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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
25/64

第25話

 私がスルーしても技術営業支援課を助けた?

 それってつまり……。


「私の決断は無意味だったってこと?」


 明かされた事実に、自分でもびっくりするくらい低い声が出た。

 その時の私と今の私は違う。

 でも、わかる。

 その時の私が短い時間の中でどれだけ葛藤したか、どんな覚悟でそれを受け入れたか。他人から見れば大げさかもしれないけど、柏原つぐみ的には苦渋の決断だったに違いない。

 それなのに……私をバカにするにも程がある。


「ごめん……言い方が悪かった。つぐみがどうしようが、助ける義務があったの方が正しい」

「は? 佐々木課長には冷たい言い方したくせに? 可愛い部下にはいい顔していたいってこと?」


 怒りを孕んだ声に南ちゃんがフォローを入れてきたけど、私には通じない。


「ちょっと落ち着こう。喉乾いたから飲み物取ってくる。ちょっと待ってて」


 そう言われて、今まで南ちゃん何も飲んでいないことに気がついた。

 ダメだ……私。

 自分だけビールを飲んでたなんて……最低。ビールを飲めなくても、飲み物大丈夫? くらい声をかけられたのに。

 数分後、南ちゃんはペリエの瓶と二つのグラスを抱えて戻ってきた。


「ああ、これ? 何かスッキリするもの飲みたくなって。よかったらつぐみも付き合って」


 そう言って、南ちゃんはグラスにペリエを注ぎ始めた。

 この家の冷蔵庫にペリエ……不思議だ。私が知っているこの家の冷蔵庫には、百円以内のどこかの天然水の大きなペットボトルとビールと野菜ジュースくらいしか入っていなかった。

 住む人が変われば、家にあるものだって変わる。当たり前のことなのに、何だか感慨深く感じてしまう。

 グラスをカチンと合わせて乾杯し、グラスに口を付ける。

 口の中がジュワジュワーッとしてくる。普段は炭酸水なんて飲まないから、何だか新鮮。怒りモードだった頭が落ち着いていく。毒気を抜かれてみたいな感じ? そんな私をちらりと見て、探るように南ちゃんが聞いてきた。


「あのさ……つぐみから見て、あの頃の姫島ってどうだった?」


 あの頃? ああ、チェンジの直前あたりのことか。どうかと聞かれたら……。


「仕事ができない子」

「即答か……」


 少しだけ落ち込んでいるような声にちょっとだけ罪悪感を感じる。同じ部署にいたんだから南ちゃんにとって、姫島さんは可愛い後輩なのかもしれない。

 でも、それしか言いようがなかった。


「今更なんだけど、姫島と絡む時ってイライラしたりした? つぐみってその手の愚痴とか言ってくれなかったからさ」


 そうだっけ? そう言われて、自分の中の記憶を辿ってみる。昔の話なんだろうけど、今の私にとってはつい最近の話みたいなものなので、容易に思い出せる。


「初めの頃はイライラしてたよ。でもさ、そういうものだって思うようになったら、気にならなくなった。ただ、会社のことは軽蔑してた」

「どんな風に?」

「この会社には、社員教育って言葉はないのかって」


 能力とか新入社員だからって言われればそれまでだけど、姫島さんに対して市場開発課の人達は無関心じゃないかって薄々思っていた。私が社会人一年目の時に椎名さんにビシビシ鍛えてもらったから、余計にそう思ったのかもしれない。


「そうなのよね……」


 伏し目がちに呟き、南ちゃんは市場開発課の事情を教えてくれた。

 姫島さんが入社した当時、市場開発課は新設されたばかりでバタバタしていて、新入社員の教育をしている余裕なんて無かったそうだ。そんな部署に新入社員を配属するなって思うけど、上が決めた人事に文句を言えなかった。

 課長のアシスタントというポジションだったから、当時の課長が仕事を教えていたらしい。けれど、理解力がイマイチで……姫島さんには庶務や簡単な仕事を徹底させるようになったそうだ。

 そうして十月になり、谷崎さんが市場開発課の課長に就任した。谷崎さんなりに姫島さんのことを何とかしようとしていたけれど、リーマンショックの対応に追われてあっという間に二月になってしまった。漸く道筋が見えてきて、谷崎さん自身にも余裕ができて姫島さんの教育を、と考えるようになった。南ちゃんにも協力して欲しいと相談していた。

 そんな矢先のできちゃった婚。

 姫島さんが異動することは決まっていたけど、異動先を選ぶのに谷崎さんは苦労したらしい。

 谷崎さんが報告を受けた時は、四月の人事異動の多くが決まっていた時期だったらしく、アシスタント的な仕事のポジションは埋まってしまっていた。

 空いていたのは、残業が多い部署の仕事ばかり。当然、妊娠中の姫島さんには難しかった。そんな中で出てきたのが技術営業支援課だった。所属している部は同じだけど、フロアも課も違うから問題ないらしい。そう言えば、谷崎つぐみさんもそうだ。

 色々と問題がある部署だけど、残業もなく仕事の量的には大丈夫だろうと谷崎さんは判断した。


「技術営業支援課に異動させた責任を感じてるってこと? そのせいで色々押し付けられたから?」

「ちょっと違うかな。姫島は頼まれて嬉しがってたから」


 確かに……頼られて嬉しいと南ちゃんに言っていたってことは、裏を返せば「前の場所では頼られなくて悲しかった」ってことかもしれない。だから、押し付けられる仕事を断れなかった?

