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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
46/64

第46話

「つぐみ……大丈夫か?」


 ……大丈夫なんかじゃない。自分の想像の遙か斜め上を行く展開に、頭がくらくらする。


「そりゃ……わかりますよね」


 かろうじて出せた声は、自分でもわかるくらい情けなげで弱々しいものだった。谷崎さんは何も言わず首を縦に振った。


「お見苦しいものを見せてしまったみたいで……すみません。不快な気分になりましたよね」

「いや、不快と言うより居たたまれなくなった」

「居たたまれない?」

「良心の呵責に苛まれたというか。好きな奴が結婚するって告げられただけでもキツいのに、そいつの部署に異動しろって……最悪だろう?」

「そうですね……あの日は最悪な日でした」

「大路が結婚するのは俺のせいじゃないけど、異動は俺の意向が絡んでいるからな。可哀想なことをしたとは思った。だが、会社は仕事をする場であって、恋愛をする場ではないからな。つぐみの気持ちを知ったところで、異動を撤回するつもりもなかった」

「……でしょうね」

「それでも罪悪感にかられてしょうがなかった。だからつぐみの涙を見た後、何も買わずに逃げるように休憩室を後にした。見られたくなかったと思うが、すまなかった」

「いえ……こちらこそ」


 それしか言えない。

 日記に書いてあった、大路さんの披露宴の日にやらかしちゃった件と同じくらいの衝撃だ。

 私は谷崎さんの前でどれだけの失態を演じてきたのだろう。考えるだけで気が遠くなりそうだ。色々な意味でこの人には敵わないし、一生頭が上がらない。

 恥ずかしいやら、申し訳ないやら……逃げはしないけど潜りたい気分だ。

 まあ、ダメなところをたくさん見られているからこそ、気負わずに自由に羽根を伸ばしていた面もあるのかも……そういう意味では、この人は私にとって最適の相手なのかも。


 だけど……。


「谷崎さんはどうして私を選んだんですか? 不器用なところがいいと言っても、度を超えてるし……自分で言うなって話ですけど、谷崎さんには、もっと素敵な人がいたのでは?」


 谷崎さんはさっき、自分をまた想ってくれるか不安みたいなことを言っていたけど、逆でしょって思う。

 確かに椎名さんや大路さんのように美形って感じではないけど、谷崎さんもそれなりに整った顔立ちをしている。背だって高いし、最年少で課長になるほど優秀な人だ。それに人柄だっていい。

 私より谷崎さんの方が絶対にモテるはずだ。

 自分を卑下するつもりはないけど、私が谷崎さんだったら……もっと可愛らしかったり、清楚な人を選ぶ。少なくても柏原つぐみは選択肢の中に入れたりしない。


「過去の話だから言うけど、つぐみと出会う前に相手はいた。結婚を考えないでもなかったけど……振られた」

「えっ 何で? もったいない」


 思わず口に出したら、谷崎さんは口を尖らせた。


「俺が彼女と結婚すれば良かった?」

「それは嫌です」

「じゃあ何でもったいないなんだ? そこは、よかったと言うところじゃないのか」

「だって、私がその相手だったら……絶対に離さないって思ったから」


 谷崎さんがニヤリとしたのがわかった。もしかして、この件のやり取りって誘導された?


「情熱的なフォローをありがとう」

「……っ」


 絶対に確信犯だ。

 さっきの不機嫌な感じも言わせるためのフリだ。……自分の単純さが嫌になる。まさか……こういう単純さが受けたとか? それは絶対に嫌だ。


「つぐみは離さないって言ってくれたけど、俺に振られる要素があった」

「彼女よりも仕事を優先した的な理由ですか?」


 それしか考えられない。

 谷崎さんと過ごした日々を思い返しても、短所が見つからない。


「それもあるけど……俺がドライ過ぎたんだ。それなりに相手を大事にしていたつもりだったけどね」

「ドライ?」


 ……ドライな人間があんなことをするのか?

