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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
3/64

第3話

 大路さんが結婚。そして、授かり婚。

 ……ダメだ。頭が働かない。

 ぽかんとしている私を大路さんと姫島さんは、どこか気まずそうに見つめている。

 そんな視線の中で、私は働かない頭を強引に動かして考える

 授かるって何を? 証書とか名誉?

 ……あれ? そう言えば、最近できちゃった婚のことをそう呼ぶって誰かが言ってた気がする。要するに赤ちゃんを授かったってことか。なるほどね。

 ……ちょっと待て。できちゃった婚?

 大路さんが?

 よりによって姫島さんと? 

 固まっていた頭が動き出した途端、胸がちりちりと痛くなってきた。頭の上に冷水をぶっ掛けられたみたい。さっきまであんなに浮かれていたのに、一気に気持ちが沈んでいく。


「はぁ。そうですか」


 もっと気が利いた言葉があるだろうに、私の口から出せたのは間の抜けた返事だった。

 それにしても、この発表に何の意味があるのだろう?

 私の気持ちを知っての嫌がらせ? 諦めろ的な? それとも何かのドッキリ企画みたいに、私の反応を楽しんでいるとか? だったら早く「嘘でーす」って飛び込んできて!

 ……バカじゃないかって? 自分でもそう思う。けれど、くだらないことでも考えていないとこの場を乗り切れそうにない。

 私の動揺などお構いなしに部長は淡々と話を続けている。

 姫島さんは仕事を続けたいと思っていて、会社としてもそれを尊重したいこと、産休と育児休暇を取る予定らしい。

 入社一年目の社員に随分とお優しいことで……。

 部長の説明に、思わず心の中で毒づく。

 私の前任者の派遣契約は、妊娠した途端に打ち切ったくせに。でもそのおかげで私が働けているのだから、文句は言えない。


「これからの話なんだが、夫婦で同じ部署にいるのは良くなくてね。社内結婚の場合、ほぼ女性社員が異動することになる。今回も姫島さんが異動するんだけどね」

「ええ」


 それはわかる。大路さんは市場開発課にとって、なくてはならない人だ。一方、姫島さんはというと……扱いに困っていると聞いていた。

 やる気はあるけど仕事ができないっていうタイプの姫島さん。私も姫島さんとは時々、データのやりとりで絡んでいたけど、一回で済んだ試しが無かった。このデータでお願いしますというその十分後に、やっぱりこっちのデータでとというリテイクが三回くらいあって、イライラさせられることがあった。

 市場開発課にとっては、結婚も姫島さんがいなくなるのもおめでたいことなのかもしれない。


「で、ここからが本題なんだが……。今の時期って微妙でね。人事にも掛け合ったんだが、ちょうどいい部署がないんだ。やむを得ず、技術営業支援課に異動ということにしようと思う。それで柏原さんには大変申し訳ないんだが……」


 部長が私の様子を探りながら、話そうとしている。その表情で私は、自分が呼び出された理由を漸く悟った。

 ──契約終了。

 二人が結婚するって聞いた時点で予測できたことなのに、ここまで気づかなかったなんて、自分の頭の鈍さに呆れてしまう。

 本来なら派遣会社を通して、契約終了って言えばいいけど、理由が社員同士のできちゃった婚だもんね。一応、誠意として事情を説明してくれたのか。

 ちらりと大路さんと姫島さんの方に視線を向ける。二人共、神妙そうな顔しちゃって。

 まあ、自分たちの結婚で一人の人間が路頭に迷うものね。それでニコニコしてたら人として最低だわ。


「ええ」


 ゆっくりと息を吸って吐き、これからの不安を察知しバクバクしている心臓を落ち着かせた。

 大丈夫……覚悟はできた。クビでも用なしでも、好きなように仰って下さい。そんな思いを込めて、部長を見つめた。


「来月から市場開発課に行ってくれないか」

「は?」


 予想の斜め上を行く部長の言葉に私の頭は再びフリーズした。

 異動……私が市場開発課に。

 これは何かの罰ゲーム?

