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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
47/64

第47話

「あれはつぐみとって辛い話になると思うが……一体どこまで知っているんだ?」

「えっと……」


 数週間前に南ちゃんに教えてもらったことを頭の中に浮かべ、一つずつ言葉にしていく。


「技術営業支援課の案件で、その日の夕方に客先が来社する予定だった。それなのにプレゼン用の資料が完成していなかった。それは、姫島さんの仕事だったけど、女性社員達から担当外の仕事を押し付けられていたせいで……その仕事まで手が回らなかった」

「ああ……それで?」

「佐々木課長が私を貸して欲しいって、市場開発課に駆け込んできたけど、谷崎さんはそっちの問題だからそっちで何とかしろって冷たく断った」

「……それから?」


 言ってもいいのかしら?

 私が話す度に谷崎さんが落ち込んでいくように見えて……躊躇ってしまう。だけど、上手く誤魔化すスキルなんてないから正直に告げるしかない。


「……谷崎さんは姫島さんを心配している大路さんには、他部署のことに首を突っ込むなと釘を刺して、山路さんの案件だからと動揺している私には、技術営業支援課を手伝う余裕があるなら、今後は容赦なく仕事を振るし、残業もしてもらうって言い放った」

「……南の奴」


 小さく呟いた後、谷崎さんは頭を抱えた。

 できれば私には伏せておきたかったんだろうな。うなだれている谷崎さんを見て何となく思った。


「それを聞いて……俺のことどう思った?」

「最低って思いました」

 

 気落ちしている谷崎さんにキツい言い方はしたくなかったけど、やんわりとした表現が思いつかなったので、そのままを口にした。


「だよな……あの時も凄い顔で睨まれた」


 当然のリアクションだ。こればっかりは、当時の自分を責める気はない。


「でしょうね。烈火の如く怒ってたと思います。山路さんが残した案件を取引の材料にするのかって。交渉としては正しいかもしれないけど……」

「……本当にすまないと思っている」


 谷崎さんが更に落ち込んでいく。

 だけど、あの嫌な物言いにはちゃんと理由がある。南ちゃんや大路さんに教えてもらったから、何となく知っている。

 けれど、この人は自分の口から告げようとはしないだろう。そういうところが好きだけど……今はちゃんとこの人から聞きたい。だから、私から触れてやる。


「でも……それは私に断らせるため、だったんですよね」


 私の言葉に谷崎さんは目を見開いた。


「……それも南に聞いたのか?」

「はい、あと大路さんにも」


 答えると、ため息が聞こえた。


「南はともかく、大路は余計なことまで喋ってそうだな。全く……おせっかいな部下を持つと、色々とカッコつかなくて困る」


 そう言いながらも、その顔は笑っていた。


「言い訳がましくなるのは嫌だったんだが……」

 

 ため息混じりの言葉の後に聞こえてきたのは、どこか吹っ切れたような口調だった。


「そうだよ。つぐみをあの件に巻き込みたくなかった」

「佐々木課長が私のことをバカにしてたから? それとも、姫島さんの教育のことで責任を感じていたから?」

「確かにそれもある。だけど、俺が懸念していたのは、つぐみが手を貸しても間に合わなかった場合だ。佐々木課長は絶対につぐみの名前を出すと思った」

 

 私の名前? そう言えば、商談がポシャったら私に責任が……みたいなことを大路さんも言ってけど。


「でも、それは佐々木課長の問題ですよね」

「もちろん、佐々木課長の責任は免れない。だけど、自分の少しでも軽くなるなら、つぐみの名前を平気で出すぞ。部下のミスは知らんぷりするくせに、部下の手柄は自分の手柄にしてしまう奴だからな」

「……すごい言われよう」

「悪い人間じゃないんだが、気が小さい男なんだよ」

「ふっ……確かに」


 谷崎さんの佐々木課長に対する冷淡な分析に笑ってしまう。

 あの時の谷崎さんは、想像していた以上に部下の私のことを考えてくれていたらしい。その事実が嬉しくて、上司としての谷崎さんを知らない今の私が……少し悔しい。


「だから、つぐみが断るように仕向けたつもりだった。山路さんの案件を取引材料にしなくても、つぐみに本気を出させる自信はあった」


 取引という言葉は不服だというように、鋭い目で言われて思わずぞっとした。……私がどんなに抵抗したところで無駄だと言わんばかりの口調に、谷崎さんの勝ちフラグしか無かったのだと思い知る。


「にも拘わらず、つぐみはその条件をのんだ。普通に考えても、つぐみに分が悪い条件だろ? 山路さんの案件とは言え……それは姫島さんのフォローだ。あの時のつぐみにとって、姫島さんは好きだった男の嫁という……恋敵みたいなものだろう? 俺だったらそんな相手のために、自分が犠牲になる道は絶対に選ばない」


