二兎を追う者
Ⅰ
空が白み始めてから幾ばくもしない早朝に鳴り響くのは、剣戟の音だった。
訓練場の室内は、白い焔で満たされている。誰にも危害は加えず、異常だけを燃やす焔の中で、剣と剣は一合二合と幾度となく刃を交え合う。素早く、機敏に。されど柔軟に剣先は空を裂き、刀身は風を斬る。
「此処までっ」
打ち合いが区切りの良い場面を迎え、両者ともに剣を収める。そして互いに礼をし合い、訓練場を満たしていた白い焔も掻き消えた。日々の日課である早朝からの剣の稽古は、これにて終了である。
「どうだった?」
「まだまだ、半人前。わたしから見ても、剣の動きが若干にぶい。反応速度も下がっている。魔法に気を取られすぎ」
「ふむ、やっぱりか」
今回の剣の稽古は、魔法の訓練と併用して行ってみたのだが、如何せん上手く行かない。常に魔法を発動するということ。魔力を生成するということ。白焔のイメージを抱き続けるということ。これら魔法を維持するために必要なことを行いつつ、剣を振るうというのは当然ながら難しいものだ。
それもこれも、俺が魔法使いとして半人前なのが原因だ。剣と同じ領域まで、とは言わないけれど。せめて魔法も一流の使い手にならないと併用は困難を極めるだろう。
「二兎を追う者は一兎をも得ずって言葉が、胸に刺さるなぁ」
昔の人はよく言ったものだ。一芸に秀でる者は多芸に通ずとは言うけれど。通じていても多芸を極められる訳じゃあない。極めた一芸には劣るものだし、多芸がそれに追い付くことは決してない。
所詮、人間はどう足掻いても一つの道しか歩めはしないのだから。
「剣はしばらく現状維持が理想的。剣の稽古はそのまま、魔法の訓練だけ量を増やせばいい」
「んー……まぁ、現状を考えるとそれがベストだよな。出来る出来ないとか、時間的余裕のことを度外視すればの話だけれど」
幸いにも時間はある。雇われの身でそれはどうなのかと言われそうだが、しかし護衛役というのは暇なのが一番だ。誰にも襲われず護るべき人が平和に過ごせているのなら、それに越したことはない。
なので、剣の稽古の現状維持、および魔法の訓練の延長は、アークインドで過ごす時間を加味しても、なんとか確保できる。けれど、問題はそれを毎日行えるだけの体力と気力が俺にあるかどうかだな。冷静になって考えて見ると、これは結構な修羅の道だ。
まぁ、それを越えて強くなれるというのなら。その道がたとえ修羅だろうが茨だろうが、歩むことに躊躇はないけれど。でも、考えるだけで気が滅入りそうだ。親父の無理難題に応えていた頃を思い出してしまう。
「まぁ、やれるだけやってみるか。さっそく、魔法の訓練に勤しむとしよう」
今まで剣においていた比重を魔法の方に傾け。俺とインクルストは午前九時を少しまわる時刻まで、魔法の訓練に精を出した。訓練が終わってからは、すこし遅めの朝食を取ってしばし休憩だ。
今日は学園対抗戦の振替休日でアークインド学園は休みである。登校の必要もないので、昼からも暇な時間は魔法の訓練に当てる予定だ。身体中の至る所に感じていた痛みも、今はもう殆どないので疲労で身体を壊すこともないだろう。
そう楽観的に考えながら自室にこもり、昼が来るまでの間を本読みをして過ごす。ちなみに読んでいるのは、魔法に関する小難しい本だ。ページにびっしと文字が綴られていて、それを目で追うだけでも眉間に皺が寄りそうになる。
正直、読みたくはないのだけれど。魔法の理解を深めるためには必須だと言われたので、大人しくインクルストの提案に従っているしだいだ。
「ん?」
時折、疲れた目を休ませながら本を読み進めていると、扉のほうからノックの音が三回ほど聞こえた。つい最近、バトルロイヤルの控え室であったことの焼き直しみたいだ。と、そんな下らないことを重いながら、返事をする。
「しゅーうー……」
そうして扉越しに返ってきた返事は、どんよりとした低い声音のものだった。
「なんだ、なんだ? エリーの声か? 今のは」
とてもそうには聞こえなかったし、思わなかったのだけれど。この豪邸にいる人間の中で、俺をシュウと呼ぶのはエリーだけだ。料理人や、その他の人はキリュウさんだし。クインはシュウヤだし。インクルストに至っては名前すら呼んでくれず、決まって何時もキミである。
なぜエリーはそんな声で俺の名前を呼んだのか? 疑問が頭の中で渦巻くなか、俺は扉にまで近付いてドアノブを捻る。
「どうした? なんだか疲れているみたいだけれど」
「疲れてるみたい、じゃあなくて。疲れているのよ、本当に」
扉の向こう側にいたエリーは、表情を曇らせている。
「あのね、シュウに悪い知らせがあるわ」
「普通さ。それって良い知らせとセットであって然るべきなんじゃあないのか?」
「今回に限って良い知らせなんて一つもない。諦めて悪い知らせだけ聞きなさい」
せめて、聞く聞かないの選択肢くらい用意して貰いたいものだな。まぁ、こう言う場合、両方を聞いても結果的には悪いほうに状況は転がるものだけれど。はてさて、どんな事を知らされるのやら。
「それで? 悪い知らせってのはなんだ?」
