が立ったのに……。
「でも、谷崎さんはどうするつもりだったんですか?」
「さあ?」
「さあって……私を牽制したのは考えがあってのことでしょう」
「さすがにそこまで頭の回転は速くない。それに……どうするかなって考える前に誰かさんが動いてくれたからね」
うっ……確かに。
「……すみません」
「冗談だって。でも、そうだな……」
気まずそうに謝る私を少し笑った後、谷崎さんは考え込んだ。
「つぐみと大路を出すと面倒なことになるし、かと言って無関係の部下に他部署の尻拭いをさせるわけにもいかないからな。一人で乗り込んで姫島さんの代わりに資料を作成していたかな?」
「え? それって無謀じゃ」
「そうか?」
「無茶ですよ……あれってそれなりに複雑だったし、イチから作るなんて……データ消されてたんですよね」
「共有フォルダに入れていたなら、会社でバックアップを取っているはずだろ。事情を説明したら、復元してもらえたと思うぞ。そんなことしなくても、つぐみなら異動する前に佐々木課長にメールでデータを送ってるだろう。現に送っていて、それを元につぐみは資料を完成させた。さすがに俺でもイチから作れっていうのは無理だけど、途中からだったら何とかした。で、作成した資料を佐々木課長の前にチラつかせて、この案件をうちの課との共同にしろって脅した」
「佐々木課長を脅すって……さらりと恐ろしいこと言いますね」
「あれをただで引き受けるほど、俺はお人好しじゃない。姫島さんのことで責任を感じていたのは事実だけど、佐々木課長に責任がないわけじゃないからな」
冗談かと思ったけど、自信ありげな表情を見ていると、この人なら本気でやりかねない気がする。
「何だか……そっちの方が良かったのかもしれないですね」
「いや、今のは机上の空論に過ぎないから。それにつぐみは俺に何を言われても助けに行ったはすだ。それは今のつくみだって同じだろう」
「どうして?」
確かに今の私でも、谷崎さんが何とかするとわかっていても同じことをした。でも、私がそれを確信したのは今日なのに。谷崎さんはもっと前からわかっていたみたいで解せない。
気になって尋ねてみると、谷崎さんは何かを思い出すように首を上に向けた。そして私を見て笑みを浮かべながら口を開いた。
「後であの時に手伝ってたらって悔やむなんてクソくらえ……だろう?」
「!」
谷崎さんの口から出てきた言葉に固まる。だけど、これは谷崎さんの言葉じゃない。
「……言ったんですね。過去の私が」




