紅と蒼
Ⅰ
「あっ、シュウ。買ってきてくれた?」
「ほら、お望みのリンゴ飴だ。リズのカステラもちゃんとあるからな」
途中だった階段上りを再開し、エリーとリズのまつ部屋へと帰還する。頼まれていたリンゴ飴とカステラを渡すと、二人から揃ってお礼を言って貰えた。こう言うときだけ声が揃うのはいったいどう言うことなんだろうな。
息が合っているんだが、ないんだか。
「そう言えば、此処に戻る途中でベッキーを見なかった? 少し前に此処を出たんだけれど、まだ戻ってこないのよ」
渡したばかりのリンゴ飴を一口かじったあと、エリーはそうベッキーの行方を尋ねてくる。
「あぁ、ベッキーならさっき会ったよ。他校の生徒に用事があるからって、すぐに分かれたけれど」
「ふーん、他校の生徒ね。一体なんの用事があったのかしら?」
「さぁな、そこまで深くは聞いてない」
本当は知っているけれど。ベッキーは八百長をきっぱりと断るために、あの女子生徒に話を付けに行ったと知っているけれど。それは例え親友であるエリーにでも、無許可で言う訳にはいかない。それに説明するのも面倒だ。
これでは自分の雇い主に嘘をつくことになるが、嘘も方便という言葉を盾に開き直るとしよう。嘘吐きにも、良い嘘吐きと悪い嘘吐きがあるのだ。
「けれど、よく喧嘩せずにいられたな」
これ以上は突っ込まれたくないので、話の方向をすり替えにかかる。
「ベッキーも途中から居なかったんだろ?」
「この部屋に居させて貰っているんだもの、シュウヤさんとの約束を守る努力はするわ。だから、今の今までエクイストさんと一つも会話を交わしていないのよ」
それは果たして喧嘩をしていないと言えるのだろうか? 互いに互いを無視し合うのも立派な喧嘩だと思うんだけれど。いや、まぁ、でもそれは互いに友達同士だからこそ成立する喧嘩か。もとから友達でもない浅い関係なら、非干渉で片付く。
「とりあえず、平和でなによりってところか」
話のすり替えにも無事、成功し。それ以降、とくに目立った言い争いもなく時間は過ぎた。結局、ベッキーは部屋に帰らず終いのまま午後になる。八百長を断るのに苦戦しているのか、それとも全くの別件の所為か。
どちらにせよ、俺には待つ以外の選択肢がない。ベッキーの問題を代わりに解決など、出来はしないのだから。
「さてと、昼飯を食ったら直ぐに試合か」
昨日の時点で男女合わせて十名の最優秀者は決定しているので、午後からはまず女子五人でのスペシャルマッチを、そしてその次に男子五人のスペシャルマッチが行われる。
女子五人と、男子三人までは顔が割れている。残りの男子二人は、昨日ベッキーチームの控え室で寝落ちしてしまったので、まだ顔を知らない。まぁ、時がくれば分かるので、それはさしたる問題ではないだろう。
それに最大の敵はアレックスだ。
「此処に運ばれてくるんだっけ? 料理って」
「そうよ。だから、わざわざ部屋を出なくて大丈夫」
昨日はバイキング形式の昼食だったが、今回はどうも違うらしい。昨日、この部屋にいたエリーの話によれば、料理人が作りたての料理を直々に持って来てくれるみたいだ。待遇が良すぎてちょっと居心地が悪いのは、俺が庶民平民の生まれだからかな。
「ん? そう言えば二人はどうするんだ? 昼飯」
「私の昼食は此処に運ぶように言ってあるわ」
「左に同じよ」
なんともまぁ、用意周到なことで。
それから間もなくして、料理人の手によって運ばれて来た料理に舌鼓を打った。出て来る料理はどれも彩りがよく、見た目が華やかだ。味もそれに劣ることのない一級品である。どれもこれも美味しい。美味しいのだけれど。なんでだろうな、喰った気がまるでしないのは。
まぁ、腹八分目として考えれば、それも悪くないだろう。この後、激しく動くのだ。満腹が行動の制限になっては本末転倒になりかねない。
「オルケイネスさん。結局、帰って来なかったわね」
「可笑しいわね。もうすぐ女子のスペシャルマッチが始まるのに」
「……まぁ、ベッキーのことだ。何も心配はいらないさ。きっと時間になれば何食わぬ顔でリングに上がっているよ」
「そうだと良いけれど」
果たして、その予想は的中した。
スペシャルマッチが開始の時刻となり、関係者からの短い挨拶が行われたあとのこと。リングに次々と上がる女子生徒の中に、ベッキーはいた。こちらの心配などまるで伝わっていないかのように、平然と何食わぬ顔で立っている。
内心、心配かけやがってと思わなくもなかったが、けれどその気持ちはベッキーの晴れ晴れとした顔を見て、そっと姿を消したのだった。
随分と良い表情になったじゃあないか、この様子ならきちんと断れたみたいだな。
「シュウ? なに笑ってるのよ」
「ん? いや、ベッキーが思った通り、平然と出て来たもんだからさ。ちょっと可笑しくて」
「そう。でも、今まで何してたのかしら? 私達をほったらかしで。んんん。後で、とっちめてやるんだから」
「ほどほどにしとけよ」
