第3話 ユダヤ側のT-34戦車の購入
さて、こういった状況に陥った以上、パレスチナにいるユダヤ側も、アラブ側も人員や武器等の調達に奔走することになった。
そして、ここで皮肉極まりない事態として起きたのが、相対的にだが、ユダヤ側に実戦経験豊富な人員が集い、更に武器等の調達にも長けるという事態が起きたことだった。
何故か、と言えば。
第2次世界大戦において主戦場となったのは欧州だった。
そして、欧州に住んでいたユダヤ人の多くが、その戦禍に巻き込まれ、欧州以外に住むユダヤ人の多くが同胞を救おうとして、軍人に志願し、また後方支援に当たったという現実があった。
その一方で、アラブ人が住む中東地域は平穏と言ってよく、アラブ人は治安維持に主に専念できたというのが現実だった。
(なお、細かいことを言えば、アラブ人が住む中東地域において、第2次世界大戦時に民族対立等が皆無だったとは言えないが、そうは言っても、文字通り、民族、宗派の対立から血で血を洗うような激闘を行い、更に民族浄化、民族追放の動きまで起きた欧州に比較すれば、当時の中東地域は遥かに平穏だったのだ)
だから、ユダヤ側は、第2次世界大戦の経験を生かして、様々な武器等の調達を図り、更にそれに成功する事態が起きた。
そうした中で、ユダヤ側の屈指の成功例として挙げられるのが、T-34戦車の大量購入だった。
さて、T-34戦車については、日本においては、祖国ソ連を救おうとして奮闘することもなく救えることができず、亡国に殉じた悲劇の傑作戦車と見られることが多いが。
実際には、皮肉極まりないことに開発したソ連が滅んだ後も、世界各地でT-34戦車は奮闘を続け、その名声を維持し続けたのだ。
T-34戦車は、第2次世界大戦で実戦参加した戦車の中では、世界最良の戦車の一つとして数えられる存在である。
実際、これと互角に戦える戦車となると、日本の3式中戦車か、フランスのルノー43戦車しかない、とさえ一般的には評されるのだ。
(更に言えば、ルノー43戦車は、独本土占領に伴い、仏が独のⅤ号パンター戦車をほぼコピー生産した、と言われても仕方ない代物であることを考えれば、T-34戦車の高性能ぶりが分かる)
更に、ソ連は戦車の生産について、1941年以降はT-34戦車にほぼ絞った大量生産を行った。
こうしたことから、ソ連が崩壊して、連合国に降伏した際、T-34戦車は大量に駆動可能状態で存在していたという事態が生じた。
中には生産工場の設備ごと、連合国側が確保した例まで複数あったのだ。
そして、ユダヤ側はこうした状況から、T-34戦車の大量確保に奔走した。
この辺りは、かなり大っぴらにできない闇の話が紛れており、嘘も多いとされる。
例えば、象の墓場ならぬ、T-34戦車の墓場から、屑鉄として処分するとして、表向きは持ち出されたものの、実際には戦車として駆動可能なままでパレスチナに運び込まれたとか。
また、イタリアやスペインが戦利品としてT-34戦車を祖国に持ち帰る際に、紛失したと表向きはなっているが、実際にはパレスチナに大量にそのまま運び込まれたとか。
それには、暴力団やユニオンコルスといった世界の犯罪組織も一枚も、二枚も噛んだとか。
ここまで来ると、嘘にも程がある、という話になってくる。
だが、イスラエル独立戦争、又の名を第一次中東戦争の開戦時において、このユダヤ側の奔走の結果として、T-34戦車が少なくとも100両以上も、ユダヤ側の戦車としてパレスチナにあったのは、間違いのない事実だった。
更に第一次中東戦争の間も、T-34戦車は様々な手段を駆使して、パレスチナにユダヤ側の戦車として運び込まれるという事態が起きた。
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