 好きになりかけてた相手ができちゃった婚すると知らされ、失恋したばかりの私に、同じフロアで毎日顔を合わせて働けと? 大路さんは営業だから外に出ていることが多いけどさ。

 気になる人との距離が縮まるチャンスってこれ? 確かに当たってる。でも、ちっとも嬉しくない。


「柏原さんは冷静だね。もっと驚くかと思ったよ。で、どうかな?」


 いや、全然、冷静なんかじゃありませんけど?

 ショックで何も反応できないだけだ。どうって言われても、嫌だとしか言いようがない。

 大体、異動なら社員同士でやればいいのに。派遣社員の私を巻き込まないで頂きたい。


「いえ、冷静というか……ただ、驚いているだけでして。お話は理解したのですが、私は派遣社員なので社員の方がやられている仕事と変わるのは権限等の問題があるかと思うのですが……」


 そこそこ頭の切れる部長のことだから、この辺りの根回しはやってそうだし、無駄だと思うけど聞いてみる。 


「いや、それは問題ない。柏原さんの仕事と姫島さんの仕事は、庶務と課長のアシスタント的業務だからね。違いはほとんど無い。強いて言うなら、佐々木課長の課の方が仕事の分量がちょっと少ないか……その分姫島さんに楽だろう。柏原さんの派遣会社の方にも連絡したが、柏原さんの了解が得られれば問題ないそうだ」


 ちっ、派遣会社にまで連絡してたか。派遣会社に泣きついたところでどうにもならないか。

 それにしても、姫島さんに楽って……。私ってそんなに楽な仕事をしてるって思われてるわけ? 確かに残業せずに帰っているけど、残業しなくていいように自分なりに効率的に仕事をしている。楽って言うのなら、前任者をギリギリまで働かせてあげれば良かったのに。


「そうですか……」

「まあ、最初は戸惑うと思うが、仕事をする場所が変わるだけだと思ってくれればいい。仕事の量は若干増えると思うが、柏原さんなら大丈夫だろう。市場開発課の谷崎やざき課長もフォローすると言っているので、どうだろう……引き受けてもらえないか」

 

 威圧的な物言いではないけれど、断ったら契約終了と部長の顔には書いてある。

 お断りします──って言いたい。でも無理。現実的に考えて、これから新しい職場を探したりするのはどう考えたって不利だ。今は本当に派遣の案件が無いと聞くし、職探しに時間や神経を使っている余裕はない。


「承知致しました」


 試験がなかったら断れたのに……苦々しい気持ちを抑えながら、短く答えた。


「ああ、申し訳ない。そう言えば、柏原さんは谷崎と面識あったかな?」

「いえ、直接お話ししたことはないかと……」

「そうか。本当はこの場で谷崎を紹介する予定だったんだが、どうしてもはずせない客先との商談が入ってしまってね」

「ええ」


 それが何? 谷崎課長の予定なんてこっちはどうでもいい。それよりもさっさとこの場から立ち去りたい。


「だが、早急に柏原さんと打ち合わせをしたいらしくてね。重ね重ね申し訳ないんだが、十三時にまたここに来てくれるかな?」

「はい、承知致しました」


 午後イチとはまた面倒くさい。明日でもいいのに……。


「本当に申し訳ない。あと、大丈夫だとは思うが、この件は技術営業支援課の人間にはまだ内密に……」


 言わないし口にしたくもない。まあ、うちの課の女性社員達が知ったら、大騒ぎになるだろうな。


 こうして衝撃の打ち合わせは幕を閉じた。

 ああ、疲れた。時間にして三十分くらいだったけど、一日働いてクタクタって感じ。

 今日の占いは何だったんだ。ちっともツイている日じゃない。


 部長と課長が会議室を去った後、申し訳なさそうな顔をした大路さんと姫島さんが私の方に来た。

 ああ、王子様とお姫様って感じだわ。

 一八〇センチを超えた長身、サラサラの髪、俳優さんかと思うほど綺麗で整った顔立ち、いつも優しい微笑みを浮かべている大路さん。王子ってあだ名にふさわしい人。

 そして、姫島さん。ふわふわの髪に卵型の余計な肉がない顔、大きな瞳と柔らかそうな唇、桃みたいに形が良くて大きな胸。仕事はできないかもしれないけど、一生懸命で素直な性格だと聞いている。……私が男だったら絶対に惚れている。

