鐘の音
Ⅰ
女子の部のスペシャルマッチは、此処に終了した。最後までリング上に立ち、勝ち残ったのはレベッカ・オルケイネスだ。今、割れんばかりの拍手と歓声の中、ベッキーはリングを降りている。
この後、破損したリングの修復や、倒れた女子生徒の回収で少し時間が掛かる。この間を使って男子の部のスペシャルマッチの選手は指定の場所に集まることになっていた。
「よし、それじゃあ行ってくるか」
「頑張ってね、シュウ」
「健闘を祈っているわ」
部屋に二人だけとなると、色々と不安が残ってしまうエリーとリズに見送られ。部屋を後にすると、そのまま階段を駆け下りる。指定の場所は、以前にリングにあがった時と同じ場所だ。
「おっと。なんだ、シュウくんか」
階段を降りて廊下にまで出ると、ちょうと帰り際のベッキーと鉢合わせる。勝者の凱旋にしては味気ない再会だ。まぁ、ドラマチックになってもそれはそれで困ってしまうのだけれど。
「よう、ベッキー。ちゃんと吹っ切れたみたいだな」
「まぁね、シュウくんが目を覚ましてくれたお陰だよ」
そう言うと、ベッキーは屈託のない笑顔を見せる。
わだかまりもなく、全力でぶつかり合えたみたいだな。
「この後すぐに、シュウくんの出番がくるわけだけれど。そっちの調子はどうなんだい?」
「そりゃあもう絶好調だ。絶好調だから、ビンタなんてするなよ?」
「あははっ。実は密かに狙っていたんだけれどね。そう上手くはいかないか」
あの痛くないビンタは、案外、難易度が高い。見よう見まねで同じことをしようとすると、高確率で失敗に終わり、威力の弱いただのビンタとなる。そんなただ痛いだけのビンタなんて食らいたくはない。
「次の試合、頑張りなよ」
「あぁ、強敵揃いだが勝ちに行く」
「うん、良い返事だ。それじゃあ行ってきな」
「行ってきます」
お互いに呼吸を合わせるように手を挙げて、ハイタッチを交わし。俺は指定の集合場所へ、ベッキーはエリーとリズの待つ控え室へ。それぞれがそれぞれの目的地へと歩き始める。けれど、そう言えばベッキーに言っていなかったことがあったのを思い出した。
「おーい、ベッキー」
「うん?」
後ろを振り返り、呼びかけると応えてくれる。
「スペシャルマッチの最優秀者、おめでとう」
「ふふっ。ありがとう、シュウくん」
なんだ、そんなことか。と、笑ったベッキーを見てから、改めて集合場所へと向かう。あと少しもすれば男子の部のスペシャルマッチが始まる。並み居る敵を打ち倒し、ベッキーに続けるように気合いを入れるとしよう。
Ⅱ
「もう来ていたのか、アレックス」
「ん。昨日ぶりだな、シュウヤ」
集合場所にまで辿り着くと、先にアレックスの姿があった。両手に鉄の籠手を装備しており、戦闘態勢は万全のようだ。もっとも、それはこの場にいる全員が当たり前のようにしていることだけれど。もちろん俺も例に漏れない。腰には鞘があり、その中にはロングソードが収まっている。
「今日この時を俺は待ち侘びていたぜ。シュウヤ、やっと全力でお前と戦える」
「俺も待っていたよ。昨日、やっと一つ決着を付け終えたんだ。今日はアレックスとの決着を付ける。勝って有終の美を飾ってやるよ」
「果たして有終の美を飾るのがどっちになるのか、楽しみでならねぇな」
「まったくだ」
そんな会話があり、それから程なくした後のこと。リング上にあがる五人の男子生徒が全員集合場所に揃い。リングの修復も怪我人の回収も滞りなく進み。男子の部のスペシャルマッチが静かにその開始準備を終える。
スタッフさんから指示が出て、五人の男子生徒がリングにあがる。毎度の如く、観客席が湧き上がり、うるさいくらいの音が響く。このうちの何割くらいが、アレックスに向けられたものなのだろう。
観客がもっとも期待しているのは、アレックスの圧倒的勝利に違いない。けれど、これだけ人が居ればひねくれ者な天邪鬼も多いだろう。その次くらいには、大番狂わせを願っている人が多いと思う。
なので、その大番狂わせを願っている人の期待に応えてやるとしよう。アレックスを打ち倒し、最後まで勝ち残ってやる。
「鐘の音か」
大音量の歓声や拍手を掻き消すような、次元の違う音が響き渡る。大きな鐘を打ち鳴らし、振動を伴った音は一度二度と重なり合う。そして最後の鐘の音が、今、空気を振るわせた。
にわかに始まりを告げた男子の部のスペシャルマッチ。
これまでと同様に、ベッキーやアレックスがそうして来たように、先制攻撃として七大貴族特有の魔法が発動されると、誰もがそう思ったことだろう。けれど、その予想は大きく外れ、重力は重くも軽くもならず変化しなかった。
考えられる理由としては、魔力の温存か。先ほどの女子の試合を見ている以上、無闇矢鱈と無計画には魔法が使えない。もしベッキーと戦っていた女子生徒のように、体内の魔素が枯渇して魔力が作れなくなったら。そう考えると温存しながら戦おうとするのは当然の選択である。
でも、それなら好都合だ。こっちのほうが戦いやすい。
「〝焔変色異〟」
抜刀と同時に、左手に焔を灯し。すぐ近くにいた生徒に向けて舵を切る。アレックスは一先ず後回しだ。重力魔法の対策はすでに出来ているので、何時でも対等に戦える。だからこそ、まずは寝落ちして詳しい情報の知れない男子二名を先に処理しておきたいのだ。
