食事と風呂
Ⅰ
水の確保をしつつ、川沿いを歩くことしばらく。時刻は昼の時間を過ぎ、夜の時間へと変わっていく。空が茜色に染まり、黄昏を迎え。そして夜空の黒が、茜を塗り潰し始めた。
「今日はここまでだな。夜は魔物の動きが活発になる時間だし、足下が見えづらいと歩くのに時間が掛かる」
「夜通し歩くメリットは少ないか。まだ一日目だから、そんなに急ぐ必要もないわね。うん、ここにテントを張りましょう」
足を止めて、広くあけたこの川岸にテントを張る。細かい石ころだらけで、寝心地が割るそうだなと予想をしたけれど。実際にテントをひらいてみると、驚きの事実が発覚する。
「なんじゃこりゃ、浮いてる……のか? これ」
なんらかの魔法が掛けられているのか。一度の動作で簡単に開いたテントは、地面から数センチほど浮いている。それも風の勢いで無理矢理浮いているのではなく。見えない土台に支えられているかのように、静かに地面を拒絶していた。
「あら、シュウヤさんは見るのが初めてなのかしら? 割とメジャーな代物よ」
「そうなのか? 俺の知ってるテントと随分違うな」
地面とテントの間に手を入れてみるも、そこには何も感じられない。どう言う原理で、どう浮いているのかさっぱりだ。まぁ、魔法なんて物が存在している時点で、考えるのも無駄なことだけれど。
テントといえば、比較的平らな場所に杭を打ち込むのが俺に取っての普通だ。しかし、どうもこの世界の人達とっては違うらしい。もっとも、忘れがちだがこの三人は大貴族の令嬢なので、これが普通の感覚かと問われれば首を傾げずにはいられないが。
「憶えてるかい? エリー。ちっちゃい頃、山でテントを張って過ごした時のこと」
「えぇ、よく憶えているわよ。二人とも夜が怖くなって、引っ付き合って眠ったわよね。でも、知ってた? あの時、近くにクインがいたんだって」
「それ、ホントか? 絶対についてくるなって言ってたのにな」
「ふふっ、そうね。でも、それも考えて見れば当然だわ。私がパパやママの立場なら、同じ事をしたもの」
「まぁ、そりゃそうなんだが。なんだかなー、白いハンカチに薄い染みを見付けた気分だよ。あたしは」
そう話しているうちに、四人分のテントが出揃う。
一応、確認のためにテントの中に入ってみたが、俺の重みで浮いていた底が地面につくこともなく。少しも揺れずに、人一人の体重を支えきっていた。なかなかどうして、わくわくするテントだ。これが子供時代にあったら、どれだけ楽しかったことだろう。
ほんの少しだけ、三人が羨ましくなってしまうな。
「〝焔変色異〟」
テントを張り終えた後。本格的な夜が到来する前に、森の方から十分な量の枝を拾って来る。それの一部を一カ所に集めて手頃な石を並べ。焚き火の原型を作り上げると、仕上げに俺の魔法で点火した。こう言うとき、焔の魔法は便利だ。
木の棒をぐるぐる回す必要も、摩擦で熱を持った木の粉をつくる必要もない。
「食事の準備を始めるけれど。どうする? 日持ちしない魔物の肉から消費していくか?」
「支給された食料はある程度、日持ちするから。優先順位をつけるならば、やはりそうなるかしらね」
「んじゃ、そうしておくか」
ここまで進む道中で、出来る限りの血抜きはしておいた。と言っても、リズが一撃で仕留めた魔物達なので、完全に抜けきってはいないだろう。多少の臭みが残ってしまうが、まぁそれでも許容の範囲内に収まるに違いない。
多少の臭みはサバイバルならではと思って貰うことにしよう。
「シュウくんって生き物を捌けるのかい?」
「あぁ、親父とよく狩りに言ってたから、そのついでに仕込まれたんだ。まぁ、食える所と食えない所を見分けて、切り分けるくらいのことしか出来ないから。そう期待しないでくれよ」
「この環境じゃあ、焼くか煮るかくらいのことしか出来ないから。それだけ出来れば十分だよ」
支給された物の中には、食料関係の物として簡易的な料理器具も入っている。俺はその中から短めの包丁を取りだして、魔物の肉に刃を入れた。そうして皮を剥いだり、大雑把に肉を切り分けたりをして、バーベキューをするように丈夫な枝に刺していく。
所々、骨が粉砕されていて欠片を取り除くのに手間取ったが、なんとか焼いて食べられる代物にはなった。
「さて、後は焼くだけだな」
流石に、支給品の中に金網などないので、切り分けたまな板の上で肉を焼く。
「緋焔」
包丁を置いて両手に焔を灯し、ガスバーナーで焼くように火を吹きかける。そのままの焔を使えば、まな板ごと燃えてしまうので、生物だけを燃やす緋色の焔を使ってだ。すでに死んでいる肉に対して、効果を発揮するのか疑わしいところだったが、大丈夫みたいだな。
「そうやってみると、シュウの魔法って便利よね。小回りが利いて」
「利便性に優れてるって言ってくれよ。せめて」
そうこう言っているうちに、肉の串焼きが一本焼き上がる。この方法ならまな板をダメにしなくて済むが、代わりに目が離せなくなるのが難点だな。ちょっとでも目を離すと火力調節を誤って焦してしまいそうになる。