 それに引き換え私は……気を抜くと爆発しそうなくせっ毛だわ、顔はパンパンだし、胸に至っては、まな板みたいだし。可愛さのかけらもない性格だし。

 なんか……好きになりかけてすみませんでしたって感じだ。

 こうして二人が並んでいるのを見ると、完璧だって思う。「王子と姫は結婚して幸せに暮らしました」ってアテレコしたいくらいに。


「柏原さん、迷惑をかけて申し訳ない。来月からよろしく」

「申し訳ありません。よろしくお願いします」


 二人が私に頭を下げている。何だろう……この微妙な空気。原因は二人の結婚なのに、まるで私が悪いことをしている魔女みたいだ。毒も呪いも持ってないのにね。


「いえ、おめでたいことなんですから、お気になさらないで下さい。ご結婚おめでとうございます。私の方こそ来月からご迷惑をお掛けするかと思いますが、よろしくお願いします」


 精一杯の社交辞令で返したら、二人は安心したように笑顔を浮かべた。

 遠くから眺めていただけだった大路さんの微笑みがこんなに近くにあるのに……悲しい。

 ショックだし、痛い。

 だけど、妙に納得もしていて諦めもついている。多分、好きになりかけの段階だったからだ。この失恋の傷は浅い。

 それにこれからは試験にだけ集中できる。

 公認会計士試験に合格したら、私はこの会社を去ることになる。仕事に関しては何の未練もないけれど、大路さんに会えなくなるのは寂しいと心の片隅で思っていた。けれど、その思いは完全に消えた。試験に合格してさっさと辞めよう。ちょっとだけ強引に自分にそう言い聞かせた。


 自席に戻ったら、誰もいなかった。時計を見ると、十二時をちょっと過ぎたところだ。お昼ごはんどうするかな?

 コンビニ……今の時間は激込みだ。十三時からの打ち合わせを考えると、買い物する時間がもったいない。

 机の引き出しの中にあるのは、昨日食べたのと同じカップラーメンだけだ。……仕方がない。ため息をつき、引き出しを開け一つだけ残っているカップラーメンを取り出し、休憩室へ向かった。

 休憩室はいつもより空いている。

 そう言えば、ビルの食堂がバレンタインフェアとかでチョコレートマウンテンを設置しているって、社員達がはしゃいでいたっけ? 昨日まではちょっとだけ興味があったけど、今は全く興味をそそられない。

 カップラーメンにお湯を注ぎ、いつも座っている窓際の席に向かうと接客がいた。手を振りながら私を迎えてくれる。


「お疲れさま……その顔は聞きましたって顔だね。来月からよろしく」


 ニコニコと私に話しかけてきたのは、南ちゃん──市場開発課の南楓みなみかえでさん。私の一つ年上で、課は違うけれど合同の仕事をきっかけに仲良くさせてもらっている。

 すごく仕事ができる人だけど、厳しい人でもあるのでうちの課の人達は恐れていたりする。南ちゃんに聞かないとわからないことがある時は私に「南さんに問い合わせてくれない?」と頼んでくるくらいに。でも、私にとってはこの会社で数少ない尊敬できる人だ。


「南ちゃーん」


 南ちゃんの向かいに座るなり、私は泣きついた。


「てか知ってたの?」

「いーや、今日知った。まさか王子が選んだ人が姫島とはね。まあ、お似合いと言えばそうなんだけど、つまんないチョイスだよね。でも他の部署の悲鳴が楽しみだわ。あんたの部署なんてすごいことになりそう」


 確かに……一日中、その話題で仕事しなさそう。きっと、姫島さんの悪口のオンパレードだろうな。想像するだけでも気が重い。


「他人事だと思って……」


 恨めしそうに南ちゃんを見つめる私に、南ちゃんはケロリと笑う。


「だって、他人事だし。いいじゃん、つぐみにとっても他人事になるんだからさ」

「よくないよ。何が嬉しくて失恋したばかりの相手の部署に異動なわけ?」

「さあね? でも、うちの課的には今回の話は大歓迎だよ。技術営業支援課の使えない社員が来ても迷惑だし」


 相変わらず、うちの課には手厳しい。今までは違う課だったから、南ちゃんとも仲良くやれてたけど、一緒の部署となると今まで通りではいられないかもしれない。色んな意味で戦々恐々だ。

 どんよりとした顔でカップラーメンを待っている私に、南ちゃんはこれでも食べて元気だしなとチョコをくれた。


「まあ、王子のことは諦めな。傷は浅いでしょ? 次だ、次! でも、つぐみの場合は試験か?」

「うん、試験に集中しろってことだと思う。公認会計士を目指すのは今年が最後だからね」

「前々から思ってたんだけど何で今年が最後な訳? 公認会計士って年齢制限の縛りってあった?」

「元々、三回って決めてたから。難しい試験である以上、ある程度で諦めは必要だと思ったんだ。それにこんなしんどい勉強、三回までしかやってられないよ」

「それもそうだね。次への目標へ進める内に方向転換は大事だね」

「そう言えば、谷崎課長ってどんな人? 午後から打ち合わせするんだけど」

「あれ? うちの課に来た時に顔見てない?」

「それが、大路さんと南ちゃんの顔ぐらいしか認識してなくてさ……」

「ほんとに必要ないことには記憶を使わない子だね。この子は」


 苦笑しながらも、南ちゃんは谷崎課長のことを話してくれた。谷崎課長は三十三歳。去年の十月に課長に昇進したそうだ。大路さんのような華やかさは無いけれど、何気に実績を残している切れ者らしい。カップラーメンを啜りながら、南ちゃんの話を聞いていたけど、頭に残ったのはこれくらい。どこの大学出身とかは、笑っちゃうくらいに右から左へと通り抜けていった。自分で尋ねておきながら勝手だと思うけど、私にとって重要なのは仕事がどうなるかなんだ。


「大体、わかった。ねえ、姫島さんと私の仕事って変わらないって聞いたんだけど本当? 仕事増えたりするかな?」

「どうだろう? 姫島は課長のアシスタントだけど、姫島がああだったから、谷崎課長は庶務しかさせてなかったからな。本当は教育しなきゃいけなかったんだけど、うちの課ってそんな余裕なくてさ……。だから、姫島の仕事を引き継ぐって意味では増えないと思う」

「そうなんだ。ちょっとほっとした。さすがに残業が増えるのは今は勘弁だよ」


 そう言うと、南ちゃんは少し考え込んだ。まずかったかな? やる気が無いって思われちゃったかな?


「ごめん、いい気しないよね」

「ううん、そうじゃなくて……ちょっとね。こんなこと言ったらダメだけど、谷崎課長って仕事のできる人に仕事を回すタイプだから、つぐみは抑え気味に仕事した方がいいかも?」

「えっ?」

「ごめん、今の聞き流して。午後から外出だから、先に戻るね」


 そう言って、南ちゃんは休憩室を出ていった。


「抑え気味に仕事ってどういう意味?」


 一人残された休憩室で呟いてみたけど、答えは返ってこない。でも今まで通り淡々と仕事をしていくしか無いと思う。

 お昼を食べ終え、時計を見ると十二時半だった。頭の中がぐちゃぐちゃだ。こういう時は寝るに限る。十二時五十分頃に起きれるように携帯電話のアラームを手早く設定し、窓を眺めた。

 窓越しに東京タワーが見える二十階のオフィスは見晴らしがいい。

 けれど、現在向かいに同じ階数のビルを建設中だ。タワークレーンも二十階の高さまで迫っていている。新しいビルが完成したらここから東京タワーは見えなくなる。

 きっとその頃には、大路さんへの淡い気持ちは消えてるはず──そんなことを思いながら、長いすに寝転がり瞳を閉じた。

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