 そんな状況を作ったのは……。


「市場開発課での日々が原因?」

「そう。もっと姫島に経験積ませていれば、あんなことにはならなかった。少なくても仕事の優先順位くらいつけられたでしょうよ。これに関しては、市場開発課の人間として私も責任を感じてる」


 大路さんや南ちゃんから聞く姫島さんの話や、仕事を頼みやすいって姫島さんのことをベタ褒めする佐々木課長を見て、谷崎さんは心配していたらしい。

 自分の担当外の余計な仕事を押し付けられているんじゃないか?

 自分のキャパ以上の仕事を引き受けてるんじゃないか? 

 あんまり無理をさせてくれるなと佐々木課長には言っていたらしいけど、他所の部署に強く口出しするわけにもいかず……。あの事件が起きてしまった。


「だったら、最初から助けてあげればよかったのに」

「谷崎さんなりに思うところがあったんでしょ。冷たい言い方するくらいには怒ってたと思うよ」

「姫島さんに余計な仕事を押し付けるような状況を作ったから?」

「それもあるけど……つぐみのこともね」

「は? どうして、そこで私が出てくるの」

「あれが起こる前にね、佐々木課長と雑談してたらしいんだけど、そこでつぐみのことバカにされてムカついてたみたいよ。そんな奴につぐみが素直に協力するのも面白くなかったんじゃない?」

「……」


 何と言えばいいのか……。

 佐々木課長が私のことを大して評価してくれていないのは知っていた。見やすいように、作業しやすいようにって工夫して資料を作っても気づいてもらったことなんて無かったし。そういうのを見ていてくれたのは山路さんだったんだよね。

 でも私も私で、余計な仕事は任せてくれるなってオーラ出しまくってたし、時間が来たら速攻帰ってたから、どう思われようが気にもしなかった。

 だから、谷崎さんがムカつくことなんてないのに。


「……それで、谷崎さんは私に技術営業支援課を助けるなら残業させるって言ったってこと?」

「私はそう踏んでる」

「子供か……」

「そう言わないで。谷崎さん、つぐみが公認会計士を目指してるって知った時はメチャクチャ落ち込んだんだから」

「え? 何で知ったの?」


 結婚するような間柄になってからならともかく、その段階で谷崎さんに知られるって冗談じゃない。

 公認会計士を目指しているなんて、会社では南ちゃんくらいにしか言ってなかったのに。南ちゃんが言うような人じゃないのはわかっているけど。

 まさか、自分で公認会計士を目指しているので、業務量増やさないで下さいって懇願したとか? 


「電車の中で公認会計士のテキストを睨んでいるつぐみを見かけたんだって。で、自分がつぐみに言った条件の残酷さを知ったって」


 ありがちな偶然で、私が公認会計士を目指してると谷崎さんが知ったのは、事件から一ヶ月ぐらい経った頃のこと。

 公認会計士試験は難易度が高い。けれど、医者や弁護士みたいにクローズアップされることが少ないので、どれくらいの勉強量が必要かとかは知られていない。

 でも、谷崎さんはそれを知っていた。


「へえ。谷崎さんって物知りなんだね」

「聞いてないの? お兄さんが公認会計士だって」


 谷崎さんが三人兄弟の真ん中で、お兄さんと弟さんがいるという話は聞いていた。けれど、何をしているかなんて気にしたこともなかった。

 南ちゃんは初耳という顔をしている私に呆れながらも、お兄さんが膨大な勉強量をこなしているのを間近で見ていたから、谷崎さんはその大変さを知っていたと教えてくれた。だから、私に対して罪悪感を持ったらしい。かと言って、業務量を減らすという訳にもいかず、南ちゃんに相談してきたそうだ。

 南ちゃんは谷崎さんにこうアドバイスしたそうだ。


「悪いと思っているなら、夕飯でも奢ってあげたらいいのでは? あの子荒んだ食生活送っているから」


 谷崎さんはそのアドバイスに従ったらしい。


「谷崎さんの言ってた、残業させちゃったから飯奢らせろってこれがキッカケ?」

「そうかもね」


 ふふっと南ちゃんは笑うけど、こっちは笑えない。


「……余計なことを」

「でも、事実でしょ? 昼はカップラーメン、夜は白飯だけで十分なんて言う人間の食生活が豊かと言えと?」

「……」

「面白い顔しちゃって。いいじゃない。それで二人は幸せな結婚をしたんだから。さてと、そろそろ寝ようか」


 過去話をあれこれ聞いている内に、時計の針は十二時を過ぎていた。

 谷崎さんとキスをしたのはついさっきのような気がしたけど、もう昨日なんだ。そうやって過去が積み重なっていく。それと同時に思い出したい過去がどんどん遠ざかって行く。焦ってもしょうがないけど……。


「どうしたらいいんだろう……」 

「さあ? でも私がつぐみの立場だったら、日記を全部読む」

「あの闇ノートを? 冗談キツイ」

「いや、マジだから。中途半端に読んだからダメなんだよ。書いてあることを全部受け止めて、とことん落ち込んでそこからまた立ち直ればいい」


 私が好きな頑張れソングの歌詞に出てきそうな台詞を残して、南ちゃんは寝室へ消えて行った。

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