 なるほど……私が大路さんを好きだったという気持ちを計算した上での牽制もあったのか。もっとも……姫島さんのことを恋敵だとは思っていなかったと思うけど。

 それが谷崎さんにとってのポイントだったのかな。


「それで……意外といい奴だなって好感を持ってくれたとか?」

「いや、身動きが取れない大路相手にポイントでも稼ぎたいのかって思った」


 返ってきた意外な答えにがっくりする。


「いくらなんでも……それはない」

「わかってるよ。でも、あの時はまだつぐみの性格を把握しきれて無かったし。今思うと……ひねくれてるよな。多分、つぐみが自分をバカにした佐々木課長を手伝うのが面白くなくなかったのもあるだろう」

「やだ……ヤキモチですか?」

「そうかもな。俺の方が部下のつぐみのことを考えてるのにって……」


 冗談ですっていう暇もなく、笑顔でさらりとかわされて照れてしまう。


「じゃあ、どこがポイントだったんですか? その後の私って、みんなの前で姫島さんにキツいこと言って……いいとこ無しでしょう」

「そこだよ。柏原つぐみに興味を持ったきっかけは」

「そんな……」


 南ちゃんにも言われたけど、それはないって信じていなかった。だけど、本人の口から聞くと真実味が増して……困惑する。


「普通は遠ざけるところでしょ? 姫島さんのせいで、私はこれから仕事を増やされるんだというやつあたりかもしれないのに」


 それは違うって今なら言い切れるけど、私と親しかった南ちゃんや後で謝った大路さんはともかく、私のことを大して把握していなかった谷崎さんがその時の私の真意を見抜くとは思えない。


「それはないだろう」

「何でそう言い切れるんですか?」


 食いつき気味に聞いてみると、谷崎さんは少し考え込んだ。その表情にはどこか躊躇いがあるように見えた。ちょっとの沈黙の後、谷崎さんはそれを振り払うように口を開いた。


「じゃあ逆に聞くけど、休憩室で近江さんとやり合っていた時……」


 谷崎さんから近江さんとのことを聞かれ、ビクッとする。ケリはつけたことだけど、谷崎さんがどこまで知っているのか……検討もつかない。


「別に心配しなくていい。見ていたのは確かだけど、二人の声はほとんど聞こえなかったから。かろうじて聞き取れたのは、つぐみの“自分の不幸を他人に乗せるな”くらいだった」

「……」


 近江さんが谷崎さんを好きだってところは、聞かれていなかったのか……。ほっと胸を撫で下ろすと同時にじわじわとこっ恥ずかしさが襲ってくる。

 修羅場で発した自分の台詞を他人に言われるって、何気にダメージが高い。


「話を戻すけど……あの時、つぐみはわざと近江さんに叩かれるようなことを言ったんじゃないのか?」


 谷崎さんの指摘にギクリとした。


「それは……」


 谷崎さんの言うとおりだ。

 休憩室でのあの時、私は近江さんに敢えて意地悪なことを言った。自分と彼女を重ね合わせて、自己嫌悪に陥るくらいなら、私を憎んでしまえって思った。

 だけど、それを素直に肯定していいものか……。


「図星ってところだな」


 沈黙が答えになってしまったようだ。

 それにしても、どうして谷崎さんにわかったのだろう。


「どうして?」

「同じだったから」

「同じ?」

「みんなの前で姫島さんを叱りつけた時と……つぐみ自身は気づいていないと思うけど、同じ仕草をしてたんだ」

「え……それってどんな?」


 全く覚えがない。きっと癖みたいなものだと思うけど、口をへの字にしたり、眉間に思いっきり皺を寄せたり……変顔の類のものだったらどうしよう。

 

「ゆっくりと天井を見上げて、ふっと息を吐いていた」


 思っていた以上に、何気ない仕草だったことにほっとした。

 でも……細かい。普通はそんなところ見ていないし、見たとしても忘れているでしょうよ。


「よく見ていらっしゃるというか……覚えらっしゃるというか」


 ため息混じりに返したら、谷崎さんは軽く笑った。


「印象的だったんだ。顔を下ろした時の悪役オーラが……」

「悪役って……でも、そこで空気が変わったんですよね。かわいそう姫島さん、柏原さんひどいって」

「ああ、見事なくらいにな。さっきまでバカみたいなことで言い争ってたのに」

「そこで、私のことを見直してくれた感じですか?」


 少なくても、大路さん相手のポイント稼ぎから印象は変わったはずだ。姫島さんのために敢えて悪役になる、人情味溢れる子だと思ってくれたかもしれない。期待して尋ねると、谷崎さんは答えにくそうに首を横に振った。そして、少し間を置いてこう言った。


「バカだと思った」

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