秩序の白
Ⅰ
蹴り飛ばした彼の行く末を見届け、すぐにもう一人の男子生徒に視線を向ける。すでに彼は意識無く地面に這いつくばっていた。見れば、髪や服が下方向へと異常に引っ張られている。恐らくは重力操作の範囲を小さくし、局地的な一点だけに威力を絞ったのだろう。
それにより彼は地面に叩き付けられ、意識を失った。さっき重力が正常に戻ったと思ったが、あれはただの勘違いか。ただ重力操作の範囲が狭まっただけだ。
「構えろよ、次はお前の番だぜ? シュウヤ」
「あぁ、その通りだな。次に脱落するのはそっちの番だ、アレックス」
意図して作り上げた勝負。七大貴族が一角、ウルハリウス家の子息、アレクサンダー・ウルハリウスとの一対一。それが今ここに実現した。この先のことはもう考えなくても良い。今この時のためだけに全力を尽くそう。死力を尽くして、ぶつかり合うのみだ。
「まずは小手調べからだ」
そう言ったアレックスは、両手に装備した籠手を構えてリングを駆ける。
「〝大地の気紛れ〟」
行動を開始すると共に、唱えられる重力魔法。それは俺の身体を重くし、行動を制限する。けれど、この程度の重力ならまだ十分に動くことの出来る範疇だ。まだアレの出番じゃあない、使い処は見極めなければ最大の効果を発揮できない。
肉薄するアレックスに対して、重い身体を操作して一撃を見舞う。通常とは異なる鈍い攻撃なので容易く防御されるが、しかしそれは攻めの姿勢を崩す程度には威力を誇っている。速度が落ちたぶん、一撃の破壊力が大きくなっているからだ。
この重力魔法は脅威だが、同時に俺の味方にもなる諸刃の剣だ。動きの鈍さだけ克服できれば、強烈な一撃を繰り出せる。
攻めの姿勢を崩し、それ以上の接近を拒んだのち。攻撃を途切れさせず、凡そ二倍ほど重くなった剣を振るい。重く威力の高い連撃を叩き込む。
だが、剣を振るうたびに籠手とぶつかり合い、甲高い音が鳴る。一撃が重くなったとは言え、やはり剣速の低下は痛手だ。どんな攻撃を繰り出そうと、一人だけ通常状態で戦うアレックスに見てから反応されてしまう。
「チィッ!」
攻めているのに追い詰められている。
「まだまだ、これからだ。終わらねぇぞ、シュウヤ!」
また一段と重力が強くなる。まるで純金製の得物を握っているかのように、ロングソードが重くなった。身体の自由は更に制限されて、分厚い鎧を身に纏っている気分になる。膝を付かないようにするのが精一杯。立っているだけでも、相当な疲労に襲われた。
そんな状況下で、更にアレックスの攻撃まで飛んで来ようとしている。このままでは、いまの状態では成されるがままだ。いい攻撃の的になるだけ、防御も攻撃もままならない。だから、自滅覚悟で脳のリミッターを解除する。筋力の制限を無くし、肉体の限界を超えて迎え撃つ。
「望むところだッ!」
振りかぶられた右拳にタイミングを合わせ、ロングソードの鋒を放つ。繰り出され、ぶつかり合う剣と拳の突き。それらは互いに互いを弾き合い、またしても形を変えて、手段を変えてせめぎ合う。
両者ともに一歩も引かない攻防戦。殴打と斬撃の応酬を、怒濤の如く仕掛け合う。けれど、消耗が激しいのはやはり、俺のほうだった。もともと脳の制限、リミッターは身体を護るためにある。あまりに強く激しく動きすぎて、自らを傷付けてしまわぬように、力は制限されているのだ。
しかし、今はそれを意図的に解除した状態。肉体の限界を超えて動ける代わりに、一撃を繰り出すたびに、一撃を防御するたびに、筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋み続ける。戦いが長引けば長引くほど、俺は不利になってしまう。
