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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
43/64

第43話

 抱きしめられている。

 予想外の展開に私の体は反射的に逃げようとした。だけど、頭と背中をがっちり掴まれているせいで、身動きがとれない。なす術が無く、私は谷崎さんの肩口に顔を埋めている。

 私を力強く抱きしめる腕に、そこから伝わる谷崎さんの体温に私の胸は激しい鼓動を打ち続けている。

 それは胸だけに留まらず、頭からつま先へと体中に広がっていく。まるで体の全てが心臓になったみたいに。

 まずい。

 頭がぼんやりしてきた。谷崎さんのことを拒む気はないけれど、このままでいたら溺れてしまう。


「ちょっ……谷崎さんっ、苦しい」


 息も絶え絶えに伝えた。

 すると、私を捕らえる腕の力が緩んだ。これで楽になれるとほっとしたのもつかの間、谷崎さんの顔が私の顔の方に近づいてきた。


「ごめん。だが、つぐみが悪い」

「え?」

「つくみが俺を煽るから」


 私に反応する隙を与えないように、谷崎さんは私の耳元で次々と囁いてくる。

 その声は妙に甘くて、艶っぽくて……容赦なく私を蕩けさせていく。


「こっちは必死で抑えようとしていたのに、つぐみがあんまり可愛くて嬉しいことを言うから……制御できなくなった。一体、どうしてくれるんだ?」

「……っ」


 さっきの反撃か。

 不意打ちの可愛いと耳元に感じる谷崎さんの吐息に、自分の体が急激に熱を持っていくのがわかる。

 きっと今の私は、顔だけじゃなくて全身を真っ赤にさせているに違いない。

 抱きしめられているだけなのに、頭はのぼせ上がり、冷静さや理性を失っていく。その反面、谷崎さんはどこかこの状況を楽しんでいるように思える。


「さっきの言葉だけど……」

「……聞こえなかったから、もう一度……は、ナシ……です」


 途切れ途切れになりながらも、何とか先手を打った。

 自分でも情けないと思うし、面と向かって愛していると告げてくれた谷崎さんにしてみれば、物足りないだろうと思う。だけど、さっきのあれですら沸騰しそうだったのだ。この状態でもう一度なんて言われたら……確実に蒸発する。

 言葉は足りないかもしれないけど、谷崎さんと同じ分だけ気持ちは詰まっている。そこは雰囲気で察して欲しい。


「ふっ」


 谷崎さんの肩がくっと動いた。顔が谷崎さんの肩口に埋まっているせいで、表情はわからないけど、私の言葉に笑っているのだとわかる。


「それは残念だ」


 そうは言うけれど、その声音は明らかに弾んでいた。きっと楽しんでいる。

 今の谷崎さんはちょっと意地悪で……私の知っている谷崎さんとは違う。私はそんな谷崎さんに翻弄させられている。


「わかった。じゃあ、一つだけ教えて」


 そう言って谷崎さんは、抱きしめていた私の体を離し、私と向き合う姿勢をとった。

 一体何を言い出す気だ──と警戒する私に谷崎さんは苦笑しながら、大丈夫だよと目で合図してきた。

 少しの沈黙の後、私の目を見て谷崎さんはゆっくりと口を開いた。


「俺と同じところにつぐみの気持ちがあるって、思っていい?」

「……」


 当たり前なことを聞かれ、拍子抜けしたけれど、谷崎さんの表情を目にした途端、胸が締めつけられた。

 優しく微笑んでいる顔だけど、そこには喜びや期待という明るい感情だけじゃなくて、悲しさや寂しさや不安という悲しい感情も滲んでいるように見えた。

 この三ヶ月間、複雑な思いを味わったのは私だけじゃない。

 改めてそう思った。

 この人は弱音を見せることなく、耐えてきた人なんだ。

 いつもと違うちょっと意地悪な雰囲気は、谷崎さんなりの強がりなのかもしれない。

 一言で言い表せない谷崎さんの深い表情に、色々なものがこみ上げてきた。はいと言えばいいことなのに、喉が震えて声になりそうにない。

 だけど、きちんと伝えたい。

 言葉にできない代わりに、私は谷崎さんの目をじっと見つめて、精一杯の笑顔を作り、しっかりと頷いた。

 谷崎さんは一瞬泣きそうな顔をした後、天井を仰いだ。伝わったかと不安になったけれど、谷崎さんの口元には笑みが浮かんでいた。

 少しの間、上を見ていた谷崎さんは、顔を下ろすなり、心から喜んでいる顔をして私を見つめた。


「ありがとう」


 そう言われた後、また体を引き寄せられた。


「もう少しだけ……このままでいさせて」


 さっきとは違って、私の背中に触れる手が微かに震えていた。

 いや……私が気づかなかっただけで、それまでも震えていたのかもしれない。私を捕らえる腕の強さは、無意識のうちの不安の表れのような気がする。

 事故の日から今日まで、谷崎さんはどんな思いをして過ごしてきたのだろう。そして……どれだけ傷ついてきたのだろう。大半の傷は私がつけてしまったものだ。

 どれだけ考えても、谷崎さんが味わってきた思いを全て知ることはてきないし、傷を消すこともできない。

 今の私にできることは、ただ一つ。

 もう大丈夫だよ──そう伝えるように、谷崎さんの背中に腕を回しそっと触れた。


「……」


 谷崎さんは何も言わなかった。代わりに谷崎さんの肩がぴくっと動いた。その後、私の手に反応するみたいにぎゅっと谷崎さんの腕に力が籠もっていく。

 胸の鼓動は治まる気配がないし、体は熱を持ったままだ。

 だけど、谷崎さんの腕の中はとても心地良くて、私の中の欠けていたピースをじわじわと埋めていく。それは少しくすぐったかったけど、私を満ち足りた気分にさせていく。

 幸せな気持ちのまま瞳を閉じて、谷崎さんの肩に顔を預けた。

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