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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
22/64

第22話

「お疲れ。まあ、これでも飲んで。私は付き合えないけど」


 そう言って、南ちゃんが缶ビールを差し出してくれた。南ちゃんは授乳中で飲めないのに……と躊躇ったけど、遠慮するのも悪い気がしたので素直に頂くことにする。


「ありがとう。いただきます」


 プルトップを開け口をつける。いつもだったら勢いよく喉に流し込むけど、今日はそんな気分になれず、ちびちびと喉に流し込んでいく。

 今日のビールは、苦い。

 

 実家へ向かう電車の中で、兄や南ちゃんにどう言おうか、ぐるぐる考えたけど「ただいま」としか言えなかった。そんな私を兄や南ちゃんは「おかえり」と迎えてくれた。二人共、いい意味で無関心を装ってくれていた。

 どうやら私がマンションを出て行った後、谷崎さんが連絡しておいてくれたらしい。その気配りは、ありがたくて……少し痛い。

 私を見たら大泣きするだろうなあと心配していた蘭ちゃんは、意外なことにケロリとしていた。

「谷崎の匂いがしみついてるから、平気なんじゃねえ?」と兄がずれているようで鋭いことを言うので、ちょっと焦った。そんな兄は蘭ちゃんを寝かしつけ中。あんな兄でもパパしてるんだと思うと何だか微笑ましい。


「……飲んだね?」 


 私の喉がゴクリと動いたのを見て、南ちゃんが切り出した。その顔はニコっとしている。


「うん。ごめんね、南ちゃんは飲めないのに……」


 南ちゃんの表情は笑顔のまま。でも、何だ? この妙な威圧感は。笑っているけど、笑ってないというか……何が始まるの?


「じゃあ、吐け」

「は?」

「は? じゃない。何があったか白状しろってこと。あんたは授乳中で飲めないお義姉さんの前で、遠慮なくビールを飲んだでしょ? だったら、こっちも遠慮なく聞かせてもらうわ」

「そんな……無茶苦茶だよ」

「無茶なのはそっちでしょ? 谷崎さんから、色々やらかしたからしばらく置いてやってくれ──なんて、連絡もらって……こっちはどれだけ心配したか」

「それは……すみません」

「謝るなら言ってみ? どうしても言えないなら、無理強いはしないけど……。記憶のことは助けてあげられないけど、愚痴とか悩みくらいは聞けるよ?」

 

 言い方はあれだけど、南ちゃんなりに私のことを思ってくれているのがわかる。その優しさは友達からなのか、家族からなのかわからないけど、うるっときそうになる──とは言うものの、何をどこまで話せばいいのか。今日のことを説明するには、日記のことはもちろんタカノリのことも話さないといけない。

 そう考えると気が進まない。でも、色んな感情が混ざり合って散らかっている頭の中を整理するには、話してみた方がいいのかも。


「わかった。話す、話すから」

「よし」

「でも、不愉快な話だらけだからね。先に謝っておく。ごめんなさい」

「大丈夫よ。義姉として受け止めてあげるから」


 私は覚悟を決め、飲みかけの缶ビールを一気に呷り、手帳に書かれたタカノリのことや、日記のこと、休憩室でのやりとり、マンションでの出来事を話し始めた。


「何から突っ込めばいいのやら……。やっちゃったね」


 一通り話し終えた後、南ちゃんがそう呟いた。その表情から困惑しているのがよくわかる。やっぱりね……わかってましたよ。


「でしょ? 他人を妬んで暴言吐いたり、不倫したり、……だから言ったのに、不愉快だって」

 

「ちょっと待て、つぐみ」

「ん?」

「私がやっちゃったねって言ったのは、谷崎さんとのことよ。人間生きてれば、人を妬むこともある。暴言は褒められたことじゃないけど、もっとひどい暴言なんていくらでもある。不倫問題は……バカバカし過ぎて反応する気にもなれないわ」

「ちょっと! バカバカしいって、どういうこと?」


 しまった……ムキになって声が大きくなってしまった。蘭ちゃんの部屋に届いていなければいいけど。

 だけど、私が二週間の間、悩み苦しんでいたことをそんな風に言われるのは釈然としない。


「ありえないから」


 私の疑問を南ちゃんは瞬殺でばっさり斬った。


「ありえない?」

「そっ、ありえない」

「何でそう言い切れるの?」

「じゃあ聞くけど、つぐみは私に気づかれずに、不倫する自信ある?」

「それは……」


 南ちゃんの指摘に口籠ってしまう。確かに、そうなのだ。色々なことに鋭いこの人に隠れて不倫する自信なんてない。でも、大切な人のためなら……。


「ないよ。でもさ、好きで好きでたまらない相手のためなら、南ちゃんが相手でも騙し通そうとするよ。谷崎つぐみさんはそうだったかも知れないじゃない」


 私の反論に南ちゃんは、大きなため息をついた。


「三年後の自分を何だと思ってるわけ? 私から言わせてもらえば、三十歳の谷崎つぐみも、二十七歳の柏原つぐみ──今のつぐみも、大して変わらないから」


 大して変わらない? 私と谷崎つぐみさんが? 

 それって……。


「私が成長してないってこと?」

「そうじゃなくて……基本的なところが変わってないってことよ。つぐみって、恋愛に対しては逃げ腰だけど、それ以外のことには、真正面からぶつかるタイプでしょ。そこで痛かったり傷ついたりして成長していく──要は不器用?」

「……嬉しくない」

「まあ、すねないで。その不器用さに谷崎さんは惚れたんだから」

「え?」

「しまった……二人のことは口出ししないつもりだったのに。でも、これは……」


 ぽかんとしている私を尻目に、南ちゃんは一人で色々呟いてる。独り言というより、逡巡しているみたい。漸く考えが纏まったのか、切り出した。


「今からちょっと苦い話をするけど、いい?」

「苦い?」

「うん。つぐみの日記にも書いてある話かも」


 日記に書くほど? それって、つまり……嫌なこと?

 知りたくない。

 でも、そこにヒントがあるかもしれない。覚悟を決めて私はゆっくりと頷いた。

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