膨張
Ⅰ
「ふむ、こうして改めてみると、本当に魔力を感じないね。これから護衛としても、生徒としても、きちんとやっていけるのかい? エリー」
「問題ないわ。シュウの魔法習得はこれからだし。最悪、使えなくても剣技があるもの」
「剣技か。まぁ、朝の様子からして、たしかに問題はなさそうだけれど」
「朝? なによ、ベッキー。見てたの?」
「まぁね。イリアンヌの坊ちゃんに絡まれていたから、加勢しようとしたんだけれど。その前にシュウくんが前に出ちゃったから、あたしは遠くから様子を窺っていたんだよ。そしたら、アレだ」
アレとは、今朝にイリアンヌの魔力を斬り、魔法の発動を未然に防いだことだろう。
「俺が何をしたのか見えていたのか?」
「いいや。あたしに見えたのは、シュウくんが得物を鞘に収めたところだけだよ。いつの間にか抜刀していて、気付いたら納刀していた。それ以上のことは何も分かりやしなかったさ」
抜刀の事実を見抜けただけでも、大した物だと素直に驚いた。決して彼女を低く見ていた訳じゃあない。間近で見ていたイリアンヌが認識できなかったのに、遠くで見ていたベッキーが認識できていたことに、俺はびっくりしたのだ。
「ベッキー凄いわね。私には少しも見えなかったわよ」
「昔から目だけは良いって褒められて来たからね。慣れればシュウくんの剣も、見切れるようになるかもよ?」
「はっはー。そう簡単に見切られちゃあ、今まで積み重ねてきた剣技剣術も形無しだ。そうならないよう、これからも精進を怠らないようにするよ」
そんな出会いがあって、ベッキーと知り合ったあと。俺達は会話もそこそこに、誰も居なくなった教室を出た。実技の授業が始まる時間が、すぐそこまで迫って来たためだ。
学園敷地内の一角、渡り廊下を渡った先にある錬魔館。それは体育館というよりかは、縮小されたドームのようだった。とにかく大きくて巨大である。日本人が思い浮かべる体育館が二つほど、すっぽりと収まって余りあるくらいには大きい。
エリーとベッキーの道案内の末に、そこまで辿り着いた俺は、視線を上へと押し上げざるを得なかった。
「敷地前の門扉といい、この練魔館といい。どうしてこうもデカいんだ? 色々と」
「訓練や練習とはいえ、魔法は魔法だもの。なるべく誤射の可能性をなくすために、十分な広さが必要なのよ。あとは魔法が暴走したり、暴発したりした際に、他の生徒が逃げやすくするためね。大人数で事に当たるから、なおさら危険が伴うし」
「随分と危なっかしい話だな。なら、門扉がデカい理由は?」
「ありゃあ、ただの見栄だよ。この国一番と謳われる高名な学園なんだ、玄関がしょぼいと格好が付かないのさ。ほら、イリアンヌの坊ちゃんが制服を派手にしてるのと同じ理屈だ」
「……なんか、いまの例え凄いしっくりきた」
つまりは田舎の不良みたいなものだな。納得した。
二つほど疑問が解消されたところで、俺達三人は練魔館の中へと足を踏み入れる。内部の構造は思いの外、重厚だった。魔法の直撃に耐えられるよう、強固な造りになっているのだろう。無骨な装甲が壁や天井だけでなく、足下にまで広がっている。
まるで兵器の実験場だ。このくらい厳重にしなければ、魔法を扱うのは危険である。ということか。
「みなさん、揃っていますか?」
授業開始の鐘の音が鳴って、先生のもとに生徒が集合する。
この先生は、先ほどの先生と同じ人である。座学も実技もこの先生が担当することが多いようだ。それだけ優秀ということか。それとも教師の数が足りていないのか。果たしてどちらだろうか。まぁ、どうでも良いことだけれど。
「おや? 五人ほど姿が見えないようですね。ふむ……誰が事情を知っている人はいませんか?」
カインズを含めた五人の姿がないことに気が付いた先生が、そう俺達に尋ねた。知っているも何も、その五人を授業に出られなくしたのは間違いなくこの俺である。しかし、そんなことを馬鹿正直に告げるほど、俺は善良な生徒ではないのだった。
「どうしたのかしらね?」
「さぁ?」
白を切り通し、沈黙を続けることしばらく。事情を知らない生徒たちから「知らない」とか「休み時間まではいた」とか、そんな証言が上がり、それを先生が加味した結果、どうやら結論が決まったようだ。
「そうですか、分かりました。では、五人については後々ということにしておきましょう。では、実技の授業を始めます。と、言っても今日は自習の予定でしたので、各自、自由に練習を行って下さい。くれぐれも、周りをよく見て人が居ないことを確認してから、魔法を発動させるように」
あと。そう言って先生は付け加える。
「キリュウくん。この時間、貴方は魔法開発の特別授業となりますので、私の所に来て下さいね。以上です」
先生がそう言い終わると、生徒達は蜘蛛の子を散らすように散開していった。
普段から学園内での魔法使用が禁止されているからか。各生徒、この時ばかりは大はしゃぎである。こうして見ると、あの生徒達の大半が貴族であるということを忘れてしまいそうだ。みんな年相応の一般人に見えて仕方がない。
「それじゃあ私達も行くから。魔法の開発、がんばってね」
「気張って行きなよ」
「おう、任せとけ」
応援してくれた二人に返事をして、先ほど言われた通り先生の所にまで歩いて行く。
