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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
45/64

第45話

「えっと……」


 何か言わなきゃと思うけど、言葉が浮かんでこない。

 そうだ……谷崎さんは知っているんだった。私が大路さんと好きだった、と。

 南ちゃんにも教えてもらっていたし、さっき自分が話したことでもあるのに……色々あってすっかり頭の中から消えていた。

 否定したところで無意味だってわかっているけど……。


「あの……好きだったのは確かですけど、好きになりかけみたいな? 浅いやつなので。それに……あの頃の私には公認会計士試験の方が大切だったし。公認会計士になれたら、恋愛とか結婚とかどうでもいいって本気で思っていたし……」


 ……嘘っぽい。

 フォローになってない。

 言っていることは真実なのに動揺しているせいで、とても不自然に聞こえる。

 谷崎さんも無理して否定しなくていいぞ──みたいな顔で私を見てるし。

 こうなったら、開き直るしかない。

 浅かろうが深かろうが、長かろうが短かろうが、大路さんに好意を持っていたのは事実。それを今更消すことはできない。

 それに……どうして谷崎さんが私の気持ちを知っていたのか? そっちの方がおかしい。

 私には隠れて不倫できるような器用さはないかもしれない。だけど、職場における恋愛感情を抑えるのは得意だったはずだ。

 谷崎さんがずっと前から私のことを見ていて、それで私の秘めた恋心に気づいたとかなら納得できるけど、あの時の谷崎さんは仕事以外の私をよく知らなかったと言っていた。そう考えると辻褄が合わない。

 ……謎だ。

 病室で会った時の私が好きだったのは大路さんと言うってことは、かなり早い段階で谷崎さんは私の気持ちを知っていたってこと?

 でも、何で?

 私が自分からオープンにするとは考えにくい。ということは、自分からバレるような真似をしたってこと?

 切なげな顔で大路さんを見つめていたりしたのだろうか。……だったら、自己嫌悪だ。考えたって仕方がない。本人が隣にいるんだから教えてもらおう。


「あの……どうしてご存じだったんですか? ……その、大路さんのこと。私って恋愛感情ダダ漏れの顔で仕事をしてました?」

「いや、そんなことはない。常にキリッとした顔をしていた。……俺と付き合っていた時も、会社では恋人の顔を全く見せてくれなかったし」


 ちょっと拗ねたような言い方に苦笑したけど、ほっとした。そうだよね……夫婦感が漂わないって陰口を叩かれてたくらいだものね。そうじゃなかったらやり切れない。でも、そうなると疑問が深くなる。


「だったら……何で?」

「……」


 不思議に思いながら尋ねると、谷崎さんは少し考え込んだ。

 少しの沈黙の後、隣からもう時効だからいいか……と呟く声が聞こえて、谷崎さんが私の方を向いて口を開いた。


「つぐみは俺との始まりをあの日の午後イチだと思ってるよな?」

「はい。それまでにお話する機会はなかったですし」


 三年前のことを振り返ってみても、思い当たるふしがない。メールでやりとりくらいはしたかもしれないけど……。異動の話が出てくるまで、谷崎課長という存在は頭の中に無かった。


「確かにそうなんだけどね。俺の中では、つぐみよりちょっとだけ早く始まっていたんだ。これは記憶を失う前のつぐみも知らない。初めて話すことだけど……」


 ちょっとだけ早く? 

 妙な言い回しだ。今までの私も知らないって……それって裏を返せば、今まで敢えて伏せていたとも取れる。何だか心の奥の方がざわざわしてきた。


「どういうことですか?」

「それは……」


 嫌な予感を感じつつ質問すると、谷崎さんはあの日のことを教えてくれた。


 それは三年前の二月十三日の十三時前の休憩室での出来事。

 当初は、谷崎さんも打ち合わせに同席する予定だった。だけど、急に取引先に行かなくてはいけなくなり、やむを得ず欠席することになった。その代わり、午後イチで私との顔合わせを兼ねた打ち合わせを設定していた。

 だけど、取引先の対応に予想外に手間取ったらしく、谷崎さんが会社に戻って来れたのは、私との打ち合わせの十分前だったらしい。打ち合わせまでの短い時間の中で、飲み物でも買おうと谷崎さんは休憩室へ立ち寄った。

 そこで谷崎さんが目にしたものは、長いすで熟睡している一人の人間だった。


「……それが私ってことですよね」


 あの日の状況から考えて、私しかいないってわかっている。だけど、違っていて欲しいとささやかな願いを込めて聞いてみた。


「ああ。つぐみの姿を見て、思わず溜め息が零れたよ。こっちは昼も取らずに急いで帰社してきたのにって」


 呆れた表情で言われ、居たたまれなくなる。他のことならともかく、あの場で私が長いすに寝ころんで瞳を閉じたのは……今の私の意思だ。


「申し訳ございませんでした」


 多分、ギリギリまで起きないつもりだったんだ。あの日のやさぐれ度合いから考えると、休憩室からそのまま会議室に行けばいいと思ってような気さえする。正直、谷崎課長との面談なんてどうでもよかったし。


「いや……初めはいい気なものだなって思ったけど、つぐみの寝顔を見ていたら何も言えなくなった」


 気持ちよさように眠っていた、とか。

 寝顔がとても可愛くて頭から離れなかった、とか。

 そこから恋が生まれるという展開にならないのは、気まずそうな谷崎さんの顔を見て悟った。


「……どんな寝顔だったんですか?」


 恐る恐る聞いてみる。


「……思いっきり眉間に皺を寄せてた。お前は何と戦っているんだ? と尋ねたくなるほど」

「……何と戦ってたんでしょうね」


 谷崎さんが教えてくれた惨状に乾いた笑いしか出てこない。何となくだけど、谷崎さんは抑えめに言ってくれている気がする。きっと谷崎さんの脳裏に映るその時の私は、私が想像しているより何倍もひどい顔をしているに違いない」


「本当にな……このままだと眉間に深い皺が刻まれそうで心配になった。指でシワを伸ばしてやりたい衝動にかられたけど、そんなことはできないだろ」

「……でしょうね」


 今ならまだしも、あの頃ならセクハラだ。


「どうしたものかと考えていたら、急にその皺が緩んでいったんだ。だが、よかったと思ったのもつかの間、今度は閉じられたままのつぐみの瞼から涙が流れてきた」

「えっ……涙?」


 眉間に皺を寄せたり、涙を流したりって……どんな夢を見たらそうなる?

 想像もつかない。病室で目覚める前の私は、何か不思議なものに包まれているみたいな感じで、どこかふわふわしていたけど幸せな気分で眠っていたのに。


「うん、泣いてた。そして……か細い声で“大路さん”って呟いた」

「……」


 谷崎さんの言葉に思いっきり頭を抱えた。

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