だが、それでもまだ耐える時だ。アレの使い処は、まだ先にある。
「ぐっ……流石だな。この重力下でまだそれだけ動けるのか」
叩き付けるように浴びせた一太刀を、アレックスは両手の籠手で受け止めた。
「とう……ぜんだ。なんなら……もっと重くしてくれたって……構わないッ」
重力の影響を存分に活用し、受け止めたアレックスに不可を駆けていく。この重さと威力を、通常の重力下で受け止め続けるのは辛いはずだ。これで重力を軽くしてくれるとは思わないが、アレックスの体力が削れるなら今の状況も悪くない。
「ここッ、までッ。根性のある奴と戦ったのは……久しぶりだッ」
攻撃の威力と防御の抵抗が拮抗を見せる最中、アレックスは不敵に笑って見せる。
「だからッ! 悪いが、殺す気で行かせてもらうッ!」
瞬間、更に重力が強くなる。脳の制限を外した身体でも、抵抗できないほどの重力が襲いかかった。立っていることも出来ずに、俺の身体は強制的に膝を付かされる。身体がぴくりとも動かない。指先一つだって、動かせない。
いったいどれほどの重力が掛かっているんだ。
「こいつを喰らえば、どうなるか分からねぇ。だから、歯ァ喰い縛って耐えてくれよ!」
辛うじて捕捉していたアレックスの姿が消える。跳び上がったのだ。空中へと飛び、そして落ちてくる。きっとこの馬鹿みたいに強い重力を味方に付けて、隕石の如く落下するに違いない。
喰らえば、ただでは済まされない。最悪、もう剣を握れなくなるかも知れない。
「だけれどッ」
アレックスは空中にいる。つまりは落ちてくる以外の行動が、まったくと言って良いほど取れないということだ。避けられもしなければ、まともな防御もすることが出来ない。俺が待っていたのは、このタイミングだ。
「〝焔変色異〟!」
俺を中心に円を描くようにして、焔の輪が燃え上がる。
「白焔ッ!」
真っ赤な焔は色付いて、その色を白へと染め上げる。何者の浸食も許さず、すべてを白に塗り替える純白の焔。それは歪み曲がった重力の異常を燃やし尽くし、正常な白へと塗り替える。この焔は白以外を燃やし尽くし、すべての異常を灰燼に帰すことが出来る。
白焔により、重力の異常は解除され。全てが通常にかえり、身動きが自由となる。得物が木の棒のように軽く、身体が羽のように軽い。この状態なら、通常状態なら、ただ落ちてくるだけの攻撃など、簡単に躱すことが出来る。
「なッ!?」
アレックスは落下する。誰もいないリングへと、その拳を打ち付けた。
その隙を見逃さない。躱すために引いた距離分を駆け抜けて、着地の衝撃がまだ抜け切らないうちに攻撃を仕掛ける。駆けた勢いをそのままに、威力を上げた刀身が風を切る。並行に薙ぎ払った横一閃は、たしかにアレックスにまで届く。
「くそッ」
この一撃を躱すためにリングを強く殴りつけて、アレックスは横方向に吹っ飛ぶように移動した。でも、それでも少し遅かった。ロングソードの剣先は、浅くではあるが肉体を斬り裂いている。俺の剣は、たしかに届いたのだ。
「どう言う……ことだ。俺の魔法はまだ効力を失ってないッ。まだ重力は操作されている筈だろッ」
「あぁ、そうさ。魔法は燃やしてない、重力操作自体はいまも続いている。けれど、俺が燃やしたのは魔法によって生じた異常のほうだ。重力に生じた異常を、片っ端から虱潰しに燃やして正常な状態へと戻している」
すべての異常を直す色、それは秩序の白だ。
あの日、クインからの助言で閃いたのは、この事だった。魔法を燃やすのではなく、魔法により生じた異常を燃やすこと。それが重力操作を無効化する唯一の手になる。