「んー……あっ」
「どうした? エリー」
「私、閃いたんだけれど。シュウの焔を使えば、お風呂を沸かせられるんじゃない?」
「風呂? サバイバルで風呂って」
天然温泉でも見付けない限り、出来ないことだと思うけれど。
「私が川の一部を円形に凍らせて、水たまりを作れば浴槽は出来るでしょ?」
「まぁ、そりゃあ出来るだろうな。その浴槽は水風呂になるけれど」
水どころか冷水だ。坊さんの修行か何かか。
「そこでシュウの出番よ。色で燃やす物と燃やさない物を指定できるなら、水を燃やさない焔だって出来るでしょ? それを水中で行えば、お湯は作れるわ」
「んー……ちょっと待ってくれよ」
串焼きをひっくり返して生の裏面に火を入れる。
それをしながら考えるのは、エリーの言っていたことである。たしかに、水の色。つまり蒼に色分けすれば水だけを燃やさない焔は出来るだろう。水を燃やさないということは、水に消されないということだ。
それに燃やさないというだけで、周りに与える熱の影響は、かなり緩和されては居るが伝わっている。このまな板だって、燃えていないが暖まってはいる。エリーの言う通り、やろうと思えば出来るだろう。
「うん、風呂に入りたいってことなら、協力はするよ。するけれど。俺が男だってこと忘れてないか? エリー」
「大丈夫よ。氷でドームを作るから、覗きなんて出来ないわ」
「そのドームだって、斬魔の刀でちょいとすれば消えるんだぞ」
「シュウはそんなことしないでしょ?」
「まぁ、しないけれどさ。しないけれども」
もちろん、そうなった場合、覗きなんてする気はない。バレた場合のリスクを考えれば当然の話だし。なにより、そんな欲望に支配されるほど柔に育っちゃいない。自制心はきちんと持っている。
けれど、それでもエリーがあまりにも無警戒すぎて心配になるのだ。信頼してくれているのだろうけれど。だからと言って、氷の壁で視界を遮断するからと言って、男の側で風呂に入ろうとするか? 出来ないだろ、普通は。
しかもその氷は俺の意志一つでどうにでもなるというのに。
「……分かった。他の二人がそれを了承したらな」
「よかった。じゃあ、さっそく言いに行ってくるわね」
はしゃぐように、エリーはベッキーとリズのほうへと向かっていく。
その後、肉がちょうど焼き上がった頃のこと。満面の笑みを浮かべたエリーが、俺の所へと返ってきた。その顔を見るに、二人がどんな返事をしたのかが良く分かった。一人くらい反対意見を述べる物だと思っていたけれど。案外、そうでもなかったみたいだな。
「本当にいいのか? 二人とも」
「えぇ、歩き疲れているし。入れるものなら、入って起きたいわ」
「ちょっと恥ずかしいけれど、風呂の誘惑には敵わないってことさ。それにシュウくんだしねぇ」
それは信頼されているのか、それとも覗く度胸すらないと思われているのか。果たしてどっちなんだろうな。どっちでも良いが、精神衛生上、出来れば前者であって欲しいものだ。
「とにかく、とりあえず飯だ。肉はもう焼けてるから、みんな好きに取ってくれ」
焚き火を囲んで、おのおの魔物の肉にかぶり付く。
弾力は堅めで、味は牛と豚の中間あたりだ。姿形は犬猫の中間なのに、最初から最後まで何も一貫しない生き物だな。魔物って奴は。けれど、塩こしょうの味付けだけでも十分なくらいに美味しいのはたしかだ。ちょっと臭みがあるのが、玉に瑕だけれど。
「ふー。喰った喰った」
あのとき回収した魔物の肉をすべて胃袋に収めこんで、食事の時間は幸せに終わる。食糧事情は、支給された一日分の水と食料をそのまま持ち越す形でおおむね良好だ。このペースで行けば、水だけに気を付けておけば大丈夫そうだな。
「お腹もふくれたことだし、シュウにはもう一仕事してもらうわよ」
そう言って、エリーは簡易イスから立ち上がる。
本当にやる気なんだな。川に氷の仕切りを引いて、俺の魔法で湯を沸かそうって話は。
「分かった。なら、さっさと済ませるとしよう」
それからエリーが河川から半円を描くように氷を走らせ、大きめの浴槽を作り上げる。その範囲の中にいた魚は、すべてリズが引き寄せて川へと返していた。これで準備は完了だ。後は俺が魔法を発動するのみである。
「蒼焔」
手に蒼い焔を灯し、水中に放つ。ある程度、済んだ水の色をしているので、水中でも消えずに蒼い焔が燃えているのが分かった。しばらくすれば、この水が湯に変わるだろう。温度調節はエリーの氷ですれば問題ない。
「ほら、行け。俺は森の方を向いて、食事の片付けでもしてるから」
「ありがとう、シュウ。私達が入った後でよければ、シュウも入ってね」
それはそれで問題がある気がするが、まぁいいだろう。邪なことを考えるのは止めておく。そして女子三人が氷のドームに隠れてから出て来るまで。食事の片付けを終えた俺は、ずっと森のほうを向いて剣の稽古をしていたのだった。
邪念を払うには、これが一番だからだ。頭が空っぽになる。