「来ましたね。それではキリュウくんの魔法開発を行いましょう。大丈夫ですか?」
「それは勿論」
「では、始めるとしましょう。まずは基本的なことからです。魔法を発現させるには、何よりも先に魔力を正確に操れなくてはなりません。キリュウくんは、これまでに魔力に触れたことがありますか?」
「えーっと。はい、触るだけなら」
頭の中に浮かんだ記憶の映像は、インクルストと戦った際に、蹴りを魔法で絡めとられた時のものだ。手ではなく足だったが、身体に触れていたのだから、間違いはないだろう。
「結構」
そう言葉を短く切った先生は、直ぐに次の言葉を紡ぐ。
「私達人類は己の内に魔素と呼ばれる力の粒子を有しています。これは空気中にも満たされており、私達は自分の肉体の内と外にある二つの魔素を呼吸によって取り込み、体内で混ぜ合わせることで魔力としています。ここまでは良いですね?」
「大丈夫です」
思わず、頭を抱えてしまいそうな話だけれど。事前にこの話はエリーによって聞かされ、頭に叩き込まれている。なんとか話には着いていけそうだ。エリーが教えてくれなければ、きっとちんぷんかんぷんで首を傾げていた所だろう。
「では、次に魔力の生成方法の話をしましょう。呼吸によって空気中の魔素を取り込めば、身体が勝手に魔力を生成してくれる訳ではありません。そこには明確な意志と、手段が必要になります」
意志と手段。
「と、難しいことを言っているようですが、実は魔力の生成はさほど難しいものではありません。安心して下さい。自身の周りが魔素で満たされているという事実を強く意識し、体内で己の魔素と混ぜ合わせるイメージがあれば、魔力は出来上がります」
意識し、取り込み、混ぜ合わせ、作り上げる。それが魔法の燃料となる、魔力の生成方法。魔素という目にも見えない不思議粒子の存在を認め、それを呼吸によって体内に吸い込み。そしてそれを自分の中にもある魔素と混ぜ合わせる。
「魔力生成のコツは、呼吸をしたあと。吸い込んだ空気を身体と一体化させるように、イメージを働かせることです。混ぜ合わせると言っても、実際にこねくり回す訳ではないので、それで魔素と魔素が混ざります」
吸い込んだ空気を、身体と一体化させる。
「ここまでの事を良く理解して、一度、実践してみましょう。自分のタイミングで構いませんから、ゆっくりと冷静に」
「……分かりました」
先生の指導に従って、自分のタイミングで魔力を作ってみよう。
けれど、まずはその練習だ。大きく息を吸って、大きく息を吐く。空気を吸い込んで、吐き出した。心を落ち着かせるため、気を静めるため。剣の稽古を始める時のように、俺は事前の準備として、魔力を作ろうとは考えずに深呼吸をした。
その時だ。自分の体内に、自分の物ではない何かが生まれたのは。
「うッ……ぐあッ!?」
拡張する。膨張する。肥大し、拡大し。骨が内臓が、外側へと押し退けられる。その何かに、生まれた何かに。苦しい。苦しくて苦しくて堪らない。全身の力が抜けて立っていられない。息も上手く出来なくて、冷や汗が流れ落ちる。
なんだ、なにが起きた。いま、俺の身体に何が起こっている。
「いけません、キリュウくん! 直ぐに魔力を放出しなさいッ。身体の中から追い出すんですッ!」
「おい……だす……」
際限なく膨れあがる何かは、なおも膨張を続けている。先生の言う通り、追い出さなくてはならない。身体の外へと追いやらなくては、風船のように破裂してしまう。いま直ぐにでも。
出て行け。俺の身体から出ていけ。
その一心で、願うように思い続ける。すると、内臓を圧迫されているかのような不快感は、それ以上に悪化せず。けれど、良くもならずに停滞の様相を呈し始める。身体の内側を握られているかのような感覚が、一秒の隙間なく継続して続く。それはまるで、何かの拷問だった。
「そうです。大丈夫、大丈夫。その調子で、その調子でどんどん魔力を追い出して下さい。そうすれば、その苦しみもなくなります。大丈夫、大丈夫ですから」
先生の言う通り、願い続けることで不快感は姿を隠し。体内で膨張していた何かも、徐々にではあるが縮小して行った。そうして、それから暫くして骨や内臓を外側へと押し出していた何かは、完全に消滅する。
「よく頑張りました。もう大丈夫ですよ」
「はぁ……はぁ……」
苦しくなくなった。息もきちんと出来ている。仰向けに寝かされて、身体も楽になっている。けれど、不快感だけが未だに居座り続けている。それは先ほどのように強烈な物じゃあない。だが、確実に少しだけ残っている。残留した小さな不快や違和。身体中を拡散したそれは、俺に握り拳をつくることすら許してくれなかった。
「くそ……」
不快感に振るえる手を上へと伸ばす。少しでも速く、この状態を改善したい。そんな思いで猫が伸びをするように、届かない天井を目指した手。それは限界まで突き進むと同時に力尽き、そして柔らかい両手に包まれた。
「エリー?」
「よかった……無事みたいね」
視界にエリーの姿が映った。俺の手を握り、心配そうな表情を浮かべている。俺の異変に気付いて、駆け付けてきてくれたみたいだ。護るはずのエリーに心配をかけちゃあ、護衛役として失格も良いところだな。




