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迷子のネムリヒメ  作者: 燕尾
本編
12/64

第12話

「うまっ!」


 豚の生姜焼きを一口食べた途端、思わず声がこぼれた。お世辞じゃなくそこら辺のお店で出てくるのよりおいしい。

 それを作った張本人の姫島さんは、そんな私を嬉しそうに眺めながらカップにスープを注いでいる。

 私は今、姫島さんと一緒にお昼休みを過ごしている。しかも、姫島さんのお手製のお弁当と共に。

 

 緊張しながら会社に来たけれど、思ったより戸惑うことなく仕事ができていると思う。谷崎さんが言っていたように、三年後でも今まで私がやってきた仕事とそんなに変わらないので、スムーズに頭を手を動かしている。油断すると日付を三年前にしてしまいそうになるけど、それはカレンダーを見る癖をつけておけば大丈夫なはず。

 私の机やパソコンの中身も、あの日とほとんど変わっていない。

 お気に入りの文房具、最低限なものしか表示させていないパソコンのデスクトップ……。業務マニュアルや備忘録代わりの業務日誌もいつもの場所に収まっていた。

 あまりにも変化がないから、三年後なんて嘘じゃない? って思った。けれど、「二〇一X年」とか自分の字で書かれているのを見ると、やっぱり時間は進んでいて、そこに私がいたのだと痛感させられた。


 でも、実家やマンションにいる時より気持ちが楽だ。

 理由は単純。会社では旧姓で通しているので、ここでの私は「柏原つぐみ」のまま。

 私の中身と名前が一致していることが、少しだけ私をのびのびとさせてくれている。

 会社に救われるなんて、ちょっと皮肉だけど。


 職場の雰囲気はがらりと変わっていた。

 それは社員達の勤務態度の変化によるところが大きい。時間ギリギリに出社してくることろは変わらないけど、彼らは別人のようにきちんと仕事をしている。アダルトサイトやゲームの攻略法なんて調べたりしていない。

 趣味で会社に来ているのか? と軽蔑していた女性社員三人だってそう。

 今のところ、大人しくパソコンに向かっている。無駄なおしゃべりは全く聞こえてこない。

 いいことなんだろうけど何だか不気味。

 挨拶した私に対してのあっさりした対応だってそう。

 他人の噂話が好きだから、「大変だったでしょう」とか言いながら、記憶喪失のこととか聞いてくるに違いないって身構えていた。だけど「ふーん」って感じで何も聞いてこなかった。

 聞かれても鬱陶しいだけからいいけどね。

 それにしても、課長が変わるだけで組織ってこんなに変わるものなのか? 感心しつつも、そんな職場を少しだけ寂しく思った。きちんと仕事をすることはいいことなのに……学級崩壊の職場にこんな感情を抱くなんて思いもしなかった。

 そして何より一番の驚きは姫島さんだ。

 私の知っている彼女と全然違う。時間は掛かるし、ミスも多いので業務で関わる場合は要注意だった。それなのに今の彼女はテキパキと正確に業務をこなし、私にも的確な指示を出してくれている。

 何が彼女をここまで変えたんだろうと疑問に思ったけど、旦那さんの大路さんの影響だろうと考えたら腑に落ちた。


 久々の仕事に集中していたら、あっという間にお昼休みの時間になった。

 いつもと同じように下のコンビニでお昼ごはんを調達しようとしていたら、姫島さんが何も買わずに、休憩室で待っていて下さいと言うので休憩室に向かった。

 相変わらず人気のない休憩室だ。

 人がいないのをいいことに、あの日と同じように長いすに寝転んでみた。

 窓から見える景色が変わっている。東京タワーはすっかり見えなくなっていた。代わりに見えるのは面白みのないオフィスビル。わかっていたことだけど、切ない。

 しょんぼりしつつ体を起こして長いすに腰掛けたら、お待たせしましたと姫島さんがお弁当二つと水筒を抱えて、私の向かいの席に座った。そして、私にお弁当の一つを差し出した。


 差し出されたお弁当は二段式。一段目には炊き込みご飯、二段目には、豚の生姜焼きとレタス、きんぴらゴボウと玉子焼きがキレイに詰められていた。

 見た目だけでもおいしそうだったけど、食べてみるとそれは想像以上で……。


「よかったら、スープも飲んで下さい」


 夢中でお弁当を頬張っている私に、姫島さんがカップを差し出してくれた。カップの中身は澄んだ色のスープ。そこに細かく切られた白菜や人参や椎茸が入っている。和風スープかな? わくわくしながら、スープを啜ってみる。


「うまっ!」


 また声がこぼれる。何だ? これ。どれもこれも決して、濃い味付けじゃないし派手な味でもない。でも、とても優しくて暖かい味で……幸せな気分になる。


「これって全部、姫島さんのお手製だよね?」

「はい、うまっ! って言ってもらえて光栄です」

「いや……一応聞くけど、大路さんって毎日、姫島さんの料理を食べてるんだよね?」

「そうですね。あっ、でも疲れている時はお惣菜買ったりしてますよ。今は長期出張中だから適当に済ませてますし……。でも、今日は柏原さんの復帰日だったので、張り切っちゃいました」

「……ありがとう」


 嬉しいけどなんだか照れてしまう。これが女子力ってやつなのか?


