第13話
谷崎さんは不思議そうな顔で私を見ている。
「今日って定時帰りだったよな。何かトラブルでもあった?」
至極真っ当な疑問だ。定時退社したはずの人間が、管理職ミーティングで一時間遅く退社した人と同じ時間に改札を出たのだから。
「間違って終点まで行ってしまって……」
気まずさやら恥ずかしさで、小さな声でうつむき加減に谷崎さんの疑問に答える。
兄だったら、物凄くバカにするんだろうな。想像しただけでムカつく。谷崎さんは兄より遥かに大人だから、言葉には出さないだろうけど、呆れた顔をしてそうだ。そろりと視線を上げ、様子を窺う。
「そっか……」
谷崎さんは一言呟いただけだった。その表情はバカにするでも呆れるでもなく、とても優しげだ。
「戻って来たのにあれだけど、もう一度電車に乗る気ない?」
「え? どこまで行くんですか」
「会社の最寄り駅。せっかくだから、夕飯食って帰ろう。うまい中華料理食いたくない?」
「食いたい!」
うまい中華という言葉に、勢い良く返事を返してしまった。谷崎さんはニヤリとして、「じゃあ、決定」と言った。
「仕事復帰、お疲れ」
「お疲れ様です」
お互い言葉を掛け合い、カチンとジョッキを合わせる。久々に飲んだビールは、程よい疲労感もあって、私の喉をするりと通り抜けていく。
久しぶりのビールに舌鼓を打っていると、料理が次々と運ばれてくる。
谷崎さんが連れてきてくれたお店は、会社の近くの雑居ビルの一階にある、こじんまりとした中華料理屋さんだった。
狭い店内を有効利用するかのように、壁には黒板が掛けられ、たくさんのメニューが元気な文字で書かれている。
料理のチョイスは任せてという谷崎さんの言葉に従い、完全におまかせした。
春巻きに卵ときくらげの和え物、水餃子、チンゲンサイの塩炒め、それとと鶏肉がどかんと乗っかっているラーメン。どれもこれもボリュームがあって、おいしそう。
「この鶏そばがつぐみの一番のお気に入りだよ」
そっか、二人で来たことあるんだ。もしかしたら、思い出すかなって思ったのかな。だとしたら悪いけど……。あーやめやめ、おいしそうな料理が冷める。麺は熱い内に食え! なんだから。
「いただきます」
レンゲに麺を乗せ、スープをすくって口に運ぶ。
「っ!」
麺を口にした瞬間、思わず目がパカッと開いた。
「うまっ! 何これ? すごくおいしい」
私のお気に入りだという鶏そばは、想像の何倍もおいしい。夢中で麺を啜ってしまう。姫島さんのお弁当といい、ここの料理といい今日はおいしい食べ物に胃袋や心を鷲掴みにされる日なのか?
「やっぱりな」
谷崎さんは、そんな私を見て嬉しそうに笑っている。
「やっぱりって何ですか?」
「ああ、ごめん。つぐみの反応が懐かしくて。最初にここに来た時と同じだって」
「最初?」
「そう、最初。ここは二人で初めて、一緒に飯を食った店なんだ」
やっぱり二人の思い出の場所なのか。谷崎さんは懐かしげなのに、私はうまいって感想しかない。申し訳ない気分になってくる。
「悪い……。そんな風に言われると気になるよな。気にせず、どんどん食って」
料理を口にするスピードが落ちた私に、気を使うかのように谷崎さんが声をかけてくれる。
何で謝るかな? あなたは何も悪くないのに……。
「いえ……思い出の場所だったりするんですか?」
「俺にとってはね。上司の立場を利用して、つぐみと飯を食った場所だから」
「上司の立場?」
「ああ、残業させちゃったから、飯奢らせろって」
「私はどうしたんですか?」
「多分、嫌だったんだろうな。じゃあ、ラーメンがいいですって。恐らく、駅ビルの安くて早いチェーン店のことを指してたんだろうけど、ここに連れてきた」
谷崎さんから聞く、私の知らない私。
少し複雑な気持ちだけど、私らしい話だって思う。その時のやり取りや私の考えも何となく想像がつく。きっと私は奢られると後々面倒だし、さっさと帰りたかったのだと思う。だから、安くて長居できない場所を暗に示したんだ。それにしても……。
「可愛くない奴ですね」
「確かに可愛くなかった。でも、これを食べた時のつぐみのリアクションは、素直で可愛かった。うまいもの食って幸せーって感じの顔でね、それに食べっぷりもいいし。……また、一緒に飯を食いたいって思ったよ」
谷崎さんが色々話してくれているというのに、黙り込んでしまう。何というか……他人の恋バナを聞かされてるみたいで、うまい返しが思いつかない。
それにこの話の流れだと、胃袋を掴まれて谷崎さんと付き合ったみたいだし。私らしいかもしれないけど、それは情けない。
「そう言えば、仕事はどうだった?」
よかった。話題を変えてくれた。馴れ初め系よりこっちの方が気楽に話せる。
「思っていたよりかは、大丈夫でした」
「少なくても、武器や防具を剥がされた挙句、魔法も封じられた状態じゃなかっただろ?」
「やだ、あれは忘れて下さい」
数日前の子供じみた喩え話を持ち出され、タジタジになってしまう。
「つぐみがソツなくこなすから、つまらんと林田さんがボヤいてたよ」
「冗談キツイですよ……。仕事より、技術営業支援課の雰囲気の違いにビビりました」
「ああ、あれか」
谷崎さんがどこか遠い目をしているような気がする。何かあるのだろうか?