「来るか」
俺の接近を知り、身構えた男子生徒。彼は第四試合で最優秀者に輝いた人だ。学生服をみるに、うちの学園の生徒ではなさそうだな。
「〝模造氷像〟」
発動された魔法は氷を生み出し、術者を護るように包み込んで鎧の姿を象った。氷を身に纏い、防具にする魔法。いや、それだけじゃあない。彼の凍てついた手には、冷気を放つ長細い槍が握られている。
槍を相手にして、片手で剣を振るうのは愚行だ。必ず剣を弾き飛ばされてしまう。飛来する魔法を防ぐための左手だったが、攻撃に役割を移すほかない。赤い焔の灯る左手と共に、両手でロングソードを握る。けれど、このままではまた剣をダメにしてしまうので、焔の色に変化を加えよう。
「黄焔ッ」
俺の意志に従って、焔は自らの色を染め変える。真っ赤な焔から、黄色の焔へと。
その焔は金属だけを燃やさない。金、銀、銅から鉄に至るまでを燃やさない色。それに焔を染め上げた。これで剣だけが燃えず、継続して使い続けても刀身を焦さない。後は扱い方を間違わなければ、この戦闘中に壊れてしまう危険はなくなった。
「そおらッ」
交差する氷と焔。氷の槍を、焔の剣が溶かし。その水滴のしたたる氷槍を、容赦なく両断する。柄を斬られ刃を失った氷槍は、けれど直後に復活する。魔法で作られた武器なだけあって、修復も自在ということか。
「なら」
再び氷槍を両断して攻撃力を奪うと、修復が終わる前に懐へと潜り込む。強引に距離を詰めてやれば、槍が復活したとしても出来ることはなくなる。そう、武器が槍だけならば此処で倒せていた。
「嘗めるなッ」
俺が懐に入ったと見るや否や、彼は氷槍を瞬時に手放し。新たな小回りの利く武器を作り出す。黄焔を纏う剣がその脇腹を斬り裂こうとした時、割って入ってきたのは氷で作られた短剣だった。
それは直ぐに溶けてしまうが、刃の軌道を反らすには十分だ。ロングソードの剣先は、氷の鎧を掠めるだけに終わる。しかも、その付けた傷はすぐに修復され。更には埋めた距離も離される。
「チッ、やっぱりそう簡単にはいかないか」
この学園対抗戦に参加した四校の学園、その四学年で一番強い男子生徒だ。流石においそれと倒させては貰えない。けれど、この後のことを考えると戦いを長引かせるのは良くない。それは向こうも同じ考えだろう。
こう言う場合は、やはり短期決戦に限る。
「ぶっ潰れろッ」
振り上げられる氷塊が次々と削り取られ、それは巨大な剣へと変貌を遂げる。その自重をそのままぶつけるかのように、彼は大声を張りながら氷の大剣を振り下ろした。
あれでは焔で溶かし切れない。彼もそれが狙いだろう。けれど、それでは甘いと言わざるを得ない。あの質量の氷を溶かし切れないのは事実だ。でも、鉄を剣で斬ることが出来る俺に、溶かして斬れないことはないのだ。
振り下ろされる大剣、その刃の半ばから掬い上げるように剣を振り上げる。黄焔を纏う刀身は、焔によって硬度の下がった氷を斬り裂き。そして苦もなく両断してみせる。
勢いのままに地面と激突する刃、宙を舞う剣先。彼の武器は死に体であり、俺の武器は健在だ。天を裂いた鋒を返し、今度は袈裟斬りに振り下ろす。燃える太刀筋は氷の鎧など容易に斬り裂き、その肉体を傷付けた。
「よしッ」
傷口から噴き出る鮮血に染まり、氷の鎧が一部赤くなる。
これで一人脱落だ。まだ重力に異常も起こっていない。自分を除いて残る生徒はあと三人。そう頭の中で簡単な状況の整理をして、視線を氷の鎧からリング上全体に移した。
リングを見渡し、視界に収めたのは二対一の状況で戦うアレックスの姿だ。二人のうち一人は重力魔法に囚われ、その重力に抵抗できずに膝を付いている。もう一人は身体強化の魔法使いなのだろう。多少、動きが鈍くなっているが、アレックスと体術で互角の戦いを繰り広げている。
アレックスはどうやら自分の周りだけ、重力を重くしているらしい。立ち回りを見ても、膝を付いた生徒から一定以上の距離を取ろうとしていない。体内の魔素を温存するために、そうしていると見るべきか。
「とにかく、やるべきことは一つだ」
ロングソードに纏わせた黄焔を掻き消し。アレックスを中心とした戦地に向かう。近付くにつれて重くなる重力を肌で感じつつ、俺は誰と戦うべきかを見定める。普通に考えればアレックスを攻撃するべきだ。間違いなく、この三人の中で一番強いのだから。
けれど、それじゃあアレックスとの真っ向勝負が出来なくなる。
重力に行動を制限されながらも、定めた標的まで辿り着く。狙うのはアレックスと互角の攻防を繰り広げている男子生徒だ。あの生徒は今、戦いに夢中で周りが見えていない。その隙をつくようにして、俺はその無防備な脇腹に蹴りを入れる。
その直後だ。アレックスには、きちんと俺の姿見えていたんだろう。脇腹を蹴り飛ばした瞬間、魔法が解除されて重力が正常な状態へと戻った。
その結果、男子生徒の飛距離が伸び、リング外まで届く。重力が強ければ、まだ彼は助かっていたことだろう。さて、これはナイスタイミングってことで良いのかな。




