空洞
Ⅰ
「いってぇ」
身体中に痛みが走っているけれど、なんとか生きてる。自分が死んでいないことを確認し、とにかく状況を把握しようと軋む身体を動かして、仰向けの状態から上半身を起こした。身体を動かすたびに、学生服や髪の毛から砂が落ちる。地面が崩れた時に、かぶったんだろう。
「んーっと……はぁ、こりゃ参ったな」
周りを見渡してみても、岩と土しか見えなかった。完全なる地下空間だ。上を見上げてみても、空が遠くて小さい。よくあの高さから落ちて、死なずに生きていられたもんだ。
そう言えば、この空間の壁から木の根っこが幾つも伸びて、網目状になっている。あれが衝撃を殺してくれたのかも知れないな。
「ありゃあ昇れそうにないな」
壁を這い上がって地上に戻るのは不可能だろう。どう頑張ってもたどり着ける気がしない。絶対に途中で力尽きて真っ逆様に落下する。そうなれば次は助かるかどうか分からない。なんとか別の道を探らないと、最悪ここで餓死することになる。
「シュウヤさん? そこに居るのかしら」
「その声、リズか?」
立ち上がって声のしたほうへと向くと、予想通りリズの姿があった。俺と同様に土を被っており、その銀色の髪はその輝きを失っている。けれど、見たところ大きな怪我もないようだ。ひとまずは、大事ないようで良かった。
「無事みたいだな」
「えぇ、なんとか。木の根っこに助けられたわ」
どうやら俺と同じように助かったらしい。木の根っこ様々だ。
「けれど、どうして急に地面に穴が空いたのかしら?」
「さぁな。でも、こんな空間があるんだ。もとから足下が空洞だったんだろう。それで運悪く、俺達が通ったタイミングで蓋が崩れた」
「不幸が重なったってことね」
「助かっただけでも幸運なことだよ」
本当に、助かっただけ運が良い。
「とりあえず、辺りを見回ってみよう。よじ登るのは無理でも、何処かに続く道があるかも知れない」
それは殆ど願望だったけれど、何もせずに居るよりかは随分マシな判断だったと思う。
その提案をリズは受け入れてくれて、俺達二人はこの広い地下空間を壁沿いに歩いた。土の壁に触れてみると、簡単に崩れるくらいに脆い。これではプロのロッククライマーでもよじ登るのは不可能だ。やはり、此処から地上を目指すのは無謀か。
希望が一つ潰れても、諦めずに歩を進める。そうして地下空間を半周ほどした所で、地下脱出の糸口を見付けることが出来た。それは何かの動物か、魔物が掘った横穴だ。ちょうど人一人が普通の姿勢で歩けるくらいの幅と高さがある。此処を通っていけば、あるいは地上に出られるかも知れない。
「この先に行ってみよう。俺が先を行くから、後を付いてきてくれ」
「分かったわ。気を付けて」
左手に小さめの焔を灯して明かりの代わりにし、仄暗い横穴の奥へと足を進ませる。横穴の中は仄かにしめってして、空気が生暖かい。長時間いると気分が悪くなりそうな所だ。早く地上に出たいものだけれど、まだ先は見えないな。
「ところで、シュウヤさん」
「なんだ? どうした」
「私のもとで働く気はないかしら?」
「……今この状況で言うことか? それ」
時と場合を考えて貰いたいもんだ。結構、余裕をぶっこいているけれど、現状はかなりの非常事態なんだからな。湿度の高い閉鎖空間にいて、食料は一日分しかない。一番致命的なのは水が少ないことだ。この状況が続くと、空腹や脱水で危険な状況に陥ってしまう。
「今この状況だからこそよ。このサバイバルレースが始まってから。私、ずっと機会を窺っていたのよ」
「機会って? なんの機会だよ」
「シュウヤさんと二人きりになる機会」
一瞬、足が止まりそうになった所を無理矢理動かして前に進む。
そう言えば、俺ってずっとエリーと一緒に行動していたっけ。そりゃあ復学や学園対抗戦で一人になることはあったけれど。結局のところ、それでも俺はエリーに会えないという状況に陥ったことがない。
今この時を除けばである。そう言う意味では、リズにとってはまたとない機会だろう。そもそも俺が一人になることは少ないし。地下深くの穴蔵の中では、エリーに会いたくても会えない。俺とリズの完全なる二人きりだ。
「シュウヤさんを手に入れるためなら、なんだってするつもりよ? 私」
「……なんだってそんなに俺を雇いたがるんだよ。俺より優秀な護衛役くらい、アリムフェリアの力があれば用意出来るはずだろ」
「雇いたがる理由? そうね、今はエクイストさんが居ないから言ってしまうけれど」
そんな妙な前置きをして、リズは言う。
「エクイストさんの護衛だったからよ。私が執拗に貴方を雇いたがる理由は」
すこしも言い淀むことなく、リズはさらりと述べた。
「アリムフェリアの悪癖って奴か」
「そうとも言うわね。自分の血筋には、逆らえないものよ。エクイストさんや、オルケイネスさんと違ってね」
たしかに二人は自分の血筋に真っ向から刃向かっている。