「課長が変わると組織って変わるんですね」
「確かに林田さんが来てから、一応は真面目に働くようになったかな? まあ、あそこは色々あるからな……おいおいわかるだろうけど、つぐみなら問題ないと思うよ」
「色々って気になるじゃないですか。でも、それより気になったのは、姫島さんの成長っぷりです。私が彼女に仕事のやり方を教えたって本当ですか?」
「ああ、あれか。今日、姫島さんが弁当を持ってきてくれたと思うけど、どうだった?」
「とてもおいしかったです」
「だろう? あれは、つぐみが昼休みに仕事を教える代わりに、姫島さんに弁当を作ってきてもらうっていう、物々交換みたいなもんだったんだ」
ここでもご飯か……。
私って、どんだけ胃袋掴まれてるんだ? もっとも、あの頃の食生活はロクなもんじゃなかっただろうから、仕方ないと言えば、仕方ないか。
あの頃……当時の私って、どんな感じだったんだろう? 南ちゃんから聞いた限りだと、部署異動で荒れてたっぽいし、谷崎さんが私をいいと思う要素なんて一つもないと思うんだけど。
ふと、気になって尋ねてみた。
「谷崎課長にとって、私ってどんな部下でした?」
「そうだな……」
私の問いに谷崎さんは考え込んでいる。答えにくいだろうな。私は南ちゃんの忠告で抑え気味に仕事をしてただろうし。
「困った部下だった」
やっぱりね。谷崎さんの言葉に納得できる。
「そうですよね。迷惑かけてすみません」
「いや、目が離せなくて困ったという意味だから」
谷崎さんの言葉に、とくんと胸が波打った。
落ち着け……。何を勘違いしてるのか知らないけど、違うから落ち着け。必死に言い聞かせる。
「色々やらかしたりするって意味ですよね?」
「違う。つぐみの仕事をずっと見ていたいって意味でだ」
「……」
「確かに異動してきた当初は、言われた以上のことをしようとしなかった。明らかに本気出してないって感じだったから扱いに困った」
「すみません」
「いや、言われた仕事に対する責任感とクオリティは高かったから。それにクールそうに見えて、実は負けず嫌いでお人好しだってわかってからは、扱いやすかったし」
「……」
知らない間のことなのに、その時の様子が手に取るようにわかる。
私は、できなければいいけど? なんて言われると挑んでしまうタイプだ。もちろん、何でもかんでも挑んだりはしない。挑むのは自分の力量と相談して、できるとジャッジできるものだけだ。だからこそ……色々とたちが悪い。この人にしてみればいいことだろうけど、私からすれば超恥ずかしい。
そんな私の様子を気にすることなく、谷崎さんは私の話を続ける。
「部下としての柏原つぐみは、安心して仕事を任せられるだけじゃなく、こっちの予想以上のことをしてくれる最高の存在だった。だから、結婚する時は迷った」
「え?」
「結婚したら、直属の上司と部下って訳にはいかないだろ。つぐみは、結婚したら仕事は辞めるって言ってたし……。ちょっとしたケンカにもなったな」
「どんなですか?」
「部下のままでいて欲しいし、結婚もしたい。だから、結婚する事実は隠しておこうって言ったら……」
「言ったら?」
「……そんなことできるかって怒られた。やるって言うなら、結婚も仕事も辞めるって言うから焦った」
谷崎さんが気まずそうに言う。こんな大人の人でも無茶なこと言うんだ。何だかおかしくて笑ってしまう。
「そりゃ、無茶ですよ。仮にできたとしても、私は隠せなかったと思いますよ。その手の嘘つくの苦手だし」
「仕方ないだろ……それくらい手放したくない部下だったんだから」
拗ねながら言う谷崎さんの言葉に、頬が熱くなって行くのがわかる。
殺し文句だ、これ。
一体、どんな仕事をしてたの? 私。
この人にここまで言わせた仕事の記憶がないのが悔しい、でも……嬉しい。……だめ、このままだと顔が真っ赤になってしまう。
「買い被り過ぎですよ」
言われた言葉を軽く流して、ビールを一気に呷り、おかわりを頼んだ。
谷崎さんのせいで赤く染まっていく顔を、ビールのせいだって言い張るために……。