出し渋っておきながら、あの一撃で勝負を決められなかったのは残念だが。まぁ、いい。過ぎたことはどうしようもない。それよりも本番は此処からだ。
「……無意味になったってことかよ」
「そうだな。まぁ、俺もずっとこの白焔を出しておかなくちゃあならないし。尚且つ、これ自体に誰かを傷付ける能力はない。そう言う意味では、条件は互いに同じって訳だ」
「……ふっ、ははははは! つまり!」
「此処からは純粋な肉弾戦だッ!」
白く燃え盛るリングの上で、俺達は全力をもって剣を、拳を振るう。
間合いに踏み込んだ足を軸に、身体の捻りを利用して一太刀を浴びせに掛かる。しかし、それは完全な軌道を描ききる前に、進路上に差し込まれた籠手によって阻まれた。受け止められ、行動を停止するロングソード。その隙をついて、返しの拳が飛んでくる。
それに反応して、咄嗟に左手を剣の柄から離し。飛来する拳を手の平で掴む。衝撃が腕にまで走るが、なんとか受け止めた。そして両手が塞がったのなら、残す攻撃手段は限られている。
ほぼ同じタイミングで、俺達は頭を大きく後ろへと反らす。そこから放つのは、勢いよく頭を前へと倒す頭突きだ。額と額が衝突し、鈍い音が脳内に響くと共に、視界が揺れて後ずさる。
けれど、それでも視界の中にアレックスを収め、また剣を握り直して攻めに行く。
柄で拳を叩き落とし、刀身を籠手に握られ、剣先が肩を浅く刻み、握り拳が脇腹にあたる。次第に防御はおざなりとなり、攻撃だけに重点が置かれ始め。俺もアレックスも、多少の傷や打撲など気にも掛けず、攻めて攻めて、攻めまくる。
そして身体に打撲を、切り傷を負った俺達に、この戦い最後の時が訪れた。
「吹っ飛べッ!」
剣の合間を縫うようにして、アレックスの拳が突き上げられる。そのアッパーは的確に俺の顎を捉え、殴打の衝撃が脳天を突き抜けた。一瞬、朦朧とするほど能が揺れる。意識を手放しかけるが、それでも負けられない意地が、それを掴んで離さなかった。
踏み止まる。仰向けに倒れかけた体勢を足で支え、なんとか勝ち筋を残して踏み止まる。上を向いた視線を下げ、改めて見るアレックスはすでに次の攻撃モーションに入っている。これを躱すだけの余裕など、もうこの時点でありはしない。
故に、打って出る。躱さない、防御もしない。攻勢に転じ、勝負を決める。
すでに脳の制限を外して、かなりの時間戦っている。腕も足も身体さえも限界を超えて、動くたびに激痛が走る。だが、それでもこの一瞬だけは逃さない。筋肉が千切れようが、骨が折れようが関係ない。この勝負に悔いが残らぬよう、全力をもって剣を振るう。
「これで最後だッ」
鬼剣、二爪。
すべてをかなぐり捨てて放つのは、反応する暇さえ与えない神速の二撃。それは空を馳せ、飛来する鉄の拳を切り崩し。続く二の太刀をもって、もう片方の鉄の籠手を破壊する。攻撃手段はこれで奪った。あとに続くは、最後の一撃だ。
鬼剣、一爪。
両手に装備された籠手を奪い。次いで放つのは、逃げることも許さない必殺の一撃。鉄を裂いた剣を手元に呼び戻し。一歩間合いを詰めて、逃げ場をなくす。もう逃れられない位置に来た。
下がった鋒が傾斜をなぞり、斜め上へと軌道を描く。その剣筋を阻めるものなどありはせず。振り抜かれた剣は、周りを燃やす白い焔とは対照的に、鮮やかな赤に染まっていた。
「俺の……勝ちだ」
血飛沫を上げて倒れ行くアレックスにそう告げる。そして自らも疲労と激痛に耐えきれず、また勝ったと確信したことから、とうとう意識を手放した。沈み行く混濁の中で最後に聞こえたのは、うるさいくらいの大勢の声だった。




