第2話 イスラエル建国の経緯
何故に、この世界で第一次中東戦争が起きたか、の背景説明になりますが。
かなり史実を参考にしています。
(この世界でも)イスラエルの建国を目指すユダヤ教徒から見れば、歴史はうねりにうねった末に、イスラエルの建国は果たされたのであり、逆にアラブのイスラム教徒からすれば、本来は全く望んでいなかったイスラエルの建国が果たされたことになる。
そして、どちらの視点で見るか、によって、歴史の叙述が変わるのは止むを得ないことではあるが、できる限り、中立的とされる視点で、イスラエル独立戦争、通称、第一次中東戦争勃発の経緯までを簡略にまずは述べたい、と思う。
そもそも論を言い出せば、パレスチナの地にユダヤ教徒の国家を建国しようというシオニズム運動が現実の話として見えてきたのは、第一次世界大戦の時となる。
(勿論、それ以前からパレスチナの地にユダヤ教徒の国家を建国しようというシオニズム運動が無かった訳ではないが、現実的な話として世界から取り上げられた時となると、この時になるだろう)
第一次世界大戦時、ユダヤ教徒の協力を得るために、英国のバルフォア外相はバルフォア宣言を出し、パレスチナの地にユダヤ人の居住地を認める旨を表明した。
だが、問題は、このバルフォア宣言は、見方の問題に過ぎないと言えば、その強弁が通らない余地がないでも無かったが、英国とアラブ人の間で締結されたフサイン=マクマホン協定や、英仏露三国の秘密協定として締結されたサイクス=ピコ協定と相互に矛盾しているように見えることである。
更に、サイクス=ピコ協定が、第一次世界大戦の結果、建国されたソ連によって、その内容の詳細が暴露され、ソ連によって、英国の三枚舌外交として喧伝されたことは、アラブ、ユダヤ双方の英国への怒りを掻き立てることになった。
そして、ヴェルサイユ体制が第一次世界大戦終結に伴い成立し、更に、世界大恐慌が起きて、その煽りからヒトラー政権が独に成立したこと等から、ヴェルサイユ体制は崩壊していくのだが。
この影響を大きく受けたのが、主に独からソ連という地域に住んでいた東欧のユダヤ人だった。
ヒトラー政権の成立等から、身の危険を感じた東欧のユダヤ人は、パレスチナの地を目指した。
この動きは、第二次世界大戦の勃発により、一時的には中断したが、第二次世界大戦の後半、ヒトラー政権崩壊に伴う独降伏、更に日米英仏等の連合国の支援による東欧における民族国家の成立により、異教徒であるユダヤ人への迫害が続いたことから、パレスチナへのユダヤ人の移民は続く事態が起きた。
そして、正確な統計が残されていないことから、ユダヤ、アラブ双方が都合の良い数字を主張し合うという事態が起きてはいるが、第二次世界大戦が終結した1944年時点で、一応は中立的とされる数字を信じるならば、パレスチナにはユダヤ人が約60万人が居住し、アラブ人が約140万人が居住するという事態が起きていた。
だが、問題はユダヤ人の土地は、パレスチナ全体の7%に過ぎなかったことで。
人口比から考えて、日米英仏等の連合国は、アラブ側に土地の譲渡を求めたが。
これは、アラブ側の暴発を招くことになった。
勝手に移民してきたユダヤ人に土地を譲れ、とは何事、というアラブ人の怒りを引き起こしたのだ。
その一方、ユダヤ人側も、この上は一戦して、土地を獲得するしかない、と腹を括っていた。
こうした戦争必至の状況に鑑み、アトリー内閣率いる英国政府は、
「英国の力が及ばない事態だ」
と声明を出して事態の収拾について現地に丸投げし、英軍を全面撤退させるという態度を執った。
最早、誰も戦争を止める力を持たない。
アラブ、ユダヤ双方が武器等の調達に奔走した。
そうした中、ユダヤ、イスラエル陸軍はT-34戦車の導入を決断したのだ。
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