 とツッコミそうになったけど、四月からのことを思い返してみたら、わかる気もした。

 谷崎さんは、記憶喪失の私に動揺を見せることなく、平然とした態度を取っていた。それは私のことを思ってのことだったけど、奥さんのことを愛していないから平気なんだと勘違いしたことがある。


「やっぱり……もったいないや」

「え?」

「確かに、谷崎さんは冷静だし淡々としているから、ドライに見えたかもしれない。でも、心の中には温かい想いをたくさん持っていて……そういうところに気づけなかったのかなって思ったら……」

「いや、それはない。つぐみに出会う前の俺は、本当にドライだったから。現に、私のこと大して好きじゃないでしょって別れを告げられても、動揺もしなければ胸も痛まなかった。自分は恋愛にうつつを抜かす人間じゃないんだ、って悟っただけだった」

「それは……ドライ過ぎだわ」

 

 淡々とした口調に思わず声が漏れた。私のこと大して好きじゃないでしょって、普通はグサリとくるセリフなのに。そんな台詞を口にするくらい、相手は谷崎さんのことを想っていたのに……何だか切なくなってきた。

 

「そうだろ?」

「でも……そんなドライな谷崎さんが何で私に? 今までの話を聞く限りだと、好きになる要素なんて全くないですよね」

「確かにな……」


 そう言うと谷崎さんは遠い目をした。


「打ち合わせの時の印象は悪かった」

「やっぱり」

「初対面で長いすの跡を笑った俺が悪いけどね……謝ってもフンって感じだったし。南から入れ知恵されたのか、姫島さんがやっていた以上の仕事はしませんって遠回しに言ってくるし。こっちは、つぐみの涙を見たせいで、タイミングを逃して飲まず食わずなのに……さすがにカチンときた」


 うわぁ。

 やっちゃったと思いつつも、あの時の私の心情を考えると、無理もない気がする。上手くいかない自分の人生、失恋、傷を抉るような異動……色々なことに苛ついていたに違いない。でも、それと新しい上司に失礼な態度を取るのは別の話だ。


「今更だけど、申し訳ありませんでした」

「いや、あの時のつぐみの状況を考えたら無理もない、それに俺もつぐみに嫌味を言ったから」

「嫌味?」


 谷崎さんとは縁がなさそうなワードに首を傾げる。不思議そうな顔をしている私に、谷崎さんは口角を上げ挑発するように言った。


「社会人一年目の姫島さんと、派遣社員とは言え、この会社に二年いる柏原さんの仕事が同レベルなわけないよな? しかも柏原さんは他の会社でも社会人してた訳でしょ。言わなくても、そんなことぐらい分かっていると思うけど──って」

「……それはお互い様ですね」

「だろ?」

 

 谷崎さんが教えてくれたことは、一部分だと思うけど、これだけであの日の打ち合わせが険悪なものだったとわかる。

 再現してくれた谷崎さんの物言いにイラッとしたのは確かだけど、そういうことを言われるくらい、私の態度が悪かったのだろう。


「本当は打ち合わせで打ち解ける予定だったんだけどね。異動してきてからも、南や大路には笑顔を見せるのに、俺には無表情でさ。褒めてもツーンとしてて、本当に可愛げがなかった。だけど、指示した仕事のクオリティーは高いし、会議の準備とかは俺が指示しなくても準備してくれて、課の業務効率が上がったから……文句は言えなかった。だけど、覇気がないというか。あの時の俺はつぐみの事情を知らなかったから、自分を低く見せている様子に苛立ってもいた」

「……それが二時間の壁の戦いに繋がるんですね」

「南に聞いたんだな。懐かしいな……どんな仕事を振っても指示した期限の二時間前に完成させるから、それを崩したくてやりたくなった。……今思えば、俺も必死だったんだな。決着は着かなかったけど」


 谷崎さんの話しぶりでどんな感じだったのか想像できた。あの頃は、時期的に広岡にやつあたりした時と重なるだろうから……相当荒れてたんだろう。


「必死にならなくても……。初めから谷崎さんの勝ちフラグしか見えないですよ。そんな時に姫島さんの件が起きたんですよね」

「……それも聞いたのか。ああ、その時だな。俺が柏原つぐみという人間に興味を持ったのは……」

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