「いま客室にアリムフェリアが来ているわ。シュウをご指名よ」
それはまた唐突なことで。
しかし、道理でエリーがこんなにも疲れている訳だ。たぶん、なんとか水際で食い止めようと、敷居をまたがせまいと、必死に追い返そうとしたんだろう。けれど、その頑張りも虚しくリズは客室まで来てしまった、と。
それもそうだ。アリムフェリアはエクイストと並ぶ同格の大貴族、その令嬢が訪ねて来たと言うのだから、無碍に追い返すことなど出来はしない。それが分かっているからこそ、エリーも観念して俺を呼びに来たのだ。
「分かった。じゃあ、行くとするか」
一応、人前に出られる服装はしているので、このまま着の身着のままで向かうとしよう。
Ⅱ
「ご機嫌よう。元気かしら? シュウヤさん」
アリムフェリア家の令嬢、エリザベス・アリムフェリアは、腰掛けていたソファーから立ち上がり、軽く会釈をした。頭が下がり、銀色の髪が揺れる。すこし乱れたその髪を直す仕草には、貴族らしい凜とした印象を抱かずには居られなかった。
「お陰様で、ぴんぴんして――ます」
言い終わりかけて、気が付く。ここは学園でも対抗戦の会場でもないことを。生徒としては平等に扱われるが、今はその限りじゃあない。目上の人として接しなければ、エリーの面子に関わってしまう。
「ふふっ。構わないから、言葉遣いは好きにして結構よ。エクイストさんやオルケイネスさんにも、そんな風に接しているんでしょう?」
俺の考えを見抜いたように、リズはそう言った。
「敵わないな。じゃあ、そうさせてもらうよ」
自分としても、こちらのほうが余計な疲労が溜まらなくて済む。言葉に甘えて、言葉遣いは気にしないでおこう。名前のほうもエリザベスやアリムフェリアではなく、リズと呼んだほうがいいか。
「ところで、どうしてエクイストさんがいるのかしら?」
互いにソファーに腰を下ろした所で、そうリズからエリーに問いかける。
「私はシュウヤさんと二人で話がしたいのだけれど」
「申し訳ないけれど、それは出来ない相談ね。自分の立場が分かっているはずよ、アリムフェリア。それとも何かしら? 貴女と一介の護衛を一緒の部屋で二人きりにさせるなんて、そんな非常識にも程がある行為を私がするとでも?」
「……仕様がないわね。なら、このままで良いわ」
エリーに向かっていた視線が、今度はこちらを向く。
リズがこれから何を言うのか。それはだいたいの見当が付いている。会場の控え室で言っていたことの続きだろう。あの時はベッキーが居てくれたからなんとか成ったが、今この時において救世主は現れない。
一触即発と表現しても差し支えない状況になることは目に見えている。気合いを入れて、腹をくくるとしよう。
「それで、今日はどう言った用件で此処を訪ねたのかしら? まぁ、シュウを指名した時点で、大方の見当は付いているけれど」
「そう警戒しなくても、今日は何もする気はないわ」
今日は?
「けれど、エクイストさんが付けた見当も、遠からず近からずと言ったところよ」
「どう言う意味よ?」
「私。この振替休日が終わったと同時に、アークインドの生徒になる予定なのよ」
その一言に、俺達は二人して絶句した。そのあまりにも予想外な言葉を前に、言葉の出し方を一瞬忘れてしまった。
いま、なんて言った? アークインドの生徒になるって言ったのか。リズはすでに他校の生徒だったはずだ。にも関わらず、アークインドの生徒になるということは、もしかして転校してくるってことか?
そりゃあアリムフェリア家の力を使えば、転校なんて造作もないことだろうけれど。いや、だからと言って。
「貴女……まさかとは思うけれど。シュウを手に入れるためだけに、アークインドに転校してくる訳じゃあないでしょうね」
「ふふっ、そのまさかよ。当然でしょう? あのウルハリウスさんを下して、スペシャルマッチの最優秀者に輝いたのだから。私達の世代で、これほど心強い護衛もいないわ。将来にも期待が出来る。そんな優良な護衛が欲しくないだなんて、口が裂けても私は言えない」
「だからって」
「シュウヤさんを手に入れるためなら、転校くらい軽いものよ。そのための試験も受けたわ。結果は知っての通り」
そこまでして強い護衛が欲しいのか。その行動力には、ある種の尊敬を抱かざるを得ない。なにが彼女を駆り立てるんだ? 代々の血筋の影響か、それともリズ自身が生まれ持った性なのか。どちらにせよ、厄介なことになったことだけは確かだな。
さて、どうしたものか。
「今日は、それをシュウヤさんに伝えに来たのよ。用件はそれだけ」
「どうぞよろしくお願いしますってか?」
「そうね、そう受け取ってもらっても構わないわ」
そう返事をしたリズは、ソファーから立ち上がる。
「話は以上。伝えるべきことも伝えたし、私はここで帰るとするわ。見送りは結構よ」
颯爽と扉へと向かい、リズは客室を後にする。
風雲急を告げる。一難去ってまた一難。安息の日々は、まだ遠いようだ。休日明けが楽しみで仕様がないよ、本当にさ。いったいどんな事が起こるのやら、皆目見当も付かない。




