第5話 第一次中東戦争後のイスラエルにおけるT-34戦車の残光
第一次中東戦争、又の名をイスラエル独立戦争におけるT-34戦車の活躍は、少なくともイスラエル国内、及びアラブ世界におけるT-34戦車の評価を暴騰させた。
このために1960年代に入るまで、イスラエルでは米日英仏等の軍事大国に対して、新型戦車の購入を求めたが、どうにも条件が折り合わず、それならばT-34戦車の改良で何とかしよう、とする結果をイスラエルにもたらすほどの影響を引き起こした。
(これは、アラブ諸国が様々な方法で、米日英仏等の軍事大国に、イスラエルに対して、新型戦車を売らないように働きかけた効果も大きかったとされる。
第一次中東戦争の衝撃は、アラブ諸国に対し、イスラエルが新型戦車を購入した暁には、最早、イスラエル軍に軍事的には対処不可能になるのではないか、という恐怖を受け付けていたのだ。
こうしたことから、アラブ諸国は米日英仏等への働き掛けを強化していた)
そのために、イスラエル軍はT-34戦車の様々な改良を試み、更には改良した戦車が旧式化した暁には諸外国へ叩き売るようなことまでやったのだ。
そういったイスラエルが行ったT-34戦車の改良の形式は、試作を含めれば軽く二桁を超えるのは間違いないのだが、代表的な物のみを以下は取り上げることで済ませることにする。
最初に行われたのが、T-34戦車に88ミリ砲を搭載しよう、という改良だった。
イスラエル軍が購入したT-34戦車の主砲は76ミリ砲に過ぎず、早晩、陳腐化するのは避けられない、と判断されていたからである。
火力強化のために、様々な案が検討されたが、最終的に独軍が使用していた88ミリ対空砲を戦車砲に転用した砲が、イスラエル軍のT-34戦車には、改造の上で搭載されることになった。
(なお、実際のところは諸説ある。
ほぼ単純に88ミリ対空砲が転用されて搭載されたという説から、このために新型砲がほぼ新規開発されたという説、更にその中間説等が入り乱れているのだ。
イスラエル軍によれば、ほぼ単純に88ミリ対空砲が転用されたそうだが、実際の砲身長等から考えると、とても信用できない、という主張が正しいように思われる)
更に最終的には軽量化が図られた105ミリ砲が、イスラエル軍のT-34戦車の主砲として搭載される事態が、1960年代初頭には起きた。
よくもまあ、という思われるが、それだけT-34戦車の火力強化にイスラエル軍は狂奔したのた。
(更に実戦で戦果を挙げているのだから、感嘆するしか無い)
他にも、T-34戦車は、155ミリ榴弾砲を搭載して自走砲の車台として使われたり、砲塔を外す等の改造を施した上で重装甲兵員輸送車として使われたりするという事態が、最終的にはイスラエルでは起きることになった。
このような様々な改造が行われた結果、イスラエルでは主力戦車としては1970年代に入るまで、また、それ以外の自走砲や重装甲兵員輸送車としては20世紀末まで、T-34戦車は活躍を続けることになり、イスラエル独立の守護天使的な存在として、中東では目されるようになったのである。
また、イスラエルが行った改造により延命措置が結果的に行われた結果、イスラエルからアフリカや中南米諸国に対して転売された末、その転売先で2010年代の現在に至っても、その国では現役、一線級の扱いをされて稼働しているT-34戦車も多々あるのだ。
日本では祖国ソ連を救えなかった悲劇の傑作戦車として見られることが多いT-34戦車だが。
実際には21世紀になっても、T-34戦車が現役で稼働している国が存在するのだ。
本当に歴史の流れに翻弄され、悲劇と栄光に包まれた奇跡の戦車ではないだろうか。
これで完結します。
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