エクイストは代々非好戦的であり、オルケイネスは代々淑やかだと聞く。にも関わらず、エリーは少しもじっとして居られない、じゃじゃ馬だし。ベッキーは戦闘大好きの暴れん坊だ。あの二人に比べれば、リズはまだ普遍的だ。血筋の特徴をきちんと受け継いでいる。まぁ、その所為で今回、厄介なことになっているのだけれど。
「けれどね、べつにエクイストさんの護衛なら、誰でも良かったという訳ではないのよ? 貴方だからこそ、私は自分のもとで働いて欲しいと思った。シュウヤさんが欲しいと思ったわ」
「そいつは、嬉しい限りだよ」
先を見通せない暗闇を見つめながら、そう返事をする。
「だが、悪いな。俺はとうの昔に誓ってるんだ、エリーの側にいるってな。だから、リズのもとでは働けない。諦めてくれ」
「……取り付く島もないのね。目も合わせてくれないなんて」
「その気がないんだ。希望を持たせるようなことはしないさ」
きっぱりと断るべきなんだ。エリーから離れることはないと。
「そう……けれど、それを聞いてもっと諦めきれなくなったわ」
「おいおい、冗談だろ」
「だって、羨ましいでしょう? シュウヤさんに、そんな風に思われているだなんて。私、エクイストさんに嫉妬してしまうわ」
嫉妬、か。
「……リズ、これは今わかったことだが。正直なところ、俺のことなんてどうだって良いんだろ? ただエリーが羨ましくて、妬ましくて、嫉妬しているに過ぎない。その感情を自分の中から取り除くために、エリーから俺を引き離そうとしているんだ」
「さて、それはどうかしらね。その話を一カ所だけ正すとすれば、それはシュウヤさんのことなんてどうでも良いと思っている。のところかしらね」
「つまり、それ以外の否定しないと」
「受け取り方はシュウヤさんの自由よ」
なかなかどうして、リズも食えない女だな。
アリムフェリアの悪癖と、リズ自身の嫉妬心。それらが組み合わさって、俺を奪うという手段に繋がった。こっちからしてみれば傍迷惑な限りだが、けれどそれがリズという人間を形成するものなのだろう。
イリアンヌのように卑怯な手を使ってこないだけ、正々堂々と真っ向から向かってくるだけ、本性をさらけ出してくるだけ、よっぽど健全だ。そう言う意味では、好感が持てる。その一点だけだけれど。
「ふー……ちょっと休憩するか」
「そうね。体力はなるべく温存しておいたほうが後々に生きるわ」
獣が歩く獣道ならぬ、獣が掘った獣穴をしばらく突き進み。足に疲れが溜まってきた所で休憩を取る。その際、手の平に灯した焔を消した。太陽の光が届かない場所なので、常に明かりは灯しておきたいところだが、そうも言っていられない。
体内にある魔素のこともそうだけれど。一番の理由は焔で酸素が失われてしまうからだ。魔法で灯した焔と言えど、空気中の酸素は確実に消費されている。ならば、酸素を燃やさない焔を灯せばいいのだが、その色に見当がつかない以上、それもできない。
基本的に、色のない物に効果を発揮できない。それが俺の魔法の欠点だ。色のない物に燃やす燃やさないの指定が出来れば、アレックスの重力魔法にあれほど悩まされもしなかっただろうにな。
「暗闇で周りが見えないというのは、なかなかどうして怖いものね」
「そうだな。いつ魔物がここを通るかも分かったものじゃあないし。あいつらは気配を簡単に消せるから、奇襲に注意しないと」
「注意していれば、奇襲が防げるものなのかしら?」
「目が使えないぶん、耳を使うってことだよ。どれだけ完璧に気配を消していても、音ってのは必ず響くものだから、なにかが近くに来ればすぐに分かる。まぁ、こう言う限定的な状況でしか、出来ない芸当だけれどな」
視覚が遮断されることによって、聴覚が音を拾いやすくなる。
それは微々たる変化だが、横穴を乱反射する獣の足跡を感知して、何処にどんな大きさの魔物がいるかを把握するためには、その微々たる変化が肝要なのだ。
それから魔物を警戒しつつ、適度に休憩や食事を取りながら、横穴の奥を目指した。そしてあの地下空間から横穴に入って、何時間もの時が流れ。俺達は今一度、広い空間に行き当たる。地下にあるもう一つの空間だ。
「此処にも空洞があるのか……いや、どうも自然に出来たって感じじゃあないな」
この空間は自然に出来たにしては、やけに歪な形をしている。まるで何かが地中を掘り散らしたような、そんな印象だ。それに土の壁には、無数の引っ掻き傷が刻まれている。おそらくは、それなりに大きな生き物が土を掻き出して作った空間なんだろう。
「照らしても奥が見えない」
「広いわね。でも進むしかないわ」
意を決して空間の中を進む。願わくば、何もいないことを。
しかし、これほどの空間を作った魔物が、その場にいないはずもなく。早々に思い知ることとなる。この世界には、見上げるほどに巨大な生物が息づいているということを。