とっちめられて、素直に言えるような話じゃあないからな。いや、でも現場を目撃されたからとは言え、俺に事実を言ったのだ。それが親友のエリーならば、流石のベッキーも真実を言うかも知れないな。
まぁ、そこはベッキーが決めるべきことだ。俺が何かを言うようなことじゃあない。
「そう言えば、リズはなんの競技に出ていたんだ? 暇していたってことは、昨日の時点で競技は終わってたんだろ?」
「いえ、私はべつに何かの競技に出ていた訳ではないのよ? 出場代表でもない、ただの生徒に過ぎないわ。事実、昨日はこのエリアに近付いても居なかった。今日、此処に来たのはスペシャルマッチを見るためよ」
「そうなのか? 意外だな。 てっきり何かの競技に出ているものだと思っていた」
「私、こう見えても争いごとがあまり好きではないのよ」
そうリズが言った瞬間、エリーの方から小さな声で「よく言うわ」と聞こえて来た。
人の物を欲しがるという性質を持つ代々の血筋に、さきの言葉はたしかに似つかわしくない。常に争いの渦中にいる宿命を背負っていると言っても過言では無いのに、争いごとが好きではないとは。
でも、そんなリズでもスペシャルマッチは足を運んででも見たいものなのか。それだけ学園対抗戦の目玉は伊達じゃあないってことかな。
「ほら、始まるわよ」
エリーの言葉によって、視線をリズから窓の外へと移す。
窓の向こう側、リング上ではすでに五人の女子生徒がそれぞれ等間隔に距離を取っている。ベッキーを相手に距離を取るのは得策じゃあないが、そこはルール上、公平を期すために必要な事である。
そうして鐘の音は、いよいよをもって鳴り始める。一つ、二つと遅れて音が重なり合い、三つ目の最後の音が重なった。
「〝天使の矢〟」
そして、やはりベッキーの先制攻撃によって、戦いの幕は上がった。
Ⅱ
女子のスペシャルマッチ開始から時間は経ち、現在リング上に存在する女子生徒は二人だ。一人は言わずもがな、レベッカ・オルケイネス。もう一人は、奇しくもそのベッキーに八百長を持ちかけた女子生徒である。
「さぁ、決着を付けようか」
魔法によって窓を越えた音声が、部屋の中に木霊する。
「貴女には……負けませんから」
次いで女子生徒の声も聞こえ、二人は互いに魔法を発動する。
ベッキーは指を鳴らして、紅色に色付いた矢を大量に。女子生徒は片手を前へと突き出し、蒼雷を纏う弾丸を大量に。両者、系統は違えど同じ遠距離魔法の使い手だ。その数えるのも億劫になるほどの矢と弾が出現し、互いににらみ合っている。
「〝天使の矢〟」
「〝雷雨の宴〟!」
両者の意志に従い、矢と弾は速度を得る。一斉に放たれた紅と蒼の魔法群は、濁流となって激しくぶつかり合い。互いに互いを撃ち抜き、相殺、消滅させながら、なおも止めどなく続く弾幕の応酬が繰り広げられる。
それに観客は息を呑む。放たれては精製される矢と弾の数々に圧倒され、呼吸さえ忘れて行く末を注視した。そして決着の時は訪れる。魔法を継続して発動し続けた末に起こる、体内魔素の枯渇という形で。
「くッ……あああああああッ!」
獣の咆哮のような雄叫びを上げ、女子生徒は一瞬にして蒼雷の弾丸を倍以上の数まで増やす。体内にある魔素を全て魔力に変換して注ぎ込んだ、暴力的なまでの数の力だ。今まで互角の攻防を繰り広げていた戦況は、この一手により様変わりする。
矢は徐々に押され始め、ベッキーは窮地に陥ろうとしていた。けれど、その当の本人の表情は、追い詰められた者のそれではなく。絶対的な強者が浮かべる、愉悦と闘志の笑みだった。
「迎え撃つ!」
彼女の全力に応えるように、ベッキーは矢の形状を変貌させた。
幾千、幾万とあった矢の群は集結を始め、幾つかの巨大な魔法を精製する。それは最早、矢の範疇にはなく、槍というにも巨大すぎるもの。言うなれば、一つの柱と化した紅色の魔力だ。それが計十本、精製された。
「吹っ飛べ!」
放たれた柱は、会場の停滞した風を掻き乱す勢いで空中を突き進み。相対する蒼雷の群に突き刺さる。そして強烈な個の力をもって、数の暴力をはね除け。強引に、力尽くで女子生徒の魔法を蹂躙していく。
まるで進路にあるもの全てを破壊し尽くす、台風やハリケーン。彼女が暴力的な数の力で攻めてきたのに対し、ベッキーは圧倒的な個の力でそれを押し返したのだ。
十の魔法は破壊の限りをし尽くすと、とうとう女子生徒にまで到達し。その身を全て捧げるように、柱たちは彼女を吹き飛ばした。当然、リング外に出てしまったので、彼女はここで脱落だ。もしあれに耐えてリング外に出なくても、この場での再起は不可能だっただろう。
「ベッキーが勝った」
勝者が確定した瞬間、会場は水を打ったように静まり返る。けれど、それも一瞬の出来事だ。次の瞬間には、王都全土に響き渡りそうな歓声に包まれる。みんながベッキーの勝利を称えていた。
八百長などではない、純然たる勝利がベッキーのもとに訪れたのだ。