「本当にすごいね。写メ撮っておけばよかった。今日のお昼でーす! って載せて自慢したい気分。そういえば、姫島さんはブログとかやってるの?」

「やってませんけど?」

「お料理ブログとかやらないの? こんなにおいしいんだもん。姫島さんの料理ブロクだったら、アクセスも凄そうだし、レシピ本とか出せちゃうかもよ?」


 お世辞なんかじゃなく、純粋にそう思ったから聞いてみた。姫島さんはゆっくりと首を振った。


「そんなに甘くないですよ」

「そうかな?」

「そうですよ。それに私は多くの人においしいって言ってもらえるより、自分の手の届く範囲の大切な人においしいを届けたいって思うんです」


 何だ? この妙な安心感。ふわっとしているんだけど、芯がしっかりしているというか、軸がブレていないというか……。でも、そう言えるって偉い。


「いいね、その考え方。おいしい料理を食べて、いい話を聞いて……贅沢な気分になっちゃった」


 そう言うと姫島さんは大きな目を更にパチっとさせた。そして柔らかに微笑んだ。


「ありがとうございます」

 

 そんな姫島さんを見ていると複雑な思いに駆られる。

 大路さん……ごめんなさい。あなたが姫島さんを選んだのは、顔と胸だって決めつけてました。まさか、こんなに優しくて暖かい料理を作る子だなんて……胃袋も心も鷲掴みだわ。


「あっ、そうだ。お子さん生まれたんだよね?」

「はい、優花ゆうかっていいます。よかったら、写真見てもらえますか?」


 そう言って姫島さんは、アルバムを手渡してくれた。チャームやボタンで可愛くデコレーションされたアルバムには、優花ちゃんが生まれた時から最近へと成長がわかるように写真が収められている。写っている女の子はお世辞抜きに可愛い。まさに小さなお姫様って感じだ。さすが、王子と姫の子供だわと感心しながらページをめくっていたら、一枚の写真に目が止まった。

 それは優花ちゃんと一緒に写っている大路さんの写真。私が目にしたことのない大路さんの姿に見入ってしまう。

 こんな風に笑うんだ。

 私の記憶の中に残っている大路さんはいつも笑顔。写真の中の大路さんも笑顔だけど、こっちの方が心から笑っているのが伝わってきて、今まで見てきた大路さんより何倍も素敵だ。

 ……そうだ。みんな大路さんの笑顔にキャーキャー言ってたけど、私はその笑顔にどこか冷たさを感じていたんだ。だから、そうじゃない笑顔にさせてみたい──それが気になるきっかけだったんだ。今更だけど。


「優花ちゃん、すごく可愛いね。大路さんと姫島さんの子だから、可愛いに違いないって思ってたけど、想像以上だよ」

「ありがとうございます」

「大路さんも王子様健在って感じで、変わらないね」

「いえいえ、三十過ぎてから太りやすくなっちゃったからって、ジムに行ったりしてるんですよ」


 私が知らなかった大路さんの表情。姫島さんから聞く私の知らない大路さんの話。

 心がざわつくポイントだらけなのに、私の心は波打つことなく穏やかだ。広岡から椎名さんの話を聞いていた時は、あんなにざわついていたのに……それだけ浅い恋だったってことだ。あの時はバレンタインの前日に何でよって思ったけど、あのタイミングで良かったんだ。


「大路さんがジム通い? なんか意外だね」

「そうなんです。私は太っても気にしないんですけど……その方が余計な心配しなくていいし」


 姫島さんはちょっとだけ唇を尖らせた。そんな仕草さえ可愛い。今でも大路さんは人気あるのか。まあ、最近の写真でもあんなにカッコいいしね。


「大丈夫だよ。大路さんは姫島さんと優花ちゃんしか眼中にないって。写真見てるだけでわかるもん」


 今の本人に会っていないから断言はできないけど、大路さんが心からの笑顔を見せるのは姫島さんや優花ちゃんが一緒の時だけのような気がする。


「だと、いいんですけど」

「姫島さんは三年間の間に変わったね。仕事もバリバリこなしてるし。妊娠、出産、育児の間によく身につけたって感じだよ。大路さんのアドバイスの賜物ってやつ?」

「……」

「何? どうしたの?」


 変なことを聞いたつもりはない。それなのに姫島さんの顔が赤くなっている。 


「やだ、恥ずかしい」

「え?」

「私に仕事のやり方を教えてくれたのは、柏原さんですよ。教えてくれた人からこんな風に言われると照れちゃいます」


 は? 姫島さんの言葉に耳を疑う。

 何で私が姫島さんに仕事を教えちゃったりしてる訳? 今は違うけど、あの時の私にとっては恋敵でしょ? 何のために?

 聞こうにも、ちょっと間違えると嫌な言い方になっちゃいそうだ……と迷っていたら、お昼休みが終わった。私は頭に大きなクエスションマークをつけたまま、午後の仕事をこなした。


「しまった」


 会社からの帰り道。

 マンションの最寄り駅を通り過ぎ、実家に向かう線のターミナル駅まで出てしまった。二駅でいいというのに……。

 うっかりなのか習性なのか知らないけど、間抜けすぎる。通り過ぎてしまったものはしょうがないので、ホームを移動して、逆方面の電車に乗り込んだ。朝とは違い、都心へ向かう電車は皮肉なくらい空いている。

 遠回りの末に、マンションの最寄り駅についた。改札を抜け、目に映った空の色に溜め息が出てしまう。会社を出た時は、まだ明るさが残っていたのに、すっかり暗くなっている。自分のせいだけど凄く損した気分だ。


「つぐみ?」


 後ろから声が聞こえた。振り返ると谷崎さんが